何から書いたら… | ひぐさんの釣りブロ

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友人、知人、親戚の皆様におくる、釣りとか音楽とかバスケとか、とにかく我が家のお便りです。

久しぶりの更新ですな。


釣りネタがなかったものですからね。


ついに今シーズンはワカサギ釣りに行けませんでした。

長男は、何回か行ったんですけど。


先頃、母が他界しまして…。

それまで、明日はどうか、いや、今夜はどうかと案ずる毎日でしたから…。



それにしても

母には驚かされました。

ははは

いや、

母は

小学校の先生でした。

低学年を担任することがほとんどだったんですけど、

弔問に訪れる人に、

その教え子の多いこと!

中学の恩師、ならわかりますが、

6〜7才の頃にお世話になった先生の弔問に行きます?

6人の弔辞の申し出があり、

そのうち3人が教え子って。

おふくろ、どんだけ慕われてたの⁉︎

でも、

今、同じ職業にいて、

よくわかります。

自分の子供がかわいいのは、

多分一般的なんだと思います。

でも、学校で担任をしていると、

我が子と同じくらいの、

下手するとそれ以上の思い入れを持って接しているものです、先生というのは。


でも、正直なところ、

息子の立場、特に長男としては、

実は敏感に察しており、

幼い頃から、

母親には甘えられない

甘えたくても、

我慢しなくちゃいけない

そう思って育ってきました。


お兄ちゃんだから


葬儀に関する一切のことも、

自分がしっかりしないと

ともすれば折れてしまいそうな父を支えないと


喪主として挨拶してる父が、

もし倒れてしまった時には、

すぐ走り込んで支えられるようにと、

喪主挨拶の間中、身構えていました。


もちろん、

臨終の瞬間や

火葬でのお別れの場では涙も流れましたが、

こらえて              こらえて




葬儀も終わり、

はらいの席も片付き、

親戚も帰り、

これまでの生活が戻った晩のことです。

久しぶりのベッドに潜り込み、

女房におやすみを言って目を閉じた瞬間、


いろんな感情が一気に押し寄せてきて、

抑え込むことができなくなり

ベッドの上に飛び起きて、

声を上げて泣きました。

自分でもびっくりするくらい。


その瞬間の僕は、

数十年間抑え込んでいた、母の子どもとしての僕だったと思います。


斎場では母の昔の写真がスライドショーでずっと流れていました。

母は僕を24才で産んだので、

小さかった僕が一緒に写っているのは

まだ20代の頃。

息子が言うのもなんですが、

その頃の母は可愛らしく綺麗で、

素敵でした。

保育園の頃、僕が一番嬉しいことは、

「今日は(いつも預かってもらっているおばちゃんのところに行かないで)まっすぐ帰ってきていいよ」って言われることでした。

その日は、保育所から家までの川の土手の道を、全力で走って帰ったものです。

そして、家に入って迎えてくれたのは、

あのスライドショーの「ママ」の顔でした。



母にはもう会えないし、

聞きたいことがあっても聞けませんが、


この人の息子でよかったと思ったり、

この人には絶対かなわないやって思わせられたり、


いっぱい

いっぱい

ありがとう

です。



僕は

いい父さん


なれてるかな?

なれるかな?


いつかオレもそっちに行ったら、

母さん、

教えてちょうだいね