昨日から再開しました「”現存三重櫓を色々な方向から顔・姿を見る」、本日は「明石城」(兵庫県明石市)に現存している重文の巽櫓・坤櫓」をお届けします。

 

第六弾「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る」の総編

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第六弾「弘前城 丑寅櫓・辰巳櫓・未申櫓」

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第六弾「江戸城富士見櫓」

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第六弾「名古屋城清洲櫓(西北隅櫓)」

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第六弾「彦根城西の丸三重櫓」

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「明石城」は、「大坂夏の陣」後の西国外様大名を監視する目的で、「天下普請」によって急ピッチで築城されました。「本丸」各隅には四基の三層三階の櫓が築かれましたが、「天守」は「坤櫓」後方に「天守台」を設けるだけで築かれることがありませんでした。

 

上述のように、急ごしらえの築城だったこともあり、「坤櫓」は「伏見城」から移築されたものだそうです。

 

四基の内、三基は明治34年まで残っていましたが、「乾櫓」の痛みが激しくて解体されました。また、1995年の阪神淡路大震災では櫓台の崩落と櫓の傾きがあっあことから、曳家工法で櫓を移動させて石垣の積みなおしがされ元の位置に復元されています。

 

現存二基の「巽櫓」(南側から見て右側)と「坤櫓」(南側から見て左側)は、三層三階の層塔型で白漆喰総塗籠で同じような様相をしていますが、よく見ると右左は少しずつ異なります。最も大きな違いは、「巽櫓」の正面は「平側」(建物の側面)である一方「坤櫓」の正面は「妻側」になっていて変化をつけています。

 

下記にその他の特徴的な違いを箇条書きにしておきます。

 

・「巽櫓」→初重正面に軒唐破風、二重目正面に千鳥破風、初重西面に千鳥破風、二重目西面に破風なし、北面初重破風なし、北面二重目千鳥破風、北面には窓が全く無し

 

・「坤櫓」→初重正面に千鳥破風、二重目正面に軒唐破風、初重東面に破風なし、二重目東面に重ね破風(軒唐破風上に千鳥破風)、北面初重千鳥破風、北面二重目破風なし

 

「南大手門」跡桝形から「巽櫓」(右)と「坤櫓」(左)

「巽櫓」(正面南面は平側)

「巽櫓」(南下から見上げる、初重に軒唐破風・二重目に千鳥破風)

「巽櫓」(東面側から見る、奥に「坤櫓」)

「巽櫓」(北東側から、北面には窓が全くない)

「巽櫓」(西面)

「坤櫓」(正面南面は妻側)

「坤櫓」(西面を見上げる)

「坤櫓」(北西側から、最上階の入母屋内妻側が赤く見えるのは「木連(きづれ)格子)」の為)

「坤櫓」(本丸跡の北東側から)

「坤櫓」(北面と手前には「天守台」)

「坤櫓」(東面、二重目には軒唐破風上に千鳥破風を重ねた「重ね破風」)

 

次回ブログでは、「福山城伏見櫓」をお届けします。

 

 

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