白澤政和・・・。という男。
この男は、元大阪市立大学の生活科学の教授であった。
以前お知らせした通り、この「ケアマネージャー」という馬鹿げた職種を考案した「真犯人」である可能性が極めて高い人物だ。
平成20年ころだったか。この白澤政和の存在を知り、ネット上より、以下のお尋ねをしてみた。
「私が居宅ケアマネを経験する中で疑問を感じるのは、利用者とそのご家族は、ケアマネである私が何も助言しなくても、諸々のサービスを、誠に上手に取捨選別して、介護生活を実現させていることです。ケアマネのすること言えば、利用者が上手に取捨選別したサービスを利用する理由を、形だけのサービス計画書に記載するだけです。ケアマネって、一体、何ですか?」
それに対して、以下のような回答が来た。
「そんなこと、私の書いた(執筆した)テキストに書いてあることです。きちんと勉強してから聞いてください」
素直な私は、白澤政和の執筆したテキストで勉強しようと、具体的なテキスト名とそのテキストのどこに前述の疑問の答えがあるのかを再度お尋ねした。
ところが、その後、何日経過しても、返答はありません。大阪市立大学に問い合わせをしても要領を得ず。何度も大学に電話をしては、大喧嘩を繰り返しましたが、やはり返答なし。
最初に電話をしてから、すでに2.3カ月が経過していたでしょうか。大学の所管である、文部科学省に苦情の電話を入れたことで、ようやく来た返答は以下のようなものでした。
「ケアマネが指南しないと、いずれは、家庭での介護生活が維持できなくなるから」とのこと。
勝負あった。だってそうでしょう。
そもそもお尋ねは、「ケアマネが指南しなくても、利用者の取捨選別したサービスにより、まことに理想的な介護生活が実現できているのに、なぜ、ケアマネが必要なの?」でした。
答えになっていませんね。
そもそも大学教授の頭のレベルはこのレベルだったことになります。
日本という国全体が、このような頭のレベルの男に翻弄されているのは、まさに、負けると分かって突っ込んでいた、大東亜戦争と同じ。
もっともこの時代の国際社会は、食うか食われるかの生き残りレースであったことを考えると、日本という国の独立を維持するために「負けるから戦争をしない」という選択肢がなかった事情もあったのでしょう。
しかし、この白澤政和のケアマネジメント理論は、あまりの稚拙すぎる。なぜ、この平和な時代に、このような稚拙な男が、公立大学の教授になることができてしまい、また、国全体が、この男に引きずられてしまったのか?
全く、理解できない。