<白熱教室> ノートまとめより

重要なところに線を引き、まとめている。

前回は懐疑主義や功利主義についてまとめていったが、今回はリバタリアニズムについて。

リバタリアニズムとは日本語でいうと自由原理主義、市場原理主義という。
現在の資本主義社会の考え方のもととなっている。

リバタリアニズムによる3つの否定は共感できる部分が多かった。


1 父親的干渉主義の立法の否定
 シートベルトを締めるのはいいことだが、締めるかどうかは個人に委ねられるべきだという考え。

2 道徳的な立法の否定
 同性愛者に関する禁止法などの否定。
 これは日本ではどうなっているかの、詳しくは分からない。

3 富者から貧者への所得の再分配の否定
 大金持ちから貧しい人への金銭の分配を法できめるべきではないという考え方


リバタリアニズムが国家において唯一存在を認めているのは国防や警察、最小限の国家だけなのだそうだ。

たしかに、上記の3つのことが過度に行き過ぎるのは考えるだけで息苦しい。
かといって3つとも完璧に否定してしまうのもどうかと思う。その辺はいいあんばいでバランスをとることが必要なのではないか。
 そのバランスのとり具合が非常に難しい。

 このリバタリアニズムの考え方の根本的原理は

自分を所有するのは自分だという考え方

である。

これが功利主義が破綻した理由だという。

つまり、個人を所有するのは個人なのだから、健康な人間から臓器を摘出して他の個人を助けるというのは間違っているのだ。

この考え方は日本の「民営化」や「規制緩和」に大きく影響しているという。

自分も人生の色んな場面でこのリバタリアニズム的考え方をしてきた。

ここまで書いてきて、ある言葉を思い出した。

よく学級目標になっている

一人はみんなのために みんなは一人のために

という言葉だ。

一人はみんなのために というのは功利主義だ。
最大多数の最大幸福なわけだ。

みんなは一人のために
これはリバタリアニズムといえるのではないか。

個人のために全体が動く。
最小限の最小幸福のために全体が動く。

どちらも大切だということだ。

これの相反する二つの考え方を教室で、学級経営でいい塩梅に行っていくことが一人ひとりの成長につながり、全体の成長へとつながっていくのだろう。
調べた単語を使って英作文の練習。
アウトプットを前提にしてインプットすると効果三倍。

1 He added fuel to the fire.

2 I have contradiction in my heart.

3 I joint teacher's skill up active.

4 He admit her parents.

5 He deprive my son.

6 I grasp in dinner.

7 My generation is dwindling.

8 I have straining a smile.

9 I eager air-conditioning in class room.

10 A workers' meeting dragged on over time.

11 Today, my decisive moment will visit.

12 We need conversation.

13 I will have proposition in a stuff meeting.

14 I suppose my little times.

15 I like omelet.

16 I like trip in the world.

17 Teacher must not compare between students.

18 I will write he's biography.

19 I don't like squirrel.

20 He seek hard work.
葬式は、要らない/島田裕巳

少し前に買った本だ。知りあいの葬式に行って、うーん、これは必要なのかと思い、本書を買った。

そして、今、個人的な事情で必要感が湧き、再読している。

ちなみに来週は友達の結婚式に行く。
結婚式と葬式、どちらも式と名がつくが中身は正反対だ。

祝うと悼む の違いがある。

式と名がつく学校行事は多い。
卒業式、入学式、始業式、終業式

そして、たいがい式は退屈だ。できることならば避けたい。
式すべてを無しにしてもいいのでは 極論を言うとそんな意見がある。
イヤ、絶対に必要だというほどの意見を自分はもっていない。
まあ、伝統的にあるから、とにかくやろう。という感じだ。

葬式はどうか。
学校の式をなくすことは自分にはできない。が、自分や家族に関わる葬式ならば、ある程度は自分の意思を反映させることができる。

というわけで本書で葬式について勉強し直す。


自分の意見が通るのならば、自分に関わる葬式はできるだけ簡素に短く簡単にしたい。
気持ちは形式ではない。深さだ。自分自身の内面がしっかりしていれば外面や体裁にお金をかける必要はない。というのが自分のプリンシプルだ。

そこからいうと、本書の直葬が印象に残った。

◇P33
直葬とはどんな葬式か?
現在、大半の人は病院で亡くなる。直葬では、故人の遺体を寝台車に乗せ、自宅や葬儀社が用意する一時的な安置場所に搬送し、とりあえずそこに安置する。
そこで遺体を棺に納め(納棺)、近親者だけで通夜をする。会葬者は呼ばない。いったん自宅などに搬送するのも、前の章で見たように、火葬までに24時間以上の経過が必要だからである。
通夜が済めば、翌日、霊柩車で火葬場へ出棺する。そして、やはり近親者だけで故人に別れを告げ、遺体は荼毘にふす。最後に、収骨、骨あげをして葬式は終わる。
これが、直葬のもっとも基本的なやり方である。


バブル崩壊後、葬式の簡略化が進み、上記のような直葬も多く行われるようになったそうである。
そして、この簡略化の流れは葬式だけでなく、結婚式にも見られるようになったそうだ。

学校で仕事を初めて8年間で、幾度も職員の親族の葬式案内があった。
数回は自分も参加した。
同じ学年を組んでいる先生のお母さんとかそういう関係だ。
でも、それが自分には疑問だった。
たしかにその先生にはお世話になっているが、その先生のお母さんはまったく知らない。
しゃべったこともない。そのような知らない人の葬式に参列する意味があるのか?
いかなくてもいいのでは。
自分もいかないほうがラクだし、故人にとっても、まったく知らない人が来られたら迷惑では?

とずっと思っていた。

本書を読むと、そういうのも昔にくらべて少なくなっているそうである。
家族葬というものが増えているのだ。

そして、直葬は家族葬のもっと簡略化した形だそうである。

以上書いてきて、自分がもし親族関係で葬式を行うことになり、自分の判断で決められるのならば間違いなく直葬にする!!と決めた。












教室での子どもとのやりとりと進め方。
ちょっとした部分でコツがあり、自分なりの感触がある。

それらを試行錯誤しながらつかんでいくことが面白い。

全体を動かすときは8割主義で。
活動しながら残り2割をまきこんでいく。


先週、
この感覚をつかめた。

例えばあいさつ。
8割はできている。2割がまだ。
そのときどれくらい待つか、あるいは待たないか。

お説教は下の下の策。

明るく楽しく、心地よいスピード感で。
これがキーワードになる。

もちろんこれはあいさつに限らず授業でも使える原則だ。

8割をほめつつ、全体を流しつつ、残り2割にも指導をしてできるようにさせる。
この塩梅がうまいことできるのがプロ教師なのだ。
どれか一つだけできてもダメだ。

だからそれは自分であれこれ試してみてつかみ取っていく以外にない。

そのときに、自分はどういうプリンシプルを持って指導するのか、それが極めて重要になってくる。

先達の書を100回読み込む。これで感覚をつかむしかない。











学校で年度末反省の時期に来ている。
毎年行われているので今年が8年目。
なるべく意見を言うようにしている。

が、今年は反省部分の記述をしなかった。
それが自分にとって最大の反省だ。

やはり少しでもよりよい学校にするために、自分の意見を書いていくべきだ。

職員会議で言った意見

1 自由記述の意見は記名しておくべきだ。
  誰が言ったのかすぐに分かり、会議の進行がスムーズになる。さらに自分の意見に責任を持てる。
  もちろん書く段階では記名式なのだが、全体で集約したときに無記名になっているので、誰が書いた意見か分からずに話し合うことになる。こんなに非効率なことはない。

2 話し合う事項は提案の項目に限定するべきだ。
  すでに3回目の会議に突入している。
  限られた時間の中で話し合うのだから、感想を言い合うのは避けたい。
  提案事項に限ってどうするか話し合う。
  口頭で出された提案は受け付けない。
  それが会議の基本だと考えている。

3 JRについて
  定義をしっかりと持つこと


以上3点。

来週の週案を考えながら、意見を聞きながら、自分でも発言した。

会議に参加するかぎり、どんな的外れなことでもとにかく意見はいうべきだ。
たとえその意見によって敵を作ろうとも遠慮せずに自分の考えをいくべきだ。
会議の初めから終わりまで黙ったままで終わるのならば会議に参加する意味がない。

というのが自分の会議に関するプリンシプルである。

それを同時並行で仕事もしながらできるとなおいい。
定時の中でできるだけ仕事を終わらす。そのためには同時並行の原則は重要だ。













致知 12月号より

P2 牛尾論文より

安岡の思考三原則

第一 目先にとらわれず長い目で見る
第二 一面的に見ないで多面的全面的に観察する
第三 枝葉末節にこだわることなく根本的に考察する

以上の3つの原則は教育の場面でもあてはまる。

子どもを教育していく立場ならば、
子どもの成長した10年後、20年後を見据えて長い目で考えていく必要がある。
今このときだけいいというのは必ずあとで弊害がくる。

そして、クラスの中の30数名の児童を観る時、多面的、全面的な視点が必要となる。

一人の子どもを「あいつはあんなやつだ!!」と決めつけて指導することは絶対にやってはいけない。
しかし、多面的、全面的に観察するというのは難しい。常に意識し続けなければできない。

第三の原則も重要だ。
根本原理は何か、それを常に考えておくことが大切だ。
枝葉末節にこだわってもしょうがない。
それでは本当の教育はできない。

子どもにとって価値ある教師になるために、上記の思考三原則を常に意識していよう。

論文の最後のダーウィンの言葉がよかった。

最も強い者や賢い者が生き残るのではない。生き残る者は、ただ変化に即応できる者だけだ。


変化に即応できるように、常に学び続ける。考え続ける。動き続ける。
自分が生き残っていきために必要なことだ。

P9 
夏目漱石が弟子の芥川龍之介に言った言葉

世の中は根気の前に頭を下げることを知っています。火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。だから、牛のよだれのようにもっと根気よくやりなさい。


さすが夏目漱石、いい言葉だ。
継続は力なりということを分かりやすく例えている。

自分も、教育の世界で、根気づよく実践を続けていく。
たとえ今は力量がない未熟な教師でも、ずっと学びを続けていれば少しずつでも前進できるはずだ。
















楽しい体育の授業 No.256より

巻頭の渡辺善男氏の論文

高田四原則というのを初めて知った。


高田四原則
1 動く楽しさ
2 伸びる楽しさ
3 集う楽しさ
4 わかる楽しさ


すっきりしていて分かりやすい。
体育の授業ではこれらをしっかりと持っていきたい。

とにかく楽しくなきゃいけない。
楽しくない授業は授業ではない。
いい授業よりも楽しい授業の方がいい。

ということだ。


向山洋一氏は、常々、体育において運動量を確保せよと述べている。それは、「楽しい運動をたくさんやっているうちに、自然と上手になっていく」という主張なのだ。
「動く楽しさ」をまず確保しよう。


動く楽しさ、これを第一に考える。
となれば、教師の長い説明は削るべきだ。
全体を集めて指示を出すのも最小限にしたい。

次々と流れるように子どもたちがドンドン動いていく。
このようなイメージだ。

月曜日からの自分の体育の授業で役立てよう。


P42 佐藤貴子氏の論文
低学年のサッカーについて書かれている。

たまごわりサッカー、学級でもやってみよう。
有名な実践だがいまだにやったことがない。
来週、チャンスだ。


P43 たまごわりサッカー ルール
1 試合時間は4分。2分で攻守交代。
2 ボールをけってたまごの中を通り抜けたら1点。
3 守りの子は手や足でボールをとめる。
4 コーンにあたったりコーンよりも高いときは得点にはならない。
5 入った得点が多い方が勝ち。


教材研究ノートに手書きで書いて、実践しよう。楽しみだ。


ならびっこサッカーも楽しそう。

次のページの団野氏の論文も参考になる。

P46 村田氏の論文

近藤ルール、これも初めて知った。

このルールをキックベースに応用しても面白い。

1 味方がピッチャーをする。
 打ちやすくなる。
2 獲得ベース制
 たくさん得点が入る。
3 全員打撃、ラストバッター凍結制
 チーム全員が打ち終わるまで攻守交代はしない。打つチャンスが全員にあるのがいい。
4 セカンド・ベースフォースアウト制
 これはキックベースでは少し難しい。代わりに何か手立てを考えよう。
ひとつぬけていた。
2”として
 フリーランニング制
  運動量を確保できる。

こうやってルールを工夫することで苦手な子も動く楽しさを味わえる。
体育の授業でやるのだから、あれこれルールを工夫してどの子も楽しめるようにしたい。







ある企画を考えている。
それはここでは詳しくは書けない。

概要だけ。書くことで戦略をねっていく。


まず、使えるコンテンツを如何に有効に使うか。
これが第一の段階。

メンバーがレベルアップするために使う。
観て、分析して、書く。

それを集約する。

さらに、その書いたものを有効に活用する。
これが第二の段階。

その際、無料にするといい。
今までは如何にお金をとるかで考えていたが、それではダメ。
無料にして活用する。

これで参加者にとって無料で情報が手に入る。

しかし、無料にしたことでこっち側にも利益がないと続かない。
それが第三の段階。

これはiPadアプリで考えればいい。
無料アプリですぐれたものがたくさんある。
自分もたくさんダウンロードして、使っている。
無料アプリには機能が制限されていたり、広告が入っていたりする。
広告の媒体となったり、気に入ったら有料で買うということにつなげていくためだ。

であるなら、この企画もそのようにすればいい。

無料にするかわりに、随所に宣伝をいれる。
PDFならリンクをしこめばそこにとべる。
ページ数も気にする必要がない。

そして、この書く作業を続けていき、100ページを超えたら製本して販売すればいい。
このとき、無料版で気に入った人は買ってくれるだろう。
無料版が有料版の宣伝となるわけだ。

この戦略でいこう。























ハーバード白熱教室/マイケル・サンデル

上巻を読了。とりあえずここまで読んでノートまとめを始めた。

サンデル氏はたとえ話がうまい。だから難しい哲学の話でもよく理解できる。考えようという気になる。

自分も教師として、学校で道徳を教える以上、この本に書かれている事柄について学び、考えていくことがは必要だ。

道徳について語る時、大きく分けて、二つの立場があるという。

一つ目は『帰結主義的な道徳的論法』であり、
二つ目が『定言的な考え方』である。

『帰結主義的な道徳的論法』とは、
何が正しくて道徳的かは、行動の結果で決まる。
つまり、一人の命を犠牲にしてもそのことによって五人の命が助かれば、それは道徳的に正しいという立場だ。

『定言的な考え方』とは、結果がすべてではなく、だめなものはダメだという考え方であり、立場である。
つまり、たとえ五人の命が助かるからと言って、一人の人を殺してはいけないということだ。

この2つの立場を遭難した船や鉄道事故のたとえ話で考えさせている。
ちなみに遭難した船の話は実際にあった事件らしい。

教室で道徳を教えるときは、もちろん『定言的な考え方』だ。
間違っても、「一人の命を犠牲にしてでも、より多くの命を救え」とは教えない。
ダメなことはダメなんだよ。どんな状況でも間違ったことはしてはいけないよ。
と教える。

しかし、資本主義社会における企業は『帰結主義的な道徳的論法』で動いている。
企業の費用便益分析はまさにそれだ。
個人で考えても、ゴールを設定して、そこに向かって動いていく。つまり帰結主義的なのだ。

どちらが正しいのか、昔から議論がなされてきた。そして今もなされている。
このような議論のときによく出てくる言い訳、それが『懐疑主義』である。

「アリストテレスやロック、カントでさえ、長年かけても解決できていないのだから、今さら我々が論じてもムダである。」

なるほど、この論法、他の話題のときでも時々耳にする。

この懐疑主義に対するカントの言葉がいい。


懐疑主義は人間の理性の休息所である。そこには独善的なさまよいを熟慮できるところだ。しかし、永久に留まる場所ではない。単に懐疑主義に同意しても、理性の不安を克服することは決してできない。


サンデル氏の主張

正義を考えるためには結果から考えるだけでは不十分ではないだろうか。


これに多いに賛成である。
教室でも子どもたちにこのようになげかけ、考えさせることは極めて重要だ。




















同じく「日本辺境論/内田樹」より。

師弟関係の学びについての部分も非常に面白かった。

◇P144
「何を」学ぶかということには二次的な重要性しかない。重要なのは「学び方」を学ぶことだからです。


この文章だけでは意味が分からないのだが、張良の靴拾いエピソードがあったので、非常にストンと落ちた。

◇P146
おのれの無知と愚鈍を論拠にして、おのれを超える人間的境位の適法性を基礎づける。それが師弟関係において追い詰められた弟子が最後に採用する逆説的なソリューションなのです。
「私はなぜ、何を、どのように学ぶのかを今ここでは言うことができない。そして、それを言うことができないという事実こそ、私が学ばなければならない当の理由なのである」、これが学びの信仰告白の基本文型です。
「学ぶ」とは何よりもまずその誓言をなすことです。そして、この誓言を口にしたとき、人は「学び方」を学んだことになります。ひとたび学び方を学んだものはそれから後、どのような経験からも、どのような出会いからも、どのような人物のどのような言動からも、豊かな知見を引き出すことがdけいます。賢者有徳の人からはもちろん、愚者からも悪人からもそれぞれに豊かな人間的知見を汲み出すことができる。


なるほど!!
師匠の行動、言動、文章のすみずみまで学ぶということの意味がうっすら分かった。
学び方を学べば、どんな事柄からでも学ぶことができるのだ。

確かに、ただ一人からしか学べない人よりも、ありとあらゆることから学び取っていく人間の方が強い。
私は尊敬してない人からは学べません。っていう閉鎖的な人よりも、
どんな奴からでも、どんな経験からでも何かを学び取ってやるで!!
っていう野性味あふれる態度の方が得るものは大きい。

どちらがサバイバルするかといえば後者だろう。

自分の学びを考える上で大変勉強になった。