倉敷観光で忘れてはならないのが、大原美術館。
日本初の私立西洋美術館です。倉敷の実業家である大原孫三郎が、洋画家の児島虎次郎に託して収集した西洋美術などの作品を公開するため、1930年に開館。
日本に美術館がほとんど存在しなかった時代に、倉敷のような地方都市に美術館をつくるとは、大原氏の芸術に対する熱意や先見性はたぐいまれなものがあったのでしょう。
ギリシャ神殿のような外観は、1930年の創設当時の姿をとどめているそうです。
私は小学校のとき初めて大原美術館を訪れたのですが、その記憶はほとんどありません。
しかしここ数年、原田マハさんの小説を読みあさった結果、この美術館のコレクションがいかに奇跡的にすごいものであるかが分かります。
モネの「睡蓮」は、晩年のモネ本人から児島氏が直接購入したもの。
エルグレコの「受胎告知」は、1922年に児島氏がパリの画廊で売りに出ているものを偶然見出したもの。
そしてピカソの「鳥籠」やゴーギャンの「かぐわしき大地」、ルノワール、ロートレック、マティスなど、西洋美術の魅力が凝縮されています。
さらには岸田劉生、棟方志功ら日本の美術、バーナードリーチ先生の陶磁器、古代エジプトや西アジアの美術品まで、幅広いコレクションを誇ります。
館内は写真撮影禁止。名画の数々を、しっかり目に焼き付けました。
大原美術館の外で、日本人観光客の団体とすれ違いました。
ガイドさんは「大原美術館の絵画に価値があるから、倉敷は戦時中に空襲を免れました」とさらりと言って、観光客たちも無表情にさらりと聞き流していました。
旦那さんは小声で「それはひどい」とつぶやいた。
それって、アメリカが日本の国民の命より絵画のほうが価値があるとみていたという、すごく屈辱的な言い方じゃないですか。アメリカは日本を占領した暁には名画を盗る気満々だったのかもしれない。
子供の頃学校で「第2次世界大戦のときアメリカ軍は京都を空爆しなかった。京都の文化財の価値に気づいていたアメリカは文化度が高い」と教えられたことを思い出した。今なら、そんな自虐的に歴史を語るなと怒るところです。
ちなみに倉敷に文化財があったから空襲されなかったという説は根拠がなく、倉敷も空襲予定リストに入っていたとも言われています。
大原美術館の中庭では、地元スイーツなどのマルシェが開かれていました。