ひいくんの読書日記 -3ページ目

ひいくんの読書日記

ひいくんが、毎日の通勤電車の中で読んでいる本を紹介します。
通勤時間は30分ほどなので、軽い読物がほとんどです。

17歳の少女ノーラは、恋人アイリス親友ウェス銀行を訪れます。
アイリスウェスがぎくしゃくしていることに悩む彼女でしたが、そんな状況を銃声が吹き飛ばします。
銀行強盗によって人質にとられてしまう彼女たちでしたが、ノーラ奴らを出し抜く術を考えていました。
詐欺師と様々な修羅場を潜り抜けてきたノーラは、恋人親友を助け出すためとともに捨てた詐欺の技をもう一度使うことを決意します。

物語は、“わたし”こと17歳のノーラが、親友元カレウェスと現在の恋人アイリスと共に、チャリティの基金として集めたお金を預けるために地元の銀行を訪れるシーンを描く「1 八月八日 午前九時九分」という章から始まります。
元カレ今カノとの関係で悩むノーラでしたが、銀行の窓口でノーラたちの前に並んでいたが突然、銀行強盗に早変わりします。
次の章「2 午前九時十二分(人質になって十五秒)」になり、銀行強盗は、白人で身長6フィートぐらいの赤の野球帽のと、同じく白人で灰色の野球帽の2人組であることがわかり、ノーラはこの2人をレッドキャップグレイキャップと名付けます。
銀行内には、ノーラたち3人の他に、列の最前列にいた1人の女性と窓口の女性、客用の椅子に座っていた10歳ぐらい女の子がいました。
強盗犯は、銀行支店長フレインを呼ぶように窓口の女性に迫りますが、女性支店長はいないと答えます。
そこに警備員の男性が戻って来て、レッドキャップに銃で撃たれ、その混乱の中、ノーラリーに携帯でSOSのメッセージを送ります。
そして、ノーラ銀行強盗たちを観察しながら、この危機的状況からどうすれば脱出できるのか考え始めます。

ノーラがこのような危機的な状況の下でパニックにならずに落ち着いて行動できるのは、ノーラのこれまでの人生に理由がありました。
ノーラは、詐欺師母親アビーことアビゲイル・デヴローによって、人を騙す技術を幼いころから身につけさせられ、母親詐欺の手伝いをさせられてきていたのでした。
母親は、詐欺のターゲットに合わせて、ノーラの名前や髪形、服装だけでなく、行動パターンや性格も変えさせましたので、ノーラは、これまでレベッカサマンサヘイリーケイティアシュリーとさまざまな名前の女の子としての人生を送ってきたのでした。
ノーラは、ウェスアイリスを救うためにも、この母親から仕込まれたテクニックを使って、この危機的な状況から脱出するために戦うことを決意します。

物語はこのノーラたちの現在の状況を描く章に、さまざまな女の子として過ごしたノーラの過去を描く章がランダムに挿入される形で進行します。
ノーラたちの現在の状況を描く物語は、ノーラウェスアイリスが知恵を凝らし、限られた物資を生かして、武装強盗に立ち向かう様子を描く典型的な冒険活劇です。
ノーラたちの活躍がサスペンスフルに描かれ、読むのがやめられなくなります。
一方、ノーラの過去を描くパートでは、ノーラが母親から詐欺師として育てられる過程が描かれます。
このパートは、自らの意思ではなく犯罪者として育てられる子どもの悲劇を描きながら、リーの力添えもあり、少しづつ自己に目覚めていくノーラの成長を描くビルディング・スロマンです。
また、ノーラ銀行強盗たちと戦う決意を固めることになるウェスアイリスとの友情と愛情を描く青春小説でもあります。
終盤、自らの新しい人生を構築するためにするノーラの決断に、ウェスアイリスが協力する場面がノーラの新しい人生を象徴しているようで印象に残りました。


600ページ近い長編ですが、1ページ目からノーラの今後に希望が見える最後のページまでノンストップで読みたくなるまさにページターナーな一冊でした。

 

 

表紙のイラストは、イラストレイターのしまざきジョゼさんです。
描かれているのは、犯行現場となった銀行の建物の前に立つノーラでしょうか。
しまざきジョゼさんのツィッターはこちらです。→https://twitter.com/joze_phine_

[2023年3月9日読了]

全国各地を旅する昆虫好きの心優しい青年魞沢泉
が解く事件の真相は、いつだって人間の悲しみや愛おしさを秘めていました。
注目の若手実力派が贈る、第74回日本推理作家協会賞第21回本格ミステリ大賞を受賞した、連作ミステリの第2弾です。

5編の短編が収録された連作短編ミステリです。
蟬〔せみ〕かえる」    
コマチグモ」  
彼方の甲虫」   
ホタル計画
サブサハラの蠅

主人公の魞[魚へんに入]沢泉〔えりさわせん〕は、昆虫オタクの飄々とした少しとぼけた感じの30代の青年ですが、訪れた先々で昆虫だけでなく不可思議な事件に遭遇してしまいます。

各編では、災害ボランティアとして来て以来、16年ぶりに山形県西溜村を訪れた糸瓜京助が、修験道の霊場だった御隠神社で、上高地大学昆虫食の研究をしている鶴宮虫好き青年魞沢に出会い、2人に16年前にこの場所で不思議な少女に出会った話をする「蟬かえる」、団地で倒れている人がいるという通報を受けて現場に向かっていた救急車が、途中で車にはねられて倒れている中学生に遭遇し、その中学生とその直前に話をしたことから魞沢唐津担之巡査部長桂木弓巡査から事情聴取を受けることになる「コマチグモ」、丸江ちゃんこと瀬野丸江魞沢と知り合いになった経緯は、前作『サーチライトと誘蛾灯』(https://ameblo.jp/hiikun-book/entry-12594990177.html)の第4話「ホバリング・バタフライ」で描かれています)の始めたペンションに招待された魞沢が、スカラベのペンダントをしたナイル上流出身のアサル・ワグディという青年と知り合いになる「彼方の甲虫」、サイエンス雑誌編集長斎藤が、中学生常連投稿者ナニサマバッタ君から8年目に斎藤の前から姿を消したライター繭玉カイ子がいなくなったと聞き、北海道に向かう「ホタル計画」、エジプトから帰国した魞沢が、空港で南スーダンから帰国した“越境する医師たち”のメンバーの江口海に10数年ぶりに再開し、2か月後、研究のためツェツェバエのサナギを持ち帰った江口の自宅を訪ねる「サブサハラの蠅」と、いずれも昆虫がらみの事件が描かれます。

私のお気に入りは、第4話「ホタル計画」です。
物語は、サイエンス雑誌アピエ』の二代目編集長筆名オダマンナ斎藤が、中学生常連投稿者ナニサマバッタ君からの電話を受けるシーンから始まります。
電話で、8年前に斎藤の前から姿を消したライター繭玉カイ子がいなくなったと聞いた斎藤は、早速、鉄道で北海道函館駅から普通列車で25分の無人駅に向かいます。
3年前にカイ子と知り合ったというバッタくんによると、カイ子は自宅の古民家カブトムシを育てており、自宅の前の水田ホタルを蘇らせる“ホタル計画”を進めていたとのことでした。
そして、もし自分に何かあったら、斎藤編集長に連絡してほしいと言われていたのことでした。
カイ子が残した数枚の写真と、カイ子が姿を消したのとほぼ同時に東斗理科大学長下部教授が変死したという事実から、藤はカイ子がいなくなった真相を探り始めます。
カイ子の身に何が起きたのかというホワットダニット〔whatdunit〕ミステリの秀作です。
最後まで正体を明らかにしない魞沢の鮮やかな推理と、温かい心遣いが印象に残りました。


ミステリとしては、何が起きているのかわからない状況下で物語が進行するホワットダニット〔whatdunit〕ミステリです。
そして、何が起きているかが判明した後は、犯行の動機という謎を解くホワイダニット〔Whydunit〕謎解きミステリとなります。

巻末の「解説」で法月綸太郎氏が、ホワットダニット〔whatdunit〕には、“①「いったい何が起こっているのか?」と②「今、何が起こりつつあるのか?」を問う二つのパターンが”あり、“「コマチグモ」「ホタル計画」は①のパターン”、“「彼方の甲虫」「サブサハラの蠅」は②のパターン”に属し、“表題作「蟬かえる」は①と②の要素を併せ持つ”と述べているように、この作品はホワットダニット〔whatdunit〕の魅力が満喫できる短編集です。

また、前作『サーチライトと誘蛾灯』をこのブログで紹介した際に、“探偵役の魞沢の内面や日常生活が明らかにされない”と書きましたが、この作品の後半の2編「ホタル計画」、「サブサハラの蠅」では、魞沢の過去が少しづつ明かされ、魞沢の内面に迫る作品となっています。
このシリーズ、人間の悲しみを感じるラストシーンが多いのですが、探偵役である魞沢に人間性が加わったことにより、そうしたシーンで魞沢の悲しみも感じられるようになり、物語は深みを増しています。

このシリーズの今後が一層楽しみになりました。

 

 

表紙のイラストは、イラストレーター河合真維さんです。
ホタルの舞う水辺で、指にトンボを止まらせている魞沢が描かれています。
河合真維さんのツィッターはこちらです。→https://twitter.com/kawai_mai

 [2023年3月5日読了]

若くして寡婦となったジェーンは、叔母の付き添いでカイロメナハウス・ホテルに滞在していました。
しかし、客室で若い女性客が殺害され、第一発見者となったジェーンは、地元警察から疑われる羽目になってしまいます。
疑いを晴らすべく真犯人を見つけようと奔走しますが、さらに死体が増えていきます。
アガサ賞最優秀デビュー長編賞受賞のエジプト高級ホテルを舞台にした旅情溢れるミステリです。

物語の舞台は、1926年9月中旬のエジプトギザメナハウス・ホテルです。
このメナハウス・ホテルピラミッドが見えることが有名な実在する高級ホテルで、アガサ・クリスティの『ナイルに死す〔Death on the Nile〕』(1937年)にも登場します。

1918年に戦争でを亡くし、22歳で戦争未亡人になったジェーン・ヴンダリーは、8年後、30歳になっていました。
で裕福なミリー叔母ことミリセント・スタンリーに誘われて、アメリカボストンからはるばるエジプトにやって来ます。
旅行費用はすべてミリー叔母持ちなので、大ピラミッドの近くのメナハウスという高級ホテルに滞在することになります。
ホテルに着いてすぐにミリー叔母ホテルバーラウンジに直行して飲み始めます。
ジェーンミリー叔母に付き合って飲んでいると、レドヴァーズという自称銀行員に話しかけられます。
ミリー叔母ジェーンの再婚のために、ジェーンに次々とを紹介していましたが、このミリー叔母からジェーンの名前を聞いたようでした。
しかし、結婚はもうこりごりだと思っているジェーンはそっけなく対応します。
また、ジャスティス・ステイントン大佐とそのアンナとも知り合います。
ジェーンステイントン大佐には好印象を持ちますが、高慢なアンナとは口論になってしまいます。

翌朝、ジェーンが朝食を終え、ダイニングルームに隣接したテラスに行くと、珍しく早起きしたミリー叔母リリアン・ヒューズマリー・コリンズという2人の若い女性と一緒にゴルフをしに、コースに向かうところでした。
ミリー叔母によるとリリアン父親と知り合いで、メナハウス滞在中、の面倒を見てやってほしいと頼まれたとのことでした。

メナハウス滞在3日目の朝、ジェーンが朝食に行こうと廊下を歩いていると、ステイントン大佐と出くわします。
大佐アンナを起こそうとしたが反応がないので、ジェーンの部屋に入ってみてくれないかと頼みます。
ドアを叩いても反応がないので、ジェーンが部屋に入ってみると、アンナはベッドの上で射殺されていました。
事件を担当するハマディ警部は、ジェーンアンナが口論をしていたことや、アンナの部屋にあったバッグの中にジェーンのスカラベのブローチが入っていたことなどからジェーンを容疑者とみなし、ジェーンホテルの敷地から出ないようにと申し渡します。
ハマディ警部に疑われていることを知ったジェーンは、その疑いを晴らすために自ら犯人を捜すことにします。

こうして事件の調査を開始したジェーンですが、調査に協力してくれるレドヴァースが本当に味方なのか、ミリー叔母の様子が奇妙に感じられるのはなぜなのかなど、ジェーンの悩みは尽きず、調査は暗礁に乗り上げます。
また、メナハウスに宿泊する自称革命家アモン・カナム・サマラや、ヴォードヴィル芸人チャーリー・パークスとそのディアナとも知り合いになりますが、全員、何か秘密があるようで、ジェーンは周囲に対して徐々に疑心暗鬼になっていきます。

ミステリとしては、関係者メナハウス・ホテル宿泊客従業員に限られ、関係者の多くに何か隠し事があるというイギリス本格ミステリの典型的な設定の下で、犯人とその動機というフーダニット〔whodunit〕ホワイダニット〔Whydunit〕2つの謎を解く謎解きミステリです。
しかし、その謎解きの完成度はそれほど高くなく、ジェーン素人探偵として思い込みの推理を展開しつつ、暴走気味に行動する様子をユーモラスに描くコージーミステリです。
また、探偵役が旅先で遭遇した事件の真相を探る様子を、その土地の旅情を交えながら描く中期のクリスティが得意としたトラベルミステリでもあります。


私は、最初、ジェーンの振る舞いに共感できず、違和感を持ちながら読み始めましたが、ジェーンの行動が過去のトラウマによるものだとわかり、納得しました。
この作品は、事件の調査を通して、いろいろな人と出会うことによって、悲惨な過去を乗り越えていくジェーンの再生を描く物語でもあります。
ジェーンレドヴァーズの間にかすかに漂うロマンスも楽しめます。

後半に入り、物語は一気にスピードアップし、アクションシーンも登場するなどサスペンスあふれる展開となります。
事件の真相やさまざまな謎が次々と解明される終盤の展開は圧巻です。


巻末の翻訳の山田順子さんの「訳者あとがき」によると、本国では既に続編が刊行されているとのことで、翻訳が待たれます。

 

 

表紙のイラストは、イラストレイター嶽まいこさんです。
メナハウス・ホテルダイニングルームに隣接するテラスに立つジェーンが描かれています。
嶽まいこさんのツィッターはこちらです。→https://twitter.com/mk_dake

[2023年3月1日読了]

オカルト雑誌に目をつけられた魔法使いマリィ八王子から姿を消してしまいます。
マリィ小山田のコンビは復活するのか?
八王子署の若手刑事・小山田聡介魔法使い少女マリィの名コンビが、魔法の力を借りつつ、八王子界隈の事件を解決していく人気ユーモアミステリー“魔法使いマリィシリーズ”の第4弾、最終回です。

4編の短編が収録された連作短編ミステリです。
魔法使いと幻の最終回
魔法使いと隠れたメッセージ
魔法使いと五本の傘
魔法使いと雷の奇跡

これまでのシリーズ作と同様に、冒頭で犯行場面が描かれ、犯人が明らかになる倒叙ミステリです。
八王子署刑事課刑事小山田聡介は、小山田家住み込みの家政婦として働く魔法使い少女マリィ魔法犯人を知りますが、それだけでは逮捕できないため、証拠集めに奔走します。
上司美人警部椿木綾乃に蹴られることに喜びを感じる一見ヘタレな聡介名推理が光ります。

各話は、売れないお笑い芸人服部富雄が、保険金目当てで小説家叔父服部憲次郎を殺害した直後、殺害現場の部屋に来た憲次郎夫人叔父の声を真似て返事したことから偶然にもアリバイが偽装される「魔法使いと幻の最終回」、塾講師熊田司郎が、大学准教授テレビタレントでもある美幸に罵られ、思わず殺してしまい、美幸が残したダイイングメッセージに気づき処分する「魔法使いと隠れたメッセージ」、音無辰哉が、会社の先輩エリート社員松山健人から片思いの相手桑原麻衣と結婚することを告げられ、そのショックから衝動的に殺してしまう「魔法使いと五本の傘」、叔父高岡源次郎が所有する土地を狙う高岡祐一が、遠縁弟分和田剛と共謀し、源次郎祐一を襲っている現場を2人の女性に目撃させ、正当防衛を偽装して源次郎を殺害する「魔法使いと雷の奇跡」と、アリバイ崩しあり、ダイイングメッセージありとバラエティに富んでいます。

私のお気に入りは、第1話「魔法使いと幻の最終回」です。
売れないお笑い芸人トミー服部こと服部富雄は、保険金目当てで小説家叔父服部憲次郎殺害します。
ところが、その直後、憲次郎夫人瑞枝殺害現場の離れの玄関をノックします。
富雄はとっさに叔父の声を真似て返事をし、その場を逃れますが、この結果、富雄の完璧なアリバイが偽装されることになります。
オカルト誌マー』の記者に自分の存在を気づかれたことを知ったマリィが、
八王子から姿を消してしまった(この経緯は、前作『さらば愛しき魔法使い』(https://ameblo.jp/hiikun-book/entry-12790901427.html)の最終話「魔法使いとバリスタの企み」に描かれています)ため、いつもマリィの力を借りて事件を解決していた聡介は、この富雄の完璧なアリバイに自分だけの力で挑むことになります。
憲次郎が書き残したはずの原稿の行方から、事件の真相に気づく聡介推理が鮮やかな1編です

これまでのシリーズ作と同様に倒叙ミステリとしての完成度は高いものがあります。
もちろん魔法使いが登場するファンタジーの世界でのミステリですが、謎解きミステリとしても破綻はありません。
第2話以降は、前作と同様にラブコメ色がかなり濃厚で、犯行現場に駆けつた聡介八王子署の“椿姫”こと39歳独身の椿木警部が“遅い”と叱責し、聡介がにやにやするシーンや、イケメン犯人椿木警部が心を奪われるシーンなどお約束のシーンも満載です。
一方、聡介マリィの関係は、第1話「魔法使いと幻の最終回」での、マリィの残した婚姻届を巡る聡介の軽率な行動によって大きく進むことになります。

毎回、楽しく読ませていただいたシリーズもこの作品で終了のようです。
ファンとしては少し残念ですが、マリィ聡介の幸せを祈っています。

 

 

表紙のイラストはイラストレーターMinoruさんです。
箒に乗るマリィ聡介が描かれています。
minoruさんのツィッターはこちらです→https://twitter.com/minoru200

[2022年2月27日読了]

荒井尚人は、ろう者から生まれた聴こえる子──コーダであることに悩みつつも、ろう者の日常生活のためのコミュニティ通訳や、法廷警察での手話通訳に携わっています。
荒井が出会った四つの事件を描く“デフ・ヴォイスシリーズ”第3弾です。

4編の短編からなる連作短編集です。
慟哭は聴こえない
クール・サイレント
静かな男
法廷のさざめき

第1話「慟哭は聴こえない」で、手話通訳士荒井尚人は結婚後も主夫業のかたわら手話通訳の仕事を続けています。
そんなある日、ろう者妊婦から産婦人科での手話通訳を依頼されます。
医療通訳は専門知識が必要で、しかも産婦人科であるために、荒井は苦戦しながらも丁寧に対応し、依頼者夫婦から信頼を得たようでした。
しかし、翌日、緊急のSOSが入ります。
ろう者による緊急通報の困難さを問題提起する1編です。

第2話「クール・サイレント」で、荒井HALというモデル俳優の記者会見の手話通訳を依頼されます。
完全に聴こえないもの聴覚口話法音声日本語も巧みなHALは、手話の個人レッスンを荒井に申し込みます。
ところが、HALが前に使っていた手話の方が“手話っぽい”という事務所の意向で、荒井のレッスンは中止となってしまいます。
ろう者俳優の苦悩を描く1編です。

第3話「静かな男」は、飯能署刑事課何森稔が、元簡易宿所で身元不明の中年男性変死体が発見されたという通報を受けるシーンから始まります。
男性の身元を探る何森は、そのがテレビの行事紹介なんかの番組の時に後ろの方でよく映っていた、映りにきていたのではないか、という話を聞きます。
そして、その映像を確認すると、手話のような動きをしているのがわかり、荒井に確認を求めます。
荒井手話通訳士ならではの着想で、の身元を明らかにしていく過程は圧巻です。
死体の身元というフーダニット〔whodunit〕を解く謎解きミステリの秀作です。


第4話「法廷のさざめき」で、荒井は旧知のNPOフェロウシップ”から民事裁判法廷通訳の依頼を受けます。
原告はろう者女性で、勤め先を雇用差別で訴えているとのことでした。
職場でかつて似たような経験した荒井は、蘇る当時の苦しい記憶に悩みながら、あくまで冷静に自分の務めを果たそうとします。
最後の弁論シーンが感動的な1編です。

これらの話とは、サブストーリーとして全編を通じて荒井家の6年間が描かれています。
荒井みゆき美和家族には大きな変化が生じます。
荒井ろう者悟志とそのろう者枝里の間に生まれたろう者息子は大学進学をめざしているようです。
また、最終話では中学2年生になった美和との関係に悩む荒井の様子も描かれます。
さらに、前作(『龍の耳を君に デフ・ヴォイス』)に登場した新開浩二(第2話「風の記憶」)と、漆原英知(第3話「龍の耳を君に」)が再登場するといううれしい驚きもありました。

サブストーリーが6年という長期間にわたることになったのは、巻末の「あとがき」での作者自身の説明によると、第1作『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(2011年刊行)と第2作『龍の耳を君に デフ・ヴォイス』(2018年刊行)の刊行間隔があいたものの、物語の中では2年ほどしかの進まなかったので、この作品(2019年刊行)で実際の時の流れに合わせるためとのことです。

2021年に刊行されたコロナ禍の荒井一家を描くシリーズ第4弾『わたしのいないテーブルで』の文庫化が待ち遠しいです。

 

 

表紙のイラストは、イラストレーター高杉千明さんです。
描かれている少女は美和でしょうか。
高杉千明さんの公式ウェブサイトはこちらです。→http://giggle.hacca.jp/

 [2023年2月22日読了]

デフ・ヴォイスシリーズ”のこれまでの作品を紹介したページは次のとおりです。
第1作『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(https://ameblo.jp/hiikun-book/entry-12783499744.html
第2作『龍の耳を君に デフ・ヴォイス』(https://ameblo.jp/hiikun-book/entry-12784372419.html