そこまで大学も行きたくないし就職もしたくない。バイトもしたくない。極力人と関わりたくない。というか何もしたくない。通勤通学ラッシュの電車も適当に都合のいい会話をするのも疲れた。あーあ、やっぱり中学生の時あの少年に刺されて死ねばよかった。何で刺してくれなかったんだろ。あーあ、後悔だよ。あんな感情もう二度と誰からも向けられないんだろうからあの時死んでおけばよかった。いっつもそうだ。ここまで生きてきてしまったことに罪悪感しかない。頑張れない。プライドが高い。とか山ほど言われてきたけど、もう雁字搦めで動けないんです!!!!指摘されたところで!!!手後れ!!ごめん死ぬしかない!!!(いつも死ぬとか言う。)歳を重ねるにつれて最低最悪な人間になっていくのに耐えられない…。自己嫌悪を感じてる暇があるなら行動しろ?御託を並べるのが好きだからやってんだろ?私可哀想だからって言いたいだけだろ???あーあーあーあー知らない知らない知らない!!!!だから?だから何?折り合いつけられないし大人になれないけど???今まで努力してこなかったから!!!!!違いますか???いや死にた…。(情緒乱高下侍か???)
生きていくには金がいるし身体を売るしかなくね???(身体売ってる人も大変なんだぞ。お前みたいな甘い考えで出来る仕事じゃ)うるせ〜〜〜っっっ!!!私が死ぬしかないって思ってる時は何も言わね〜くせにおめ〜はなんなんだ???(いや、死んだ方が食いぶち減りますし、私みたいな向上心ZERO非生産人間は生きてても仕方ないなって… )ごめんね!!ごめん発展途上国の夢ある子が死んで私が生きててごめんって!!!!
ドナーカードの手続きが中途半端なところで途絶えててごめんって!!!!いや自殺した人間の臓器は使えないって知ってからなんかもう死んでも価値ない人間のままなんだな私!と思って…(鬱〜〜っ)
多分私みたいな人間がやばい新興宗教にとっつかまると思うんだけどどう思う????私はあんま引っかからないと思ってる!!!でもオレオレ詐欺と同じだよね!かかんないと思っててもかかる時はかかるんだよ!慢心ダメ絶対!!死ねばよかった…。
今生きてる素晴らしい人間のために、そして自分のために頑張って命を使わない自分が無理〜〜っっ人として望ましくないんだよね!!死にたっ。おつむ足りなさ過ぎて人のためにやること9割9分裏目に出てあーごめんねー私が死ねばよかったんだよ本当にごめんねー!!!!
愛も夢もない旅立ちだよ!俺の葬式には私の棺桶に石投げてやってくれ!!私が死んだのは間違えなかったって証明だからな!花なんて死んでも手向けるなよ?ま、あたしは死んでるんだけど!!!超ウケる。(一人称変わりすぎ)
私遺書の話大好きなので話しますね!
理想は夏目漱石のこころのKの遺書!清廉潔白、他人への恨み言ひとつ遺さず死ねるのは恨み言遺して死ぬより呪いのようだからね!(まあ、Kはそんな意図で書いたとは思えないけど。)何者にもなれなかった者としてはあれくらいに成りたいのさ。まあでもあそこまで行くとある種「人間」ではない気もするけどね。
今まで他の記事も読んでる人は気づいてるかもしれないけれど私は基本的に正反対のことを同時に思うんだよね。うんうん、これは私の人生において1番の足枷なんだ!何をしても何を選んでも私は私を否定し続けなければいけない!
やっぱりこれにも理由はなくて、強いて言うなら私がそういう風に出来ているからとしか言えないんだ。全ての事柄にはメリットデメリットがあるんだから選ばなかった方のメリットと選んだ方のデメリットを見て自己嫌悪に陥るなんてこれでもかってくらい不毛なことなんだけど、でも他人を傷つけないためには自分を傷つけるくらいしか方法が分かんないんだよね。他人も自分も傷つけないなんてそんな上手に考えられるなら、そんな方法を選べるなら、それこそ私は停滞してないと思うんだ。ゼロか百かよりも、ゼロでもあり百でもあるが五十ではない方がよっぽど質が悪いって話。
昔の私は、私みたいな人間がそれなりにいると思っていた。だから上手に生きなくても要領よく生きれなくても、怯えなければいけない、怖がらなければいけないなんて思わなくていいって言えると思ってた。でも、本当に劣っているのは私だけだった。私にかけて欲しい言葉は私からしか生み出せなく、それを私自身には言えなく、だから同じ思いの人にかけたかった。人を救う(私は人は人を本当の意味では救えないと思っているから厳密には違うが)ことで間接的に自分自身を救いたかった。
ここからあとの話は何度もしてきたが。私は自分が行う自己満足が許せない。気がついた時には停滞していた。泥沼につかっていたと言ってもいいだろう。動けない。動く気も起きない。死ぬ。もう、死ぬことでしか、私自身の力で私を救う方法はない。きっと多くの人間はこういうだろう。「自己満足でもいいじゃないか。」ああ、それが正しい。人として健康的で正常で、間違っていない。しかし、私にはそれが選べぬ。それを不幸に酔ってると形容されても仕方が無い。そんな簡単なことも出来ないのかとある男は言うだろう。もう、私は疲れたのだ。全てが結局自分自身のためだったなどという結末を選ぶくらいなら、結末を迎えない方が、途中で幕を下ろした方がいいんだと心のどこかでずっと思っている。
ある女が言った。プライドが高すぎると。そんな言葉で片付けられることが私にとって酷く痛かったが酸いも甘いも噛み分けてきた人間だ。きっと正しいのだろう。…だが、動く気のない者にいくら言ったって無駄だということを分かってて言ってるのだろうか、私はそれだけが心配なのだ。
結局皆言いたいことを言っているだけなのだ。盲目になった私は深く思慮ある言葉など、もう二度と聞けることは無いのだろう。悲しい。ああ、そうだ、私はそれが本当に悲しい。自分の愚かさに気がついた事が人生で1番の汚点だ。いや、そもそも停滞していることを恥ずべきなのだろう。しかし、驚くほど私は満たされている。いいや、例えそれが空っぽのバケツだとしても私は満たされていると言えるだろう。日常生活において以前感じていた不満を不満とも認識しなくなっていた。大抵の物事に関心が向かなくなり、衣食住が揃うこととささやかな贅沢にもう十分に満足していた。これ以上、今の生に望むことなどない。ないものねだりをしなくなったことが果たしていい事なのか悪いことなのか正直今の私には全く分からない。ただ、心の奥底、最も深い部分は本当に穏やかなものなのだ。衝動的な自滅願望も何もかも本当に私とっては嘘ではないのだが、『普通の正常な人間であるならばそうしなければならない。』というある種、演出のような気もしなくもない。
そんなことを言っていたらキリがないだろうか。結局私の今の言葉も…。
寒いな。