ハーバード白熱教室/マイケル・サンデル

上巻を読了。とりあえずここまで読んでノートまとめを始めた。

サンデル氏はたとえ話がうまい。だから難しい哲学の話でもよく理解できる。考えようという気になる。

自分も教師として、学校で道徳を教える以上、この本に書かれている事柄について学び、考えていくことがは必要だ。

道徳について語る時、大きく分けて、二つの立場があるという。

一つ目は『帰結主義的な道徳的論法』であり、
二つ目が『定言的な考え方』である。

『帰結主義的な道徳的論法』とは、
何が正しくて道徳的かは、行動の結果で決まる。
つまり、一人の命を犠牲にしてもそのことによって五人の命が助かれば、それは道徳的に正しいという立場だ。

『定言的な考え方』とは、結果がすべてではなく、だめなものはダメだという考え方であり、立場である。
つまり、たとえ五人の命が助かるからと言って、一人の人を殺してはいけないということだ。

この2つの立場を遭難した船や鉄道事故のたとえ話で考えさせている。
ちなみに遭難した船の話は実際にあった事件らしい。

教室で道徳を教えるときは、もちろん『定言的な考え方』だ。
間違っても、「一人の命を犠牲にしてでも、より多くの命を救え」とは教えない。
ダメなことはダメなんだよ。どんな状況でも間違ったことはしてはいけないよ。
と教える。

しかし、資本主義社会における企業は『帰結主義的な道徳的論法』で動いている。
企業の費用便益分析はまさにそれだ。
個人で考えても、ゴールを設定して、そこに向かって動いていく。つまり帰結主義的なのだ。

どちらが正しいのか、昔から議論がなされてきた。そして今もなされている。
このような議論のときによく出てくる言い訳、それが『懐疑主義』である。

「アリストテレスやロック、カントでさえ、長年かけても解決できていないのだから、今さら我々が論じてもムダである。」

なるほど、この論法、他の話題のときでも時々耳にする。

この懐疑主義に対するカントの言葉がいい。


懐疑主義は人間の理性の休息所である。そこには独善的なさまよいを熟慮できるところだ。しかし、永久に留まる場所ではない。単に懐疑主義に同意しても、理性の不安を克服することは決してできない。


サンデル氏の主張

正義を考えるためには結果から考えるだけでは不十分ではないだろうか。


これに多いに賛成である。
教室でも子どもたちにこのようになげかけ、考えさせることは極めて重要だ。