ケアマネとは一体、何者か?  柴口 里則のブログ -2ページ目

ケアマネとは一体、何者か?  柴口 里則のブログ

ケアマネージャーとは一体何者か? 
  介護保険制度が生み出した、このバカげた職種をぶった切る

 ケアマネ不要論は一休み。しかし、「そのケアマネと同じくらい無意味で馬鹿げたもの」は、福祉・介護の世界には、掃いて捨てるほど存在している。

その一つが、ここ10年間ほど普及している、「ユニット型特養」である。ご存知ですか?

 

 昔から知られている、いわゆる「特別養護老人ホーム」の新類型であるが、何ら、意味のあるものではない。

 昔ながらの特養、つまりは「従来型」は、病院の病室とほぼ同じである。長い廊下の両側に居室が並んでいて、個室から4人部屋まで設定されている。食事は多くの場合、体育館の広さには及ばないも、かなりの広間にて、集団で摂ることになる。

 対して、「ユニット型」は、基本的に全室個室で、その個室も10人ごとの生活空間に納められている。食事もその10人単位になる。一般の方々には分かりづらい建物になるが、建物全体では100人定員の施設であっても、100人定員の施設を10箇所に区分けしていると考えてもらえれば良い。

 

 しかし、この何とも高コストの建物形態によって、一体、何が改善されるのであろうか?個室を推進するのであれば、まだ判るが・・・。

 

 当初の目論見は「少人数、つまりは10人ごとの空間(ユニット)にして落ち着きを」ということだったのであろうが、そもそも、この特養に入所する人は、心身に著しい障害をかかえた方々である。「落ち着き」など意識するであろうか?

中には、ほぼ寝たきりで外界との疎通がない人もいる。このような人にユニット型のメリットは皆無である。逆に、身体的には問題がないも進行した認知症の方々は、施設内を徘徊して廻るので、それぞれのユニット間の行き来が出来る以上、自分のユニットも他のユニットも区別なく徘徊して廻る。その他、立位・歩行は可能であるもふらつきがあり転倒の危険がある人は、死角が多い建物なので、見守りがしにくくなる。明らかにこのユニット型が普及して転倒事故は増えているとのこと。

 

一方、職員側も問題を感じている。原則、各ユニット一人が配置されるが、あるユニットでは「てんやわんやの騒ぎ」になっている同時刻に、他のあるユニットでは「暇を持て余す」というなんともアンバランスが生じる。これが従来型であれば、忙しいところに職員を集中させることができる。

また、心身に著しい障害をかかえている利用者を相手にする以上、職員の精神衛生管理は重要になる。その環境の中、職員を一人にさせると、心理をコントロールできなくなり、暴力をふるってしまうなどの危険性がある。不思議な話ではあるが、他の職員と一緒にいると「せせら笑って終わらせることができること」も、一人になると「かっ」としてしまうものは、特養の介護職であればみんな経験していることなのだ。

 また、職員も病気で休むことはある。従来型であれば、「10人の職員が一人減って9人になる」で済む話であるが、ユニット型の場合、「ある特定のユニットが無人になってしまう」で、大騒ぎになる。

 

 一体、誰が、このような馬鹿がげたハードを考案・推進したのか?どなたか教えて下さい。

 恐らくはケアマネの制度と同じように、現場を全く知らない大学教授などが、机上論で考えて進めた結果なのではと、疑っている。

 

 責任を感じている大学教授へ告げる。

 

 今すぐ、自首しなさい。

 

 

 

 白澤政和・・・。

 

 この氏名(言葉)をYHAOO検索すると、私のブログの題名である「白澤政和という男」が、5番目あたりにでてくるから面白い。

 日によっては、三ケタの数字の数の方が閲覧下さってが、このあたりで検索サイトの上位にくる理由であろうか?

 

 そもそも私のブログは、ケアマネージャーという職種の無意味性を訴えるものであるが、このような馬鹿げた職種を考案した主要な犯人の一人が、この白澤政和という理解をしてほしい。

 

 この男、「白澤政和のブログ」と称して、2009年ころまで、ブログを書いていたが、2009年を最後にインターネット上での発言は止めている。確か、この時期は私がかみついた年月と一致する。

 

 私は、別のブログで紹介したが、ネット上での質問にまともに答えられずに大恥をかいた一件の時期である。

 「多くの利用者は、介護サービスをまことに上手に取捨選別して介護生活を成立させている。ケアマネのすることと言えば、利用者の決めたサービスの理由づけをサービス計画書に記載している。ケアマネさんって、一体、何のためにあるの?」に対して、「そんなこと、私の(執筆した)本に書いてあるから、それを読んでから言ってください」。

 

 真摯な私は、その本を読んで勉強しようと具体的な書籍の照会をお願いしたが、一向に回答が来ず。当時、白澤は大阪市立大学の教授であったことで、文部科学省にまで苦情の電話をして、とほうもなく時間がかかって来た回答は、書籍の照会はするも、その本のどこに答えがあるのか、答えることができずに終わっている。

 

 恥ずかしい男だ。

 

 

  ケアマネさんって、「介護のことなら何でも知っている人」。

 

 そう思い込んでいる方々が多いのでは?と心配しています。

 

 なぜかというと、まず、あのケアマネの資格試験のレベルの低さ。午前中2時間で終わる筆記試験は、高校生、いや、もしかしたら中学生でも合格できてしまう内容ではないか。

 それでいて、合格率が20%前後。その合格者がすべて9割正解で合格できているのかと思えば、やはり他の資格試験のように6割前後というから、呆れてしまう。

 あんな易しい問題で6割では、実際には、中心になる介護保険法もよく理解していないし、現場で多くの問題に遭遇した場合に参考になる行政通知やQ&Aなどは、全く知らないのである。

 

 加えて、現実問題、介護サービスにはそれぞれの専門がいるものである。だだっ広く、薄い知識しかないケアマネよりも、それぞれの専門家のがよっぽど頼りになる。

 

 例えば、介護用品のレンタルであれば、その会社の営業マンのが、その分野における知識ははるかに卓越している。

 

 例によって、ケアマネ不要論である。

 このような場合、利用者と介護用品会社の営業マンで相談して、「何をレンタルする」と決めると、それが、ケアマネに伝えられて、ケアマネのすることと言えば、その「借りるものの理由づけ」でしかない「介護プラン」というゴミになる書類を作成するだけだ。

 

 そして、利用者宅を訪問して、印鑑をもらうのみ。

 

 こんなことを繰り返しているうちに、多くのケアマネは自身の存在の無意味性に嫌気がさして、辞めていくのである。

 

 全く、白澤政和は、なぜ、こんなバカな職種を考案したのだろう?????