里長「氏寺の屋根修理が完了しました」豪族「ほー、どれどれ」 | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

んー、よくやった。褒美を与えるぞ。

 

飛鳥時代の瓦が残ることで超絶有名な元興寺極楽坊の屋根。色や形状が異なる部分は後世の補修です

 

 

 

伊良火「よかったですね、里長さま。検分が無事に済んで」

 

里長「まったくだ。やれやれだな」

 

伊良火「軒先の丸瓦、こんな文様じゃない!って怒られるんじゃないかとヒヤヒヤしてました」

 

伊良火さんの造った瓦はこんなものを想定しています(知立市歴史民俗資料館)

 

里長「創建の時にご指導されていた高麗の瓦の先生もとっくに亡くなられたからな。同じようなものは我々では作れん」

 

伊良火「だからって、私に無茶振りしなくても。当初の文様と違うんじゃないかと言われたらどうしようかと」

 

知立市歴史民俗資料館の再現展示のもとになった寺領廃寺の出土瓦の説明文(愛知県安城市)

 

里長「だから気付かれないように軒先の瓦は全部取り換えたのだ。単純な文様でも並べてみるとそれなりにリズム感も出て違和感はないからな」

 

伊良火「でも、じっくり見られたら、おや?初めの文様と違うなと思われませんかね」

 

里長「軒先の瓦の文様なんか、いちいち見たりしないんだよ。そんなところに目のいく奴はカワラー(=瓦の研究者・愛好家)ぐらいなもんじゃ」

 

たしかにこのビジュアルで軒先に目のいく人はごく少数と思われます(四天王寺金堂)

 

伊良火「そういえば尾張や美濃の連中はうまいことやって、お上から立派な瓦を与えて貰っているそうですけど」

 

里長「壬申の戦乱の時、わが三河はどっちつかずだったからな。後になって讃良さまにも目をつけられたってわけだ」

 

伊良火「やっぱり大友さまを匿ったのがまずか....」

 

里長「しっ!!そのことを知られたら、ただでは済まんぞ」

 

伊良火「はああ、世知辛い世の中っすね....」

 

元興寺極楽坊本堂の屋根瓦(北側から)

 

私はカワラーではないので、勝手な決めつけかもしれませんが、古代寺院研究で今幅を利かせているのは瓦研究のようですね。

 

そうなった背景には、

  • これまで中核をなしてきた文献調査・研究に一定の閉塞感・限界感(古文献は「発見」されない限り増えることはない)
  • 対して古瓦は遺物としては大量に出土するものであり、各地での発掘調査の進展に伴い、研究対象資料としては増加する一方
  • また古瓦文様の即物的な比較・照合により、地理的な交流関係やの製造時の前後関係(「型」に生じた傷の有無による判定など)の特定が可能

というようなことが瓦研究にはあるからではないかと考えられます。

 

それはそれでいいのですが、素人なりに外部から見ていると、確実な成果が(比較的安易に)得られる瓦研究だけがもてはやされ、それに偏重し過ぎているきらいがあるのではないかとも思うわけですよ。

 

この現象は、いわば古代寺院の魅力を指し示す大きな地図のごく一部だけが緻密に書き込まれていくようで、バランスが悪いというか、ぶっちゃけあんまり面白くないのです。廃寺の発掘調査報告書や、古代寺院の研究論文を読んでも、かわら! カワラ‼ 瓦のことばっか!!!....笑

 

まあ、学問の世界ですから、古代寺院研究に関して宗教的・精神的な分析を(論拠不十分に書けば)「あなたの感想ですよね」と一蹴されるのがオチでしょうから、やむを得ない面はあるのでしょうけど。

 

むしろ、この分野でやらかしても、傷を負わない部外者や素人がこうした面を発展させていくことになるのでしょうか。いろいろ批判されている梅原猛先生の例の法隆寺論ですが、真偽はともかくとしても、あのような面白い話はそうそうあるものではありません。

 

一介の素人的には、瓦研究が陥っているチンマリした議論(すみません)よりも、古代人の思想や宗教観に立ち入って、是々がこうなっているのはこういうことなんだっ!ということを、もっともらしくダマしてほしい....なんて思ったりするわけですね。