健康は大切だ。

健康面がしっかりしていないといい仕事はできない。
人生を楽しむこともできない。

だから健康をしっかり保つことは自分にとって極めて重要なことだ。

20代のころはそんなに意識しなくても全然大丈夫だったが、そのつけが今になってきている。


自分の健康面での課題は何か?

1 耳
2 目
3 痛風

この3つだ。
幸い、それ以外は今の所いい感じで動いてくれている。

3の痛風は、家での飲酒をいっさいやめてから、かなり改善されてきた。
以前は、家でも毎日飲み、外でもバンバン飲み、夏休みには昼からビールで酔っぱらってという状態だった。其の結果、足の親指が痛んで、ジョッグができなくなった。
これはいかんと、飲むのをいっさいやめた。禁酒期間8ヶ月。
これで痛みはなくなった。

なので、外で月に2、3回は飲んでもいいことにした。(自分ルール)
でも、今でも家ではいっさい飲んでいない。
これでいいバランスがとれている。
親指が痛むこともない。
なので、これから「家ではいっさい飲まない」という自分ルールを守っていけば、この点に関してはクリアーだと考えている。


1の耳は、原因がはっきりしている。
アイパッド、iPhoneでの音楽の聞き過ぎ、ラジオの聞き過ぎだ。
ようは耳の使い過ぎが原因だ。
突発性難聴になってしまい、昨年の9月に一週間ほど病院通い。
点滴を打って、多少ましになった。

が、油断してその後さらに再発。

これは我ながら情けない。
半年ほどたってやっと耳鳴りがおさまってきた。でも今もかすかになっている。

耳を使いすぎないために使用制限のルールが必要だ。

2の目も同じ。
これは中学生のころからの持病。
読書、Mac、映画などで目を酷使し過ぎなのだ。


1も2も、ようは酷使が原因。
時間が有限なように、健康も有限なのだ。


目も耳も、使いたいだけ使っていれば、いずれ故障してしまう。
使用制限しなければ、困ったことになる。

ということに遅ればせながらやっと気がついた。

というわけで、今は目と耳の使用制限ルール(自分ルール)を作っている。

1 平日の夕方(帰宅後)はいっさい目を使わない。(読書やMacなど)
2 音楽も聴かない。(たまに朝、1曲か2曲聞くのはオッケー、流しっぱなしはしない)
3 休日は午後から目を使わない。

この3つのルールのおかげで、今のところ目も耳も絶好調。
以前のように目が疲れることも少なくなった。

健康面について、しっかり考え、実行していこう。















今日はマラソン大会に出場する。

マラソンと言っても10kmなので、たいしたことはない。
フルマラソンに向けての準備の一貫だ。
無理せず楽しく走る。

最後の3kmは全力でとばす。
最初の5kmは軽く流す。
次の2kmでスピードをあげていく。

というさくせんでいこう。

朝、「賢く走るフルマラソン/田中宏暁」を再読する。

レース当日の朝食は脂肪の高い物がいいとのこと。
今からコンビニにいって、牛カルビドン、チーズ、その他脂肪分たっぷりの一品、ゼリー飲料2本
を買いにいく。

レース3時間前までに食事を済ませた方がいいとのことなので、
9時25分までに朝食を済ませる。

今年の冬は何としてもフルマラソンに出場したい。
まずは申し込みから。

フルマラソンにいくまえに、秋ごろにハーフマラソンも出たい。

走ることは自分にとって欠かせない行為だ。
中学生のころから自主的に走ってきた。

膝を痛めて一時中断したこともあったが、やっぱり走るのは楽しい。
走ることについての本もたくさん読んだ。

村上春樹の「走ることについて~~」
「born to run」
この2冊は自分のバイブルだ。

10時40分に出発する。
それまでたまりにたまった執筆業を少しずつでも消化していく。

この3連休が消化のチャンスだ。

今、28あるので、18はやっつけよう。
残り10までになんとか持ち込みたい。


1年生は集中力が驚くほどすぐに切れる。

だから授業も短いパーツで組み立てるべきである。

これを先日、改めて実感した。

自分の感覚でいくと、もうちょっとつめてやりたいなぁと思うのだが、その一歩手前ぐらいでサッと終わって次にいかないと全体がだれてしまう。

5分のパーツで9つ

これを意識していこう。


算数の授業では、開始時に、百玉そろばんと数字フラッシュカードをしている。
これが大好評。
子どもたちの集中力もすごい。

ただし、5分間限定だが。

その場面をたまたま見ていた校長が、
「他のクラスの先生にも教えてあげて」
と言ってきた。

なので、朝の読書の時間を5分ずつもらって、飛び込みで実演した。

数字を読む
一つ大きい数字を読む
一つ小さい数字を読む
どっちが大きい?
どっちが小さい?
合わせていくつ?
ちがいはいくつ?
10の補数

など。

フラッシュカードも「よかったら使って下さい」といってプレゼントした。
われながらいいことをした、と自画自賛。

福は分けて、分福することが大事だ。
自分が学んできていいことは広めていく。

それで子どもたちも先生たちも幸せになれれば最高だ。

あくまでもおしつけにはならないようにサラっとやっていくのが大事。

今日はアイパッド2を注文した。
画面を大型テレビに写せるようになったので、授業でも活用できるはずだ。
どんな活用法があるか、いろいろ試してみたい。
楽しみだ。





いろは歌について研究している。

最近読了した「キュレーションの時代」でも授業を作りたい。

一気にガーッと進めることはできない。このブログも利用して少しずつ研究し、それをアウトプットしていくこと。
それを続ければ、いつか大きなことにつながる。

ノートに手書きで書き付けたものをここにも書いていく。


いろは歌は日本で一番長くつかわれてきた教材である。
平安時代から使われている。
手習いのために使われた。
優れた点は47文字すべてを一回ずつ使っているということだ。

そんな手習いの書ではあるが、じつは深い意味がこめられている。
そして、暗号も隠されている?という面白い教材なのだ。

作者は誰か?
色んな説がある。

教材の歴史を時系列で書くと、

まず、最初に仮名序の二首があった。
紀貫之が作ったものである。

なにはづに咲くや木の花冬ごもり今を春べと咲くやこの花
あさか山かげさへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに


しかしこの教材はそれほど長く使われない。
この二首が最古の子ども向けの教材だそうだ。

仮名序の二首のつぎに二つの歌が出てくる。
たいにの歌
あめつちの歌

だ。

あめつちの歌は五十音すべて使われている。しかし重複している音がある。
やはり美的にいっても重複のないいろは歌がすごい。

この二つの歌のあと、いろは歌と五十音図が出てくる。
ちなみにたいにの歌も四文字ずつ区切ると暗号が出てくるそうだ。面白い。

いろは歌の作者は、空海、柿本人麻呂、源為憲、菅原道真といろいろ説があるそうだが、
空海説には反論があるそうだ。(もちろん他の説にも反論はあると思うが。)

いろは歌は形式が今様であり、これは空海の時代よりも後だそうだ。
だから作者が空海というのはおかしいと。
勉強不足でこれ以外の説は知らない。

さて、このいろは歌、現在でもいろいろな所に使われている。
たとえば、つい最近まで辞書はいろは順だった。明治時代に五十音順になる。
ちなみにこの五十音も最初は配列がちがっていた。
今のあかさたなはまやらわんになったのは最近のことらしい。


そして、いろは歌の意味。
深い意味がある。

香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて、悟りの世界に至れば、
もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮想の世界に酔いしれることもない
安らかな心境である。

手習いの文章にしてはなんとも奥深い内容だ。
このいろは歌を作った作者はすごい。

魅力ある教材だ。
だから平安時代から1300年もの時を経てもまだ生き残っているのだろう。

次回は向山先生がされたいろは歌の授業について学習していく。

それにしても、
ノートにまとめ、ブログにアウトプットというのは最強の学習法だ。

こつこつとノートにまとめて、研究途中でいいからブログにアウトプットしていく。
これで学を楽しみたい。


昨日は非常に反省の多い一日だった。
基本的にはお別れ会で楽しく終わる予定だったのだが。

子どもが集中していない。ざわついている。

でもそんなときこと腕の見せ所のはずだ。

怒鳴ることなくいかに子どもを巻き込むか。

でも昨日の自分は、
「おい、こらそこ。」

という最低な対応。

我ながら情けなくなってきた。
そうじゃないだろう。

自分はもっと、

子どもをほめて動かそう。
ほめて自尊心を高めよう。
笑顔で対応しよう。
しかる時は短く厳しく、かつ上品にしよう。

と心がけて勉強し、修業してきたはずだ。


この子たちとの生活もあと二日で終わる。
最後の力を集中させて、全力で、目の前の子どもたちに細やかな愛を与えていきたい。


ということを考えながら帰宅し、夜は娘と二人で外食。
ビールとハイボールが美味かった。

まあ、反省はここまでにして、また明日、気分をいれかえてがんばろう。

ミスは誰でもおきる。
だから大事なのは次の一手を考えることだ。
失敗したと思ったのなら、次は絶対に変えていく。
同じ失敗は絶対にしない。という心構えを持つ。

日々成長だ。

あと12こある執筆業。一つひとつこなしていく。

最近考えていること。

まず一つ目は、考え方の工夫ということについて。

職場でUSBフラッシュメモリが自由につかえなくなるそうだ。
4月から、支給されたもの以外は使えない。
そんな通知文書が配布され、担当者から配布された。

そのことについて自分はどう考え、行動していくか。
こういった積み重ねが人生なのだ。

フラッシュメモリはとっても便利だ。
自分はMBAを持っていって仕事しているので、印刷するときには校内のパソコンを使用する必要がある。
当然、フラッシュメモリのお世話になる。
それが自由に使えなくなるという。
こんな不便な話はない。

ウイルス対策のためだというが、もっと現場のことを考えて欲しい。
ウイルス対策だったら、パソコンに対策ソフトを入れればそれで問題ないのではと思った。

でも、文句ばかり言っているのはかっこわるい。
斎藤一人風に言えば、
こんなときにも「カッコいい」ことを言って、カッコよく行動したいのだ。

では、どうするか。
別の方法を考えればいいのだ。

文書をよく読むと、フラッシュメモリはダメだが、カードリーダーは申請すれば可能らしい。
ということはSDカードなら自由に使えるのでは?
というわけで、早速アマゾンでカードリーダーとSDカード16gbを購入した。

来週、申請手続きを済ませる。
これでうまくいけば、今まで通り問題なく快適に仕事できるはずだ。

もしかうまくいかなければ。。。。また違う方法を考えればいい。

どんな状況でも、頭を使えば、うまい方法があるはずだ。
どんな規制でも、(法律の範囲内で)うまい抜け道があるはずだ。

そうやって考えて、自分で工夫していくのは楽しい。
楽しく工夫し、頭と知恵を使って切り開く。
こういう人間がカッコいい。

というようなことを考えていた。


次に、二つ目として、贈り物について。

仕事をいただけることはとてもありがたい。
いただいた仕事を全力で遂行することで自分の力が伸びていく。

つまり、いただいた仕事は神様からのプレゼントなのであり、かつ試験問題なのだ。
だから、そのプレゼントを大切にしないといけない。

今まで、どんな仕事でも、断らずに全力でやってきた。
失敗も数多く、というか失敗ばかりだったが、仕事をすることで自分が成長してきたという実感はある。

来年度、自分にどんな仕事がまわってくるか。それはわからない。
順当に上に上がるかもしれないし、「そうきましたか!!」というような仕事が回ってくるかもしれない。
どちらにしても、いただいたものを大切にし、自分の持ち場で工夫して、努力して、全力でやること。
それが大切なのだ。


最後に困った人とのつきあい方。

どんな人にも良さがあり、悪さがある。
紙に裏表があるのと同じだ。
表ばかりの紙なんてない。反対もしかり。

ということを分かっていれば、裏ばかりに目がいってしまう人でも、この人の表はどんなところかなと考えることができる。

ちょっとこの人とはあまりつきあいたくないぁという人もいる。

そういう時は腹五分ぐらいでつきあう。
サッと逃げる。

これが一番だ。
嫌なのにムリしてつきあう必要はまったくない。

お互いのためだ。

自分はもう大人なんだから、いくらでも工夫できる。
その集まりにいかなければ、避けることができるし、返信をしなければ、距離をおける。

喧嘩別れっていう手もある。最後の最後の手段だが、自分は結構これを使ってきた。

まあ、色々な手段を持っていると、ベターな選択ができる。


10年後、20年後には状況は大きく変わっている。
自分の目の前の人を大切にする。このスタンスでやっていく。





































音読修行法は間違いなくいい。
自分にとって極めて重要な方法だ。

前は筆写修業法を中心に行っていたのだが、それよりも、音読修行法のほうがいい。
手応えを感じる。

毎朝、アイパッドでドロップボックスに入れた文書を声を出して読んでいく。
反復練習がスピーディーにできるのが何よりもいい。
筆写修業法だと時間がかかる。

教師はしゃべることが仕事だ。
だからしゃべりの練習にもなる。

たくさんの情報を自分のものにするための練習になり、しゃべりの練習にもなり、人格も磨いていってくれる。とってもいい方法だ。

この方法を日々活用して、自分の力をちょっとずつでも高めていきたい。

もうすぐ春休みだ。
集中的にこの修業法を進めていくこともできる。

夏休みには要諦集を持って、早朝に公園に行き、毎朝一時間ほど音読修行法をする予定だ。
絶対に自分にとって必要なことであり、確実に自分の力となるはずだ。

昨日の式を見て、
自分はいつ6年生を卒業させられるのか?
と思った。

力がない自分は未だに6年生を担任したことがない。
いつかは担任して良いクラスを作って卒業させたい。

そのために自分が今、出来ることは何か?
①目の前の子どものために全力を尽くす。
②将来のために、長期的な視野で計画的に系統的に意図的に、戦略的に修業する。
③掃除と笑いと感謝で謙虚になる。

この3つだろう。

コツコツと地道に努力を積み重ねていくしかない。


今日こそは朝ジョッグに行きたいので、とりあえず手早く、思い浮かんだことを書く。
これを書き終わったらジョッグに行く。

まず、内田樹氏と向山洋一氏のリンクについて。

内田氏のブログに、次のようなことが書いてあった。


ある医者が、どう治療していいか分からないというときに、とりあえず九字を切った。すると難病が治った。このようにどうしていいか分からない状況で、分かるという特殊な力を出すためには、自分なりの工夫が必要だ。生もの相手の仕事の場合、どうしていいか分からない状況でもとにかく何かをしなければならない。そのための特殊な力をつけるには、自分のやりたいことをやる、そして上機嫌というポジティブな姿勢が大切だ。


これは自分の記憶と独断と偏見によるもので、大分趣旨が変わっているかもしれない。
でも、時間がないので、とにかく自分の理解と記憶の範囲で書くとこういうことになる。
後日、時間があれば正確な引用を出す。

そして、向山氏。
こちらも時間がないので、記憶で書いていく。

◆教師修業十年より
跳び箱をどうしてもとべない子がいた時、自分の力が及ばず、(跳び箱以外での場面で)出来ない子がいた場合、

とにもかくにも何か手立てを打つことが必要だ。
難病患者を前にした医者は、とにもかくにも治療を開始する。
教師もこれと同じだ。


という内容。もちろん正確ではない。


でも、この両氏の二つの意見に共通点があると感じた。

そして、これは自分が最も弱く、そして、これができていないために、過去2回、痛烈な失敗をしたという点である。

つまり自分にとって極めて重要な事柄なのだ。


教師は子ども相手の稼業だ。
子どもは生きている。生ものだ。
マニュアルは通用しない。

こういう場合はこうした方がいい、というのがある。
しかし、これはあくまでも一般論だ。
この方法が全ての子どもに通用するなんてことはない。
もちろん引き出しはたくさんあったほうがいい。
技術は大切だ。

でも、過去の自分は(今もかもしれないが)マニュアルを重視し、エライ先生が言っていたことを強引にそのままクラスでもあてはめようとしていた。子どもの姿を見ないで、自分の思い込みだけで動かそうとしていた。

だから猛烈に反発された。信用を落とした。
今から考えれば当たり前だ。

でもそれが見えていなかった。

教育は生もの相手の仕事だ。
マニュアルが通用しない部分がたくさんある。
そのときにどうすればいいか、分からないことが分かるようになりたい。
自分の直感を大切にしたい。

これは自分の生き方の問題である。
何を大切にするか、日頃どのような考えをしているか。

教育というのは奥が深い。
子どもは決して自分の思い通りにはならない。

でも、だからこそ手応えがあり、楽しいのだ。

教師としての自分の人間性を磨くこと。これが自分にとっての最大の課題である。











到知 2011 4月号より

【巻頭の言葉】伊無田論文より


家庭も治められない者に国は治められない


中国古典の『大学』によると
「其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家をととのう」

となっている。

たしかにこれは名言だ。
自分の立場に置き換えると、

家庭も治められない者には学級は治められない

となる。

家庭を治めるには、

コミュニケーション、気配り、手助け
などが大事だ。

学級を治めるにも同じものが必要である。
まずは自分の足下からしっかりとやっていくべきである。

P20~ 今、吉田松蔭に学ぶもの

松蔭先生が説かれた、侍がやってはいけないことというのがあるらしい。


風流、遊芸、奢侈(贅沢)に走る生活を絶対にするな
権門勢家に奔走するな(偉い人の所に用もない限り行くな)


要は、自分の目の前の問題に真剣に取り組むことが大事だということだ。

それをせずに、気をまぎらわすために贅沢にはしったり、偉い人の所にいけば自分も偉くなった気分になるからといって行くだけでは問題は解決しない。

これも自分の状況におおいにあてはまる。

全国各地のセミナーに出かける、有名な先生のところに出かけて教えを請う。
これで勉強した気になっている。

これでは自分の力はつかないし、子どもの事実も作れない。

本当に大事なのは、目の前のクラスの子どもにしっかりと目をむけ、数多くある問題を解決するために、一つ一つ努力していくことなのだ。

その辺を見落としてしまうと、本末転倒となる。

多いに自戒すべき点である。


P36~ マキアヴェッリ『君主論』が教えるもの

P38のマキアヴェッリ名言集がよかった。

◎弱体な国家は、常に優柔不断である。
◎人間にとって最高に名誉ある行為は、祖国のために役立つことである。
◎ある人物を評価するに際して、最も簡単で確実な方法は、その人物がどのような人々と、付き合っているかを見ることである。
◎天国へ行くのに最も有効な方法は地獄へ行く道を熟知することである。
◎君主は、けちだという評判を恐れてはならない。
◎他国が強くなるのを助ける国は自滅する。
◎われわれの経験では、信義を守ることなど気にしなかった君主のほうが、偉大な事業を成し遂げていることを教えてくれる。


この中で気に入ったのは次の3つ。
◎弱体な国家は、常に優柔不断である。
◎人間にとって最高に名誉ある行為は、祖国のために役立つことである。
◎天国へ行くのに最も有効な方法は地獄へ行く道を熟知することである。

これを教師の立場に置き換えてみるとこうなる。

◎未熟な教師は、常に優柔不断である。
◎人間にとって最高に名誉ある行為は、学級のために役立つことである。
◎素晴らしい学級経営をするのに最も有効な方法は学級崩壊へ行く道を熟知することである。

一つ目は、反面教師として学ぶべきである。
学級で様々な問題が起こる。そのときに、即その場で決断してしまわないといけない。
教育は生もの相手である。
ちょっとタイムは通用しない。
だからとっさのチャンバラに対応できるように気力も知力も体力も充満させておかねばいけない。

二つ目は、子どもたちに語ってやるべきないようだ。
昔の有名な人でマキアヴェッリという人がいっている。
人間にとって最高に名誉ある行為は~~
みんなはそれをクラスの中でやればいい。
みんなにとって最高に名誉ある行為はクラスのために役立つことをすることなんだ。

という感じで。

三つ目も面白い。
素晴らしい学級経営をしたい。
それは担任ならば誰しも願っていることだ。
でも、必ずしもうまくいくとは限らない。
だからこの言葉が重要になってくる。
素晴らしい学級経営をするために、どうやれば学級崩壊に陥ってしまうのかを熟知していかねばならない。
周りを観察し、自分自身の失敗をしっかり分析し、そこから学んでいくことだ。













「自分には子どもの事実が作れていない。だから他の人を巻き込めない。賛同者を増やせない」
昨日、勉強会のメンバーと話していて話題になったことだ。

自分もまったくその通りだ。
圧倒的な子どもの事実を作ることができれば、人は自然に学びにくる。
人は集まる。

でもそれは自分の今の力量では無理だ。

ではどうすればいいか?


圧倒的な子どもの事実は無理でも、小さな子どもの事実なら作れるはずだ。

教師という仕事に全力で力を傾ければ、
どんな教師でも、「小さな子どもの事実」を作ることはできる。

逆上がりができなかった子ができるようになったとか、
漢字テストで10点ばかりだった子が100点をとれるようになったとか、
学校に来れなかった子が来れるようになったとか、

そのような小さな事実を大切にしていく。
そしてその小さな事実を積み重ねていく。

このような努力を工夫を修業を10年、20年と続けていく。
そうすれば、いつの日か、考えられないような所まで行くことができるはずだ。

今の自分の力量なんてたいしたことはない。
それは痛いほどよく分かっている。

だから、小さな事実を作るために、日々楽しく修業して、努力して、工夫していけば良い。
少人数でもいいから勉強会を続けて、楽しく学んでいけばいい。

小さなことを積み重ねることでいつの日かとんでもないところまで行くことができる@イチロー

自分で自分の機嫌をとって、明るく、楽しく努力していくこと。
これが今の自分にできるベストな方法だ。