新潟県十日町市の廃校休校巡り①(2018/08/11~12) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

十日町市(とおかまちし)は、新潟県の南部(中越地方)に位置する市です。 

日本有数の豪雪地帯として知られていて、多い年には2m~3mの積雪となり、

特別豪雪地帯に指定されています。

また、絹織物と魚沼コシヒカリの産地として知られています。

残存する幾つかの廃校は、3年に1度開催される「大地の芸術祭」の会場と

なっており、当日は開催期間中ということもあり多くの人々で賑っていました。

 

1回目は旧松代町(まつだいまち)を訪れました。

松代町は、新潟県の南西にあった東頸城郡(ひがしくびきぐん)の東端に

位置していた町です。
2005年4月1日に十日町市および東頸城郡松之山町、中魚沼郡川西町・中里村と

合併し新設の十日町市となったため消滅しました。

ちなみに、長野県にも松代町がありますが、こちらは「まつしろまち」と読みます。

 

国道403号を東へ進み上越市から十日町市へ入ります。

峠トンネルを抜けて進むと、棚田の案内看板が目に入り立ち寄ってみました。

星峠の棚田は、十日町市を代表する棚田で市内に点在する

棚田の中でも最も人気がある棚田スポットだそうです。

 

大小様々な棚田は、緑の貯水池のように斜面に広がっています。

四季折々の表情があり、日の出後の雲海に朝の光が差し込む時が

絶景とのことです。

その頃は多くのカメラマンや観光客が訪れるそうです。

 

星峠の棚田に近い道路沿いに学校跡が残っています。

道路を挟んだ手前の巨石には、「峠校跡」と刻まれています。

 

裏面の沿革史

1876年(明治9年)開校

1948年(昭和23年)~1952年(昭和27年)の間、奴奈川中学校峠分校が

併設されていました。

 

木造校舎は立方体でサイコロのような外形です。。

往時は長く続いていたのですが、解体されて一部が残っているようです。

 

ノスタルジックなトランペットスピーカ

 

峠小学校(1984年閉校)
廃校の危機を住民の請願により乗り越えてきた学校ですが、

近隣の室野(むろの)小学校とともに奴奈川(ぬながわ)小学校への

統合に伴い閉校となりました。

奥によく似た木造の建物がありましたが、詳細は不明です。。

 

国道403号を東へ進み、室野(むろの)地区を走っていると

沿道に校舎らしき建物が目に留まりました。

 

正面玄関ですが、往時は壁に校章や時計が掛っていたものと思われます。

1階の窓は羽目板で雪囲いをしたままです。

 

L字型に別棟が並んでいますが、こちらの平屋の建物は

商用車が数台停まっており、左官業者が使用されていました。

 

中で作業されていた方にお聞きしたところ、隣の白いトタン張りの建物は

室野中学校だったとのことですが、現在、しめ縄等の格納庫となっているそうです。

作業場として使用されている平屋の建物は、技術家庭科の教室棟だったとのことです。

 

奴奈川中学校(1979年閉校)

ネットで調べましたが、室野中学校に関する掲載が確認できないため、

詳細不明ですが、現場の方からの聞き取りと外形からみて校舎であったことは

間違いないようです。

※ご存知の方がおられたらご教授頂ければ幸いです。。

↑51さんからの情報により室野中学校⇒奴奈川中学校に訂正いたします。

松代中学校への統合に伴い閉校となりました。

国道403号と県道243号の分岐する場所に閉校となった校舎が

残っています。

まだ新しく現役校のように見えますね。。

重厚な建物は、上部が体育館、下部が教室となっています。

山あいの積雪の多い地域ではよく見かける構造です。

積雪時の移動に便利であること、敷地の節約になるメリットがあります。

 

近付いて行くと、多くの人や車で一杯です。

折しも、「大地の芸術祭 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ」の

拠点会場の一つとなっており、屋内外の芸術作品を観たり、

学食スタイルの食堂でお腹を満たしたりする人々で溢れていました。

 

草原となった校庭では、レールが敷かれ遊具に乗って楽しむ人々も

見られました。

 

古代遺跡のような学校跡記念碑

 

30年の短い歴史に幕を閉じました。

 

奴奈川(ぬながわ)小学校(2014年閉校)

松代小学校への統合に伴い閉校となりました。

1991年において全校児童38名の小規模校でしたが、

さらなる過疎少子化により、閉校時には11名まで減少していました。

現在は、大地の芸術祭「奴奈川キャンパス」として整備され、

各種イベントや地域コミュニティの拠点として活用されています。

 

国道403号池尻交差点付近から脇道(農道)を進みます。

付近は深い森林に囲まれ、標識も無く人家も疎らで不安な道程です。。

 

赤い屋根の倉庫のような建物が忽然と出現しました。

 

草むらに覆われてひっそりと佇む建物が校舎だったとは

誰が想像できるでしょう。。。

 

赤いトタン屋根は、近年修繕したらしくペンキに光沢がありました。

 

表に回ってみると、全面茶色のトタン張り、2階建ての構造となっています。

道路から中央入口までは、コンクリートで固められ、車が数台停まれるほどの
スペースです。

 

松代小学校池尻分校(1971年閉校)

付近には分校跡の石碑もないため、来た道を最寄りの民家まで引き返し

住人に声を掛け確認したところ、間違いないとのことです。

往時は1~3年生が通っていたが、冬季は3mにも達するほど積雪があり

除雪するのも大変だったそうです。

閉校後は建設会社が使用していたが、現在は地区の所有となり

農機具の倉庫として使用しているそうです。

 

国道253号を北上し、儀明交差点から脇道に入った場所に学校跡が

残っています。

青いトタン屋根、外壁は白のトタン張り、これまで見てきたのと同様に

倉庫のような外観です。

 

トランペットスピーカーと破れたカーテンは往時のままです。

 

狭い校庭の片隅に残る古タイヤを埋め込んだ遊具

 

往時の門柱

元々は別の場所にあったそうですが、道路敷設に伴い

移設されたそうです。

 

周りには、石碑も無いため近隣の住民に確認したところ、

間違いないとのこと、校舎はもっと横に長かったそうです。

校舎は一部解体し、車庫用に小屋を増築したようです。

閉校記念にもらったという箱に描かれていたのは、赤い屋根の立派な校舎でした。。

 

同じ敷地にある民家のような建物は、地区の公民館だそうです。

閉校後に新築されたとのことです。

 

儀明(ぎみょう)小学校(1993年3月閉校)

近隣の方のお話では、今年(2018年)6月まではバスの車庫として

使用していたが、現在は除雪車や消防車の車庫となっているそうです。

2階の教室は、仏具等の物置に使用されているとのことです。

1991年度の全校児童は14名でした。

 

雪国らしい屋根の農具置き場

急勾配の屋根で左右に雪を落とします。

 

雪国らしい屋根のガレージ(蒲鉾型)

蒲鉾型の屋根で雪を両側に滑り落とします。

 

沿道で見かけた花

南国系の花ですが、短い夏を謳歌するように一斉に咲いていました。。