今夏の2泊3日の「夏恒例のお城巡り」は、台風10号の影響で、2回もフライト、ホテル、レンタカーの計画変更を余儀なくされ、9/5(木)からのスタートとなりました。

 

その為、事前の予習が充分にでき綿密な計画への見直しもできて、効率的な鑑賞スケジュールとなったことと3日間天気にも恵まれることとなり結果的に良かったです。今年は、「山形県」「宮城県」「福島県」の11城を巡りました。

 

「伊丹空港」8時のフライト(ANA便)でしたが、整備が長引き15分遅れで「仙台空港」へ飛び立ちました。

 

仙台行(伊丹空港にて)

 

「仙台空港」からは高速バスで「山形駅」まで移動、バスの乗客は私含めて2名でしたので車中食(おにぎり)はゆっくり食べることができ、弁当でも良かったな~と思いながら11時20分に到着しました。

 

初日は、「山形市内」を中心に終日「タイムズカーシェア」の車で周遊する予定でしたし、高速バスの方が料金的にも同じくらいで1時間早く「山形」へ到着しますので、初日の「青春18きっぷ」は封印しました。

 

「山形駅」西口からはタイムズカーシェアの車でまず最初に向かったのが「天童城」(山形県天童市)でした。天童には、2005年に「天童陣屋」を訪れて以来の約20年ぶりの来訪で、「天童城」は今回初めてです。

 

まずは「天童城」の歴史と城主についてお話をしておきます。

 

当城は1375年「最上頼直」が標高242mの「舞鶴山」に築城したお城です。その子孫が「天童氏」を称して累代在城しますが1577年に「頼久」の代のときに宗家である山形城主「最上義光」に攻略されて落城、廃城となりました。

 

その後、「織田信雄」の系統の「織田信美(のぶかず)」が1830年に「高畠」から移って「天童藩」を立藩しますが、舞鶴山麓の平地に築いたのが、館形式の「天童陣屋」です。

 

天童城」の縄張りは、現在公園や駐車場となっている「中央郭」から南北の尾根上に「南郭」「北郭」が配置され、東側に向かって伸びる段郭上に「主郭」を設け、更に北東方向に向かって伸びる「尾根」上には段郭の「東郭」を施しています。「主郭」には「櫓台」だったような「土壇」が残り、北側には「切岸」が施されています。

 

縄張図(現地にて掲出) ↓

 

 

さて私は、広々とした「中央郭」跡南端の駐車場に車を置いて、「主郭」方向に向かって上って行く「段郭」脇の登山道を上がって行きました。下の数段は「バーベキュー広場」となっていますが、上に上るにつれて木々が覆いかぶさり段の様子が分かりませんでした。

 

「主郭」へ向かう段郭(この辺りは「バーベキュー広場」) ↓

「主郭」へ向かう段郭沿いの登城路 ↓

 

「主郭」跡は東西に長く、東先端には「愛宕神社」とその脇に「櫓台」だったと思われるやや大きめの盛土があります。「主郭」跡の中からは出土遺物があり、「井戸」跡や整地跡からも居住空間だったようです。

 

「主郭」跡の図(現地に掲出) ↓

「主郭」跡(東方向) ↓

「主郭」跡東端に残る「櫓台」 ↓

「主郭」跡東端に残る「櫓台」(北から見る) ↓

 

北側のはるか下には「愛宕沼」があって天然の濠となっていましたが、「切岸」による防衛も施されています。

 

山と山の間に見える「愛宕沼」(水が枯れていた) ↓

「主郭」跡北側の「切岸」 ↓

 

「愛宕神社」は「最上義光」が建立し、現在の建物は1678年に築かれたもので市文化財に指定されています。

 

「愛宕神社」 ↓

 

「愛宕神社」の前から石段がありその脇から「東郭」の段郭が延びているはずですが、草で覆われて広めの郭しか見えませんでした。

 

「東郭」方向 ↓

 

「石段」を下りると、南北朝時代に舞鶴山に築城した「北畠天童丸」を合祀しているという「天童神社」が建ちます。その前を横切り、再び「主郭」跡に戻った後は、「中央郭」跡まで一気に下りました。

 

「天童神社」 ↓

 

「中央郭」跡の南端に立つ「吉田大八」像、「天童藩」の家老で藩士に将棋の駒の製作を奨励し財政難を乗り切りますが、「官軍」だった「天童藩」の家老だったことで、戊辰戦争で「奥羽越列藩同盟」に捉えられた人物です。

 

「吉田大八」像 ↓

 

その北側には広いスペースが拡がっていて、階段状の観客席最上段には「王将」と刻まれた将棋の駒像が立っています。この場所が、毎年テレビでも放映される「人間将棋」の会場となる場所で桜のシーズンに行われる天童の一大イベントです。

 

「中央郭」跡の「人間将棋」会場(白い所は観客席) ↓

最上段から見下ろす「中央郭」跡(中央の四角形が将棋盤) ↓

最上段に鎮座する「王将」の駒(「大山名人」の揮毫) ↓

「主郭」がある「舞鶴山」 ↓

 

「王将」駒像の後ろ拡がる郭は二段構造となっていて上段に天童市街地が望める展望台と大ケヤキがあります。

 

「中央郭」跡の北側に拡がる郭跡 ↓

「中央郭」跡の北側に拡がる郭跡(西側から見上げる) ↓

展望台から望む「天童市街地」 ↓

「大ケヤキ」 ↓

 

その郭の北西方向には「北郭」跡の段郭が夏草に覆われて下りていきます。

 

「北郭」方向 ↓

 

一方、「中央郭」跡の南先端から西側にかけても段郭で下っていく「西郭」跡がありますがここも夏草に覆われて殆ど確認ができませんでした。

 

「西郭」方向 ↓

 

ということで、夏の山城の性(さが)とでもいうのでしょうか、この後の山城でも草に阻まれて探索したい郭群が見れない状態が出てきます。

 

諦めて「車」に乗り次へ進もうと坂道を下りていくと、右手に草が刈られた「南郭」跡が階段状になって見上げる状態で目にすることができました。まさに、当城の最後のプレゼントとなりました。

 

「南郭」跡の段郭 ↓

「馬場」跡と「南郭」跡 ↓

 

時間的にタイトだった当日の計画では、時間があれば「天童陣屋」にも立ち寄る計画を立てていましたが、以前に訪城したこともあり時間を取られるのも嫌だったので諦め、帰り道途中にある藩祖「織田信長」を祀った「建勲(たけいさお)神社」だけ立寄りました。1870年(明治3年)に建立された神社です。

 

「建勲(たけいさお)神社」の階段脇には「織田信長」の幟が並ぶ ↓

「建勲(たけいさお)神社」 ↓

「天童織田藩」の系図 ↓

 

13時40分に「天童」を後にして、「山形市内」を通り抜けて「上山城」へ向かいました。

 

「天童城」がある「舞鶴山」 ↓

 

 

 

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