23時過ぎ、机の上に1万円札を叩きつけて私は男の部屋の玄関のドアを開けた。
ゲームをする男の隣で私は黙々と酒を飲んでいた。男は友達と電話をしている。だから私は声を出さない。ぼんやりと画面と、時々自分のスマホと、そして壁に目をやりながら心底帰りたいと思っていた。
相手のホームグラウンドで相手が何をしようとこちらが何か言える訳でもなし、そもこちらが誘って付き合わせてしまってるし。もう早いとこ持ってきた酒を飲み切って適当なタイミングで帰ろう。そして二度とこの人を飲みに誘うのは辞めよう。一人で飲んだ方がまだ楽しい。
自分が持ってきた瓶と缶は空にして、私はキッチンのシンクで水を入れ、軽く中を洗う。酔いはだいぶ回っていたがトイレにと席を立った時に目に入った洗面所の鏡に映る私の顔はシラフ同然で苦笑する。席に戻りグラスに手をかける。空のグラスに今入ってる酒を半分移してこの半分を飲みきったら帰ろう。そう考え空のグラスを手に取った時。それは空ではなくカーペットに酒が溢れた。
「またやったな」
こちらを一瞥して男が言った。ゲーム中初めて私にかけた言葉だった。近場にあるティッシュを手に取り床とカーペットを拭く。帰ろう、無理だ、何が無理なのか分からないけど何かが耐えられないと言っている。でも、そんなの理にかなってない。何か、何か
一通り拭き終わったあとうずくまる。精神的な理由ではなくそうしてしまうくらい私は酒が回っていた。私はカバンから財布を取り出す。財布の中には幸か不幸か一万円札が入っていた。クリーニング代としては高いが手切れ金としては妥当な額だろう。テーブルの空いてるスペースに一万円札を置いた。男は一瞬目を丸くした後に私に札を返したがその手を払って置いた。私が過剰なくらい申し訳なく思っている。という印象を持ってくれればいい。
先程まで座ってたソファにはバスタオルが掛けられていた。思い返せば私は1度もこの男の家に泊まらずに帰ったことはなかった。酔ってる状態で家に帰るのが億劫だったというだけの話であったが。
皮肉なものだ、一番酔っている時に一番自分を大事にする選択がとれるなんて。皮肉といえば万札を叩きつけたのは人の心より物が大切だと言っていた男への皮肉としても効いてるんじゃないだろうか。まあ、本人は気づかないだろうが。
カバンに手を伸ばす、玄関へ向かう足取りは覚束無いが、帰れなくはない。突然現れて突然いなくなるのはなによりも私らしいなと思う。言葉はない。これもまた実に「らしいな」と思った。
家に帰る道すがら私は以前飲んだ時に「信用している」と言われたことを思い出した。やはりそう言われた時点で誘うのを辞めるべきだったなと自嘲する。そう言ってくる人間にろくな奴はいなかった。
家に着いて、急に吐き気に襲われる。便器に向かって胃の中身を吐き出したが固形のものはチーズくらいしか口にしてなかったお陰で出てきたのは酒と胃液が混ざったものだった。
口をゆすいで、そのついでにコンタクトを外す。ふらつく足取りでダンボールから500mlの水のペットボトルを取り出して飲んで、服を脱ぎ捨てベッドに身体を沈める。暫くしても吐き気は収まらずこの後数度トイレとベッドの往復をすることになった。
多分友人にこの話をしたら「最低な男だな」と言うだろう。私は、そうは思わない。いや、庇うつもりでも惚れた弱みという訳でもない。おそらくは。
相手に高いことを要求している自覚はある。「私は貴方のやることなすこと何でも受け入れるし許すけれど、何をしてもいいとは思わないで欲しい」なんて「何でも受け入れるから大切にしてね」なんて土台無理な話なのだ。
自分の介抱を自分でできてしまうことを知って、私は本当に寂しくなってしまった。だって知ってしまったならもう頼らない。いいや、初めから頼れてなんていなかったんだと思う。多分それは相手にも多少の問題はあると思うけれど、一番の原因は私自身の厄介な性質によるものだと思う。だから相手に強く出れないし、そも出る気もない。
求めすぎた私がいけないし、なによりそれを一欠片しか見せれなかった私が一番いけない。分かってるんだけどな、分かってるんだけど、分かってないんだよな、きっと。
バイト先で何度か顔を合わせるし、挨拶もするけれど私は目を合わせない。視線を感じても勘違いだろうと決めつける。嫌いになったという訳ではない。好感を抱かなくなったというだけの話だ。それって、見たくないから見ないんじゃない、見る価値のないものと決めたから見ないということと似てる気がする。
ああ、でも、きっとこれってとっても傲慢なものの見方よね、でも私からしてみれば見たくないから見ないことの方が傲慢に思えるのよね、だって嫌いなものなら見なくていいって思ってるってことでしょ?そんなことが許されるなんて、許せないもの。でもきっとこの価値観は一般的じゃないんでしょうね、知ってるわ、どうしてかって?さあ?
なんの話しをしてたっけ?忘れてしまったってことはきっとそれは今の私にとって価値が無くなったものなのでしょう、それとも吐き出し尽くして満足したってことかしら?でも私酔って吐いてる時に一度だって吐ききって満足した試しはないけれど、嘘、言いたかっただけ。多分あるんだろうけど覚えてないわ。
貴方って本当に何も覚えていないのね。