新潟県十日町市の廃校休校巡り④(2018/08/13) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

前回に引き続き十日町市の続編です。
①②では旧松代町を、③では旧松之山町から市内中部にかけて回りました。
前回記事①は⇒ こちらへ
前回記事②は⇒ こちらへ
前回記事③は⇒ こちらへ

十日町市は日本有数の豪雪地帯であり、積雪は3mに達します。

市内には少子化によって廃校となった小学校が10校以上あります。
幾つかの廃校は、3年に1度開催される「大地の芸術祭」の会場となっており、
国内外からの多くの人々が訪れ、廃校の有効利用と地域活性化に
役立っています。
今回は、市内東部(信濃川以東)の廃校休校巡りです。

 

十日町市街から県道74号を南下、途中から大池方面に折れて3kmほど

進みます。

 

丘の上に木造校舎が見えてきました。

 

左側の赤い屋根の校舎は新しめですが、

隣の校舎は、窓はサッシに改修されてはいるものの、

板張りの壁は老朽化しています。。

 

玄関には、除雪用のスコップや角材等が丸見え、

壁には脚立や梯子が立て掛けてあり雑然としています。

 

さらに奥に木造体育館、「ミティラー美術館」となっています。

インド芸術専門の私設美術館で、名称は北インドのビハール州に
古代あったとされるミティラー王国に由来するそうです。

 

開館時間(10:00~)前でしたので、館内には入れませんでしたが、

窓越しに見えたのは、風変わりなインド仏像でした。。

 

校舎の裏側

新旧校舎の対比がよく表れていますね。

 

校庭から大池に目を転じると、校門が2基建っています。

 

往時の門標が残っています。

 

片方は、公民館「大池分館」

赤い屋根の建物が公民館なのでしょう。。

 

児童達は、この階段を駆け上がって通学していたのでしょう。。

今は、苔が生して静かな佇まいです。

 

大池では釣り人が糸を垂れていました。

 

古い木造校舎の傍らで一面に咲いた蓮。

鮮やかなピンクの花が印象的でした。

 

校庭から見る森は、やがて白銀の世界になっていくことでしょう。

 

大池小学校(1982年廃校)

高度過疎集落に残る廃校です。

校舎の一部は、公民館「大池分館」として、

木造体育館は、私設美術館「ミティラー美術館」として利用されています。

 

県道74号をさらに南下し赤倉集落に入ります。

 

「あかくらん」

大地の芸術祭のオブジェが集落の入口に立っています。

 

校地には、芸術祭の幟が見られました。

 

こじんまりとした鉄筋校舎

十日町市の山間集落では木造校舎を数多く見てきたので

新鮮に感じられました。

 

奥に講堂が続いています。

 

校庭の奥、桜の木の間に半円形の赤いオブジェが目を引きます。

 

赤倉の村人たち一人一人の表情がリアルに描かれています。

タイの芸術家、ナウィン・ラワンチャイクンの作品「赤倉の学堂」です。

バチカン宮殿にあるラファエロ作の名画「アテネの学堂」を模した

大型絵画です。

 

校舎裏のプール跡

 

赤倉小学校(2003年閉校)

十日町小学校への統合に伴い閉校となりました。

山奥の限界集落では、1991年度の全校児童は5名、2001年度は2名となり、

郷土芸能「赤倉神楽」を守り伝える子供はいなくなりました。。

近年では、埼玉の小学校が校外学習として地元の人との運動会や

田植え・稲刈りを行っているそうです。
 

赤倉集落から県道74号を引き返し、途中から県道559に折れて北上します。

ジャングルのように鬱蒼とした森を横目に進んでいきます。

人家もない不安な道程です。

 

林道のように細く険しい道が続きます。

幸いにも対向車と出合うことはありませんでした。。

 

沿道の少し開けた畑地に分校跡の石碑を目にしました。

 

裏面に記された沿革

1876年 非公式ながら新座(しんざ)派出教場として民家を借りて発足

1947年 中条村新座小学校三ツ山分校

1954年 十日町市新座小学校三ツ山分校
1972年 十日町市飛渡(とびたり)第一小学校三ツ山分校

1991年 休校

2004年 閉校

2007年 校舎解体

 

石垣は校地の名残でしょうか。

畑地となっている高台に校舎が建っていたのでしょう。

休校になる前の児童は3名でした。

 

三ツ山集会所

分校跡かと思いましたが、先ほどの沿革の通り(解体済み)

関係ないようです。

ちなみに、飛渡(とびたり)は以下の14の集落からなる地域名だそうです。

(新水、魚之田川、轟木、焼野、嘉勝、池谷、三ツ山、蕨平、上田原、

菅沼、山新田、宇田ヶ沢、西枯木又、東枯木又)

 

県道59号から県道130号、県道388号と隘路を進み、

枯木又集落に着きました。

秘境の限界集落ですが、美しい木造校舎が残っております。

 

校庭を見ると、円形の田んぼを立木が囲んでいますが、

アート作品とのことです。

小ぶりですが、手前が講堂兼体育館、奥が校舎となっています。

 

一文字ずつタイルを貼った表札

 

窓や扉はサッシですが、下見板張りの壁は木目の濃淡が

味わい深いですね。。

校舎裏は、雑草が繁茂し荒れた状態です。

 

校庭から引き抜かれて錆びた鉄棒が壁に横倒しにされていました。

 

校舎の陰にひっそりと残るプール

村人たちが総出で造ったそうです。

 

3年に1度開催される大地の芸術祭の真最中だったこともあり、

構内を見学させていただきました。

天井は矢倉のように組まれていて、体育館にしては

低く感じられました。

 

教室のドアを取り外して天井から吊るしているのは悪戯ではありません。

2009年から枯木又分校を中心に、京都精華大学がアート活動に取り組んでおり、

このように校内に作品を展示しているのです。

子供のいなくなった廃校をアート作品の展示会場として活用しているのです。

 

廊下にも机や定規、太鼓が浮かんでいます。

 

床には意味不明な文章が。。

 

バスケットボールにバケツまで。。

一つ一つに何かの意味があるのでしょうが、

芸術的なセンスのない小生には全く分かりません。。

 

校舎落成記念の壺

1964年(昭和39年)、半世紀以上経っているのですね。。

空中に浮かんだ作品ばかり見たせいか、

落ち着いた気分で見ることができました。。

 

中条小学校枯木又分校(1989年休校、1991年再開、2006年廃校)

かつては飛渡第二小学校枯木又分校でしたが、

児童減少により休校、そして再開を経て
2005年、飛渡第二小学校閉校に伴い、中条小学校枯木又分校に

改称しています。

京都精華大学が「枯木又プロジェクト」と称してアート作品の

提示会場として利用しています。