ベルトで自身の首を絞めたことはあるだろうか。ええ、きっと皆体験していることでしょう。私も今しがた体験してきたところです。
さて、私がこうやって文章を書いているということはそうこの世から離れるのに失敗したということです。私は自分が死ぬのが怖かったし、なにより死にぞこなって四肢のどこかに問題を抱えたり、植物人間になるのが怖かった。いつかは置いておいて確実に着実に計画的に死ぬつもりだった。突発的に自身の身を傷つける行動をしたのは恐らくこれが最初で最後だ。
何故このような行動に出たのか…それは、まあ、察しのよい方なら分かるだろう。ふと口から出てしまった「自殺できるくらい吹っ切れられたらな。」という言葉に「一度やってみたらいいんじゃない?」と返ってきたからだ。誰にかは…まあ、言わずもがなだよ。
ああなるほど確かにそうだ、こうやって能書きを垂れてる暇があるならということか。宝くじも買わないと当たらない。やってみなければ分からないということか。
部屋に戻ると、ベルトを見つけたので適当なところに括り実行に移そうとしたが、一般的な首吊りのように天井に括り付けるにしたって私の体重を支えられる気がしない。仕方が無いので成功率は限りなく0に近いがやらないよりましだと、文字通り自分の首を締めていたのだが結局5,6回で断念した。苦しくなると手を離してしまうのが一番の問題だ。恐らくあれを乗り切れさえすればもう何も怖くないのだろうが。
生きるのも下手なら死ぬのも下手か。
そう思うと悲しくなって悔しくなってこうやって文字に起こしているわけだ。
これを読んでいる多くの人間はこう思うだろう。結局本気で死にたい訳じゃないんだろ。私は声を大にして言いたいその通りだ。私は常に机上の空論を話している人間だ。死にたい消えたい等という戯れ言はこの歳特有のものである。何というか本気で死にたいと思ってる人に申し訳ない。
鏡越しに首にあるベルトの痕を眺めながら、さてどうやって言い訳をしようかと考える。彼氏に特殊な性癖があった…これは流石に無理がある。存在しない彼氏の話など素面ではできない。かといって母親と話してた時に「そんなに言うなら1回死んでみれば?」と言われ首を絞めて死のうと思った等と言うか?そんなことしたら首の痕は私が死ぬほど敬遠している『あからさまな可哀想アピール』だと思われるのがオチだ。(実際は『死ねなかった落ちこぼれの印』なのだが。)
あーあ、先生ならきっと上手に死ねてたんだろうな。私みたいな中途半端なやり方でも絶対に成功してた。私とは比べ物にならないくらい強く決意を抱く人だもの。やっぱりやらなきゃ良かった。頭がぐわんぐわんする。最悪な気分だ。結局上手には死ねなくて嫌な気分になるんだよ。分かってたんだけどな。
ああ、死ぬメリットより死ねなかったデメリットの方がでかいから今までやってなかったんだそういうところだけは聡明だったんだよ私。じゃあ、またね。