ケアマネとは一体、何者か?  柴口 里則のブログ -3ページ目

ケアマネとは一体、何者か?  柴口 里則のブログ

ケアマネージャーとは一体何者か? 
  介護保険制度が生み出した、このバカげた職種をぶった切る

  白澤政和・・・。という男。

 

 この男は、元大阪市立大学の生活科学の教授であった。

 

 以前お知らせした通り、この「ケアマネージャー」という馬鹿げた職種を考案した「真犯人」である可能性が極めて高い人物だ。

 

 

 平成20年ころだったか。この白澤政和の存在を知り、ネット上より、以下のお尋ねをしてみた。

 

 「私が居宅ケアマネを経験する中で疑問を感じるのは、利用者とそのご家族は、ケアマネである私が何も助言しなくても、諸々のサービスを、誠に上手に取捨選別して、介護生活を実現させていることです。ケアマネのすること言えば、利用者が上手に取捨選別したサービスを利用する理由を、形だけのサービス計画書に記載するだけです。ケアマネって、一体、何ですか?」

 

 それに対して、以下のような回答が来た。

 

 「そんなこと、私の書いた(執筆した)テキストに書いてあることです。きちんと勉強してから聞いてください」

 

 素直な私は、白澤政和の執筆したテキストで勉強しようと、具体的なテキスト名とそのテキストのどこに前述の疑問の答えがあるのかを再度お尋ねした。

 

 ところが、その後、何日経過しても、返答はありません。大阪市立大学に問い合わせをしても要領を得ず。何度も大学に電話をしては、大喧嘩を繰り返しましたが、やはり返答なし。

 最初に電話をしてから、すでに2.3カ月が経過していたでしょうか。大学の所管である、文部科学省に苦情の電話を入れたことで、ようやく来た返答は以下のようなものでした。

 

 「ケアマネが指南しないと、いずれは、家庭での介護生活が維持できなくなるから」とのこと。

 

 勝負あった。だってそうでしょう。

 そもそもお尋ねは、「ケアマネが指南しなくても、利用者の取捨選別したサービスにより、まことに理想的な介護生活が実現できているのに、なぜ、ケアマネが必要なの?」でした。

 

 答えになっていませんね。

 

 そもそも大学教授の頭のレベルはこのレベルだったことになります。

 

 日本という国全体が、このような頭のレベルの男に翻弄されているのは、まさに、負けると分かって突っ込んでいた、大東亜戦争と同じ。

 

 もっともこの時代の国際社会は、食うか食われるかの生き残りレースであったことを考えると、日本という国の独立を維持するために「負けるから戦争をしない」という選択肢がなかった事情もあったのでしょう。

 

 しかし、この白澤政和のケアマネジメント理論は、あまりの稚拙すぎる。なぜ、この平和な時代に、このような稚拙な男が、公立大学の教授になることができてしまい、また、国全体が、この男に引きずられてしまったのか?

 

 全く、理解できない。

 「ケアプラン」・・・。この、何とも、もっともらしい言葉の響きと意味。

 

 日本語に訳せば、「介護の計画」と読み取れるし、理屈で考えれば、それほどの違和感は覚えないはずである。なぜなら、「ケアマネージャーの計画した介護計画に基づいて介護サービスを実施する」ということである。

 例えば、工場であれば作業指示書などに基づいて現場の作業員は物をつくる訳であり、これになぞらせれば、一応はまっとうな考え方である。

 

 しかし、この考え方は介護現場を全く知らない人の理屈。

 

 例えば・・・。

 家庭の奥さんが家事をするときに「家事プラン」などという、「紙」を見て家事をするだろうか?

 子育てをする際に「子育て計画書」などという、「紙」を見て、子育てをするだろうか?

 

 このように、介護というのは、工場の生産ラインでものを作ることとは、本質的に意味が違う。試行錯誤を繰り返しながら、生活を維持・発展させていくものであり、計画など必要ではない。

 

 入院して要介護状態になって、退院に向けて、ケアマネと理学療法士の指南のもと住宅改修で、玄関の出入りに役立つ手すりの設置をした。しかし、道路から玄関までの距離が長いのでの、退院してしばらくしたら、実際には、距離の短い、部屋の窓から出入りをしているなどという事例は枚挙にいとまがない。

 

 プロ意識を露骨に出して指南しても、人間の体と生活は、そのプロ意識の専門性とやらは、意識していない。

  

 プロ意識を露骨に出して、作った。ケアプラン。結局のところ、ゴミになるだけの書類なのだ。

 

 

 

 

 

<あそこに手すりがあったらいいな!>

 

 私の高齢の母の弁。「ここに手すりがあったら、靴を履くとき楽なんだけど・・・」。毎日のように玄関で靴を履く際に言います。

 

 このセリフを聞いていると、そのたびに「ケアマネって一体何をする人なの?」と素朴な疑問を持つものです。

 

 ケアマネは、元大阪市立大学教授だった白澤政和が考案した職種である。  

 

 この男の専門は、実は、「生活科学」。にもかかわらず、私の母の言動が、どこのお宅でも見受けられるあたり前の生活実態であることを知らない。

 

 白澤政和の思考回路はこうだ。

 「足腰が弱った高齢者は、靴を履く際に難渋した際に、どうしてよいのかわからない。だから、ケアマネが手すりをつけることを指南してやらなきゃならない」ということなのだ。

 

 白澤政和は、何とも救いようのない途方もなないおバカさんなのだ。

 

 

 

 その結果、ケアマネのすることはこうだ。

 

 利用者:介護保険でここに手すりをつけたいんですけど。

 ケアマネ:はい、わかりました。サービス計画書を作ります。

 利用者:業者に依頼して手すりをつけたら、玄関で靴が履きやすくなりました。

 ケアマネ:訪問して「(サービス計画書の)印鑑ください」

 利用者:「(サービス計画書を見て)あら、この紙、何かしら。ゴミになっちゃうから捨てよう」

 

 以上が、福祉に貢献した、「ケアマネ物語」でした。