因島の風景と、瀬戸内海の海賊 | アメリカの空から日本へ 第2の人生を始めます!

アメリカの空から日本へ 第2の人生を始めます!

12年半のアメリカ生活を終え、2021年3月、日本に本帰国しました。NYC、ヒューストン、サンノゼ、シアトルと転勤を繰返した夫とともに、全米を旅した日々はかけがえのない宝物。これから日本で始まる第2の人生とアメリカの思い出を綴っていきます。

尾道市街地からしまなみ海道を走って、気軽にアクセスできる因島。観光客の中にはけっこう外国人の姿も。風光明媚で歴史遺産あり、なかなか魅力的な島です。

 

見所のひとつが、白滝山展望台。標高227mの山頂から、瀬戸内海の多島美を見晴らすことができます。

因島の主幹産業である造船所も、いかにも瀬戸内らしい風景。

 

1569年、因島村上水軍6代当主がここに観音堂を建立しました(因島観光のキーワードは、村上水軍!)

その後、白滝山上に清浄なる世界を表現しようと、五百羅漢の石仏が造られました。

大小700体もの石仏が所狭しと並ぶ姿は、圧巻。

一体ずつよく見ると、仏さまはいろいろな表情をされていて、心なごみます。

膝の羅漢像。その像の膝を撫でると、膝の痛みがやわらぐと言われています。

 

本堂裏の恋し岩は恋愛パワースポットと言われているそうですが、あまりに悲しい伝説。

戻ってこない恋人を待ちわびて娘が身投げし、それを知った恋人が彼女の化身として現れた岩を背負って観音堂に運び、一生かけて供養したと言われています。

 

もう一つの見どころは、因島水軍城。

南北朝から室町・戦国時代にかけて海と島で活躍した村上水軍の武具や歴史資料が展示されています。

戦国時代、宣教師ルイス・フロイスは、強大な力で瀬戸内海航路を支配した村上水軍(またの名を村上海賊)を、「日本最大の海賊」と呼びました。

おやすみ(この当時の日本の軍事力は非常に強大だったから、日本は西洋の植民地になることを免れたのだと思う)

 

2016年に日本遺産に認定された、村上海賊。村上水軍という語が長く定着していましたが、Navyでは彼らの多様な活動を表現できないため、最近では当時の古文書に見える「海賊」という語を用いています。

世界の海賊と言えば、他船を襲って略奪を行う無法者の集団をイメージしますが、村上海賊はむしろ海の安全を守り、海上交通の秩序を保つために必要な人々であったことがわかっています。

海の武士団であり、護衛や水先案内人、ときに漁業者としても活動していたようです。

このため日本遺産では、Pirateではなく、Navyでもなく、日本独自の存在として Kaizoku という語で世界に発信しました。

 

因島水軍城の近く、金蓮寺の墓地に、村上一族とその家臣たちのお墓があります。質実剛健な武将の夢の跡を偲びました。

 

そのほかにも、因島出身の天才棋士をしのぶ本因坊秀策囲碁記念館、耳の神様として信仰されている大山神社などの見どころも。

次は、真っ白な除虫菊が花開く5月に来てみよう!