「備中松山城」(岡山県高梁市)後編です。前回ブログでは、「天守曲輪」の「天守」までご紹介しましたが、その裏北側には唯一の「二重櫓」が現存して重要文化財に指定されています。
前編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12570638325.html
中編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12570909847.html
二重櫓と天守(いずれも重文)
「二重櫓」は、岩盤の上に石垣を築いて建てられていて、小天守に相当して二重二階、南北二カ所の出入口に庇が付きます。
天守北側に建つ「二重櫓」(重文)
岩盤の上に石垣が築かれている
庇付き入口を持つ「二重櫓」
「二重櫓」北側からは石段で上がる
天守曲輪の復元土塀
「本丸」或いは「天守曲輪」からその下にある曲輪「二の丸帯曲輪」へは、復元の「東門」や「北門」から下りることになります。当曲輪の北側は「搦手門曲輪」で「搦手門」跡の石垣が残ります。
復元「東門」(天守曲輪内側)
復元「東門」(天守曲輪外側)
復元「北門」(天守曲輪内側)
二の丸帯曲輪跡
搦手門曲輪跡
「搦手門」跡
さらにその間に「番所」跡を挟んで、北側の敷地は「後曲輪」と「水の手門脇曲輪」が並び、各々の中には「九の平櫓」「十の平櫓」の櫓台が残ります。
「後曲輪」跡と「九の平櫓」跡
「九の平櫓」台
水の手門脇曲輪内の「十の平櫓」跡
「水の手門」跡を抜ける道が更に続きますが、こちらに進むと「大松山城」に至ります。
「水の手門」跡
「大松山城」には、時間の都合で足を延ばせませんでしたが、今までの「小松山城」とを分ける「大堀切」と「土橋」、「番所」跡の石垣があり、奥に入ると「城戸(きど)」の石垣や「井戸」、「大池」が未だに残る戦国城郭の特徴が良く残っているそうです。
大急ぎで、「ふいご峠」まで下りて、レンタカーを発進させたのが13時40分でした。あと、麓にある「御根小屋」を見に行かなければなりませんが、細い通りが多い中で、少し空間がある場所に車を止めさせていただき、「県立高梁高校」の東門下から立派な石積みが続く石垣写真をまず撮影しました。
「御根小屋」平面図(現 高梁高校敷地)
「御根小屋」跡南面石垣(高梁高校敷地)
麓に置かれた「御根小屋」とは、藩主(城主)の生活の場としてや藩政を執り行う御殿が建ち並んでいた場所です。
「御根小屋」の「御殿」跡(高梁高校校内)
門前には当然のことながら「関係者以外の入校お断り」看板がありましたので、覗いて学校関係者の方を探しましたら、丁度校内巡回されている先生がいらっしゃったので、入校のお願いをすると気安く応えていただきました。
少しお話をすると校長先生のようでしたが、御殿などのお城に関する詳細については良くご存じなく、この学校が映画のロケ地として良く使われるとのお話を伺いました。
車に戻り持参した「ロケ地」マップを見ると、「高梁高校」では映画「バッテリー」等に使われたらしく、高梁市街地だけでも約30の映画のロケ地となっているようでした。
高校の中庭部分が「御殿」跡とその庭園であったらしく「井戸」枠もありました。前回来た時には、「御殿坂」のある「JR伯備線」踏切側からの「御根小屋」正門跡とその石段の写真撮影だけでしたが、今回は校内まで入り、御殿跡や現在テニスコートとなっている「作事所」跡なども見ることができました。
「御根小屋」の「井戸」(高梁高校校内)
「御根小屋」の正門通り
「御根小屋」の正門への石段(手前JR伯備線、奥は高梁高校校内)
「御根小屋」跡(高梁高校校内)
「御根小屋」の「正門」跡(高梁高校校内)
「御根小屋」の「作事所」跡(高梁高校テニスコート)
レンタカーまで戻り、車を乗りながらの「武家屋敷」界隈までゆるりとドライブし、そこから見上げる「下太鼓櫓」台跡の写真を納めました。
武家屋敷通り
武家屋敷長屋門
「下太鼓櫓」台(武家屋敷通りから見上げる)
城下「武家屋敷」の南側は「寺内町」となっていて、多くのお寺が並びます。石垣や白壁を何重にも構え、入口には虎口を採り入れ、まるで城郭風の造りになっているエリアです。
今回は、「頼久寺」のみ、その前の「石垣」と「桝形虎口」の出城の構えを持つ写真を、再度撮影するだけに留めておきました。
頼久寺
市街地をゆっくりとドライブする時間もなく、いざ次の目的地である「鬼ノ城」へ向かいました。
高梁出発時間14時25分です。ナビは、最短距離を選択したこともあって、細い山道の合間を縫って走行しました。
次は、いよいよ今回の「お城巡り一人旅」最後の「鬼ノ城」です。
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