岡山・福山・津山「青春18きっぷ」で巡る廃寺の旅(その4)~極楽浄土はかくあるべし | 日出ヅル處ノ廃寺

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古代寺院跡を訪ねて

2023年になりました。明けましておめでとうございます。
 

元日は、昨日の鬼ノ城と同様、かねてから楽しみにしていた耕三寺(こうさんじ)へ初詣

が!ハイジストたる者、その前にひと廃寺。福山のひとつ隣、東福山駅に向かう。


夜が明けきらぬうちから目指したのは、国指定史跡である宮の前廃寺(みやのまえはいじ)。
文字どおり神社の前に残る古代寺院跡だ。
東福山駅から平坦な道を北へ分ほど歩くと、小高い丘に至る。ここが目的地になる。
 

中央の道の奥が八幡神社。その手間に宮の前廃寺がある

 

【6】宮の前廃寺訪問オススメ度★★★~ 港の繁栄を見守ってきた寺院

 

参道の中ほどまで上ると左右に平坦地があり、右に塔、左に金堂を配置する法起寺式の伽藍であることがよくわかる。
講堂跡は見つかっていないが、地形的に立地できそうな余地はないので、おそらく講堂なしの伽藍だったと考えられているようだ。

 

八幡神社への参道両側に遺構がある

 

金堂跡は基壇の外形位置が地先ブロックで示されているだけだが、塔跡は塼積み(せんづみ)の基壇と礎石が復元されており見応えあり。

 

金堂跡

 

塔跡。心礎には水抜き用の溝が彫られている

 

復元された塔跡の積基壇


そうこうしているうちに、朝日が当たり出した。雲が多いものの本年の初日の出である。
一帯がオレンジ色に染まってくる。まさに「日出ヅル處ノ廃寺」だ

 

塔跡越しに朝日が昇る


宮の前廃寺も昨日の栢寺廃寺と同じく、人名の書かれた瓦が出土しているが、平安期には途絶したらしい。

 

昔はこのあたりまで入海(いりうみ)が入り込んでいたといい、江戸後期の記録によると、この場所にかつて「海蔵寺」があったと書かれていたというから、交通の要所である港に関連して造営された寺院だったのかもしれない。

 

宮の廃寺遠景。中央右に塔跡

 

宮の前廃寺を後にして東福山駅まで戻り、電車を乗り継いで三原駅へ。

ここから連絡船で生口島(いくちじま)に渡る。

 

三原港では巨大なスクリューと錨がお出迎え

 

三原港と瀬戸口を結ぶ連絡船。正月で間引き運転されていて1時間ロス(情弱)


生口島は全域尾道市に属していて、広島や福山からバスも運行されている。

連絡船は島の北西部、隣の高根島との間にある瀬戸田水道の南端部、瀬戸田港に到着する。

町おこしのテコ入れをしている商店街を抜けて少しばかり歩くと耕三寺だ。

 

ここはお寺ではあるが「耕三寺博物館」という博物館施設でもあり、拝観料ではなく入館料を払って内部を見学することになっている。

入館料は大人ひとり1,400円ナリで、本境内のほか未来心の丘と金剛館が見学できる。

 

耕三寺山門前。瀬戸田港から徒歩10分ほど


耕三寺のことを初めて聞いたときは、ちょっと昔の成金(ごめんなさい)がカネに任せて作り上げたキワモノ系パチモン寺院の総集成だと思っていたのだが、現地に来てこれは大きな誤解であつたと反省した。


この寺院を創建した耕三寺耕三さんは、母の菩提を弔うためにこの地に極楽浄土を再現したかったのだろう。仏説阿弥陀経に説かれるような浄土の荘厳を再現するため、我が国の有名な寺院建築をベースにしつつも、極彩色で彩られた仏閣とするため、陽明門のモチーフを用いて装飾を施したのではなかろうか。

 


彩る彫刻類も手の込んだもので本格的な仕上がりだ
 

これからは耕三寺の堂塔を写真でご覧いただこう。

まずは中門法隆寺の中門をモチーフにしたものだ。

 

雲形肘木、エンタシスの柱、卍崩しの欄干、人字形割束といった「法隆寺モチーフ」を導入

 

五重塔室生寺五重塔を模したものだという。

 

五重塔の高さは約16mで、これも室生寺の五重塔と同じ

 

孝養門 。言わずと知れた日光東照宮の陽明門が原型。完成まで実に10年を費やしたという。

 

両脇に本堂に向かってL字型回廊が取り付く

 

本堂。こちらも言わずもがな宇治平等院鳳凰堂をモチーフにしたもの。

中央の中道に本尊阿弥陀如来像、向かって左の東翼楼に奈良興福寺の釈迦如来坐像、反対側の西翼楼には巨大な不空羂索観音像が安置されている。

 

扉のサイコロの目のようなデザインが斬新すぎる

 

すべては紹介しきれないが、これらの堂宇のうち本堂はじめ15棟が登録有形文化財に指定されている。一カ所でこれほど指定されているのはここだけではないだろうか。

実際、チャチな感じは微塵もありません。参りました。

 

面白いと思ったのが、五重塔を挟んで対峙している同型の建物。

東側が法宝蔵、西側が僧宝蔵と称しているが、これらは大阪の四天王寺の金堂を模しているという。

 

東側の法宝蔵。反対側の僧宝蔵も同じ造り

 

現在の飛鳥様式で再建された四天王寺金堂とは違っているのは一目瞭然だが、参考にしたという江戸期の金堂とも少々異なる部分があるらしい。

そうであっても、錣葺 (しころぶき)の屋根や、一層目にめぐらされた裳階 (もこし)などは、かつての四天王寺金堂のありし日の姿を偲ばせてくれる。

 

案内板によると、耕三寺は「大阪四天王寺の伽藍を模範として建てられた」とあり、大阪で成功を収めたという耕三寺耕三さんにとって四天王寺は身近な存在だったに違いない。

耕三寺の伽藍は「四天王寺式」とは言いがたいが、中央に塔が配列されるのは四天王寺の影響なのかもしれない。

 

中門から伽藍を眺める。センタリング伽藍であることが見て取れる

 

耕三寺は仏像も素晴らしいものだった。いくぶん経年変化を遂げているとはいえ、極彩色の諸仏が堂塔に収められているのはなかなかの眺めである。

 

グラデーション光背の如意輪観音(かな?)

 

どこに安置されていた仏様かは忘れてしまいました....すみません

 

こうした目のくらむような堂塔や諸仏を眺めてるうち、四天王寺や薬師寺のような古代の再現寺院ですら地味で抑制された意匠だと思えるようになってきた。
「本当の極楽浄土はこのようなものだと思わないかね?」という耕三さん声が聞こえてきそうである。

 

耕三寺でお腹一杯になったので、帰路に就くことに。

帰り際に耕三寺の少し東側にある「金剛館」と、国宝の三重塔がある向上寺に立ち寄り、再び海路で三原に戻ります。

 

金剛館は耕三寺の美術コレクションを収蔵する新宝物館として建設された施設

 

潮音山に登る途中で耕三寺を遠望する

 

潮音山頂上展望台から向上寺三重塔を望む。絵葉書にありそうな風景だ

 

三原に戻り、名物のたこ料理でも食べられると良かったのだが(たこは大好物)、あいにくと正月休業の店ばかりでかなわず。

仕方ないので、三原駅でコンビニで本日の反省会用のおつまみを購入。

せんじ肉」なるものは初めてだったが、これは絶品でしたよ。

 

本日はこれからJRで津山まで行き、そこで泊。

 

反省会のお供。しっかりと反省します(気合)

 

 

(その5)に続きます