岡山・福山・津山「青春18きっぷ」で巡る廃寺の旅(その5)最終回~高架橋の下に眠る寺 | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

岡山・福山・津山「青春18きっぷ」で巡る廃寺の旅も本日が4日目。

今回の記事が最終回となります。

最終日はまず宿をとった東津山駅から津山駅まで行って、津山城跡を散策。

 

東津山駅から始発列車で向かいます


津山城のふもとを巡っていると、レトロな写真に出てきそうな光景に出くわした。

川沿いの鳥居、大きな提灯、古めかしい鉄骨橋で、それらがすべて赤色に塗られている。朝日を浴びてより鮮やかに輝き、タイムスリップでもしたかのような錯覚を覚える。

 

このレトロ感

 

しばらくして開門時間になったので、津山城に向かう。

津山城は明治期に廃城の憂き目に遭ったため、天守閣をはじめ城郭建築の遺構はほとんど残っていないが、立派な石垣と再建された櫓が当時の威容を偲ばせてくれる。

 

復元された備中櫓。西日本有数の桜の名所でもある


津山駅に戻り、次は姫新線(きしんせん)で「美作千代駅(みまさかせんだいえき)」へ。
ここは無人の駅だが、開業当時の大正時代の駅舎が残り、名駅100選にも選ばれている。

 

ここから久米川沿いにのどかな道をたどって向かったのは、久米廃寺跡(くめはいじあと)。
五重塔をモチーフにした「パークロード白鳳の広場」のモニュメントが日印になる。

 

パークロード白鳳の広場。五重塔はなかなかの力作だが、上には登れない

 

【7】久米廃寺訪問オススメ度★★★~ 高速道路下に保存された廃寺

 久米廃寺は美作千代駅から東へ徒歩20分ほどのところ、中国自動車道の下に保存整備されている。「高速道路下の廃寺」として、ハイジストには(たぶん)よく知られている存在だ。

久米廃寺は高速道路の工事に先立って発掘調査が行われ、遺構の確認がされたことから当初の計画を変更し、ここの高架区間を盛土方式ではなく、橋梁方式として遺跡保存を図ったという。保存と開発を両立させた先駆的な事例とされている。
 

廃寺跡には案内板が設置され、遺構は高架橋下を中心に残存している。
それでは、じっくりと見学させていただきましょうか。が、ここはわざわざ遺跡保存を図った割には見学用の散策路などは整備されておらず、ずいぶんとぶっきらぼうな印象だ。

 

中国自動車道の橋梁と遺構の案内板。ぱっと見よくわからないが、廃寺の遺構は橋梁の北端あたりにあります


それどころか、よく見ると、公園で見かけるような鎖付きの擬木の柵が全周にわたって設置されており、入り口らしきものが見当たらない。ここへは立ち入らないでオーラが感じられて、しばし躊躇する。


そこで周囲を点検してみたが、遺構を示す標柱はあるが、「立入禁止」の表示はなさそうだ。これは「お行儀よく見学するだけならかまわんよ」というメッセージと都合よく解釈した。(違っていたらすみません)


真相はよくわからないが、こうした控えめ公開方針はわからないでもない。高架下は子供の遊び場になったり、自転車やゴミが放置されたり、ホームレスの定住地になったりと、管理上何かと面倒だ。ましてや遺構が破壊されるような行為でもされようものなら、せっかくコストをかけてまで保存に取り組んだことが水泡に帰す。


そのため、やんわりと「遺跡見学以外の立ち入りは禁止」と伝わるようにしたかったのではないかと勝手に推測する。真相はともかく、高架下という特殊な状況における遺跡管理上の悩ましさが伝わってくるようだ。


それはさておき、あらためて廃寺の遺構を見てみよう。

 

案内板のある場所からは実は遺構の様子はよくわからない。

脇の道から見ると高架橋の向こう側(北側)に堂塔の遺構が残されている。

 

草の生えている場所が遺構。左の標識柱が「塔跡」、右が「金堂跡」

 

久米廃寺は塔を中心に、東に金堂、西に講堂を配置する独特の伽藍配置だ。
塔と金堂だけの位置関係でみれば、横方向の軸線が一致しないものの法隆寺式であるが、久米廃寺の講堂はそれらの背後ではなく、中心伽藍の西側に南北方向に配置される変則的な形態だ。

 

現地の案内板


金堂跡

 

塔跡。写真中央、木の根元に塔心礎

 

塔の前面に参道らしきものが整備されているが遺構なのかどうか詳細不明

 

講堂跡。南北方向の東面配置である

 

これは「講堂の配置に関する諸問題」のその3として類型化できるような、地方の廃寺でしばしば見受けられる現象で、三重県名張市の夏見廃寺や和歌山市の紀伊上野廃寺などがその代表的なものである。今回訪ねた岡山市の幡多廃寺も同様の事例だ。

久米廃寺の講堂に関しては、前面が古代山陽道、後背地が小高い丘になっているので、西側に配置された理由が敷地の制約上という一般的な理由で(一応)納得がいく。東面配置にして光熱費をケチるための考えもあったかもしれない。
 

東側から眺める。手前は僧房跡の標識柱。その後ろに金堂跡、塔跡、講堂跡と続く

 

ところで興味深いことに、久米廃寺の発掘調査の結果、金堂の南東側に五間×四間の掘立式建造物(建物VII)の遺構が確認されている(案内板の復元図には描かれていない)。

これは塔と金堂の位置が逆であるものの、夏見廃寺と同じ配置構成だ。

 

夏見廃寺の伽藍配置。塔と金堂の下にあるのが掘立式建造物。久米廃寺のものはもう少し右寄りとなっている

 

久米廃寺の掘立式建造物は主要建物よりも遅れて建造されたということで、何か寺院に足りない機能を補うために後から追加されたもののようだ。

食堂のような実用的な機能をもった施設だろうか。こうしたことををあれこれ考えるのも廃寺探求の面白さだ。
 

おっと、そうこうしているうちにかなり時間が過ぎてしまっていた。ヤバいぞこれは!
次の列車に乗り遅れたら、その次は3時間後(!)だ。
慌てて写真を撮って、駅に急ぐ。


しかしここで致命的なミスをしてしまった。元の美作千代駅ではなく、反対側の院庄駅に向かってしまったのだ。単純に列車の発車時刻が遅い方がいいだろうという、浅はかな考えからだったが、距離でいったら、美作千代駅に戻るよりも倍ぐらいある(と、途中で気が付いた)。


なんとか乗り遅れないようにと走ったりもしたが、やがて列車の到来を告げる踏切の音が無情にも遠くから聞こえてきた。ス、スタープラチナ・ザ・ワールド!もうだめだ、間に合わない。

ワイ、完全終了のお知らせ....


結局、今日はもうひと廃寺くらい巡ろうと考えていた欲張りプランはやめて、おとなしく帰ることにした。院庄駅に着いたがどうせ列車はしばらく来ないので、寄り道をしながら津山駅までの長い距離をとぼとぼ歩いていった。

 

久米廃寺の近くにある「道の駅 久米の里」。有名なZガンダムの格納庫があるが、残念ながら見れず


美和山古墳群1号墳。全長80mの前方後円墳だ

 

津山市内の西寺町。白壁が青空に映える

 

最後は少々残念だったが、それでも4日間で、鬼城山と耕三寺に加え、面白い廃寺をいくつか巡ることができた。                      .
岡山名物きびだんごをお土産に、帰りも青春18きっぷを使ってのんびり列車の旅だ。
 

帰りは赤穂線経由。播州赤穂駅での乗り換え時の光景。西の空のグラデーションが美しい

 

 

岡山・福山・津山「青春18きっぷ」で巡る廃寺の旅(完)