「譜代大名」が居城したお城シリーズ、本日の「烏山(からすやま)城」(栃木県那須烏山市)は、「屋島の戦い」で扇の的を射落とした弓の名手の「那須与一」の子孫である「那須家」が、1418年頃に築城したお城です。

 

「烏山城」の歴史と城主についてもう少し付け加えておきます。

 

戦国時代には、「宇都宮家」や「佐竹家」に度々攻め込まれましたが、落城を堪えて「那須家」が居城を続けます。しかし、「豊臣秀吉」の「小田原平定」に参戦しなかったことから領地を没収されます。

 

その後、「織田信雄」や「成田家」「松下家」の居城を経て、再度「那須家」が「烏山城」の城主となりますが、お家騒動の為に所領を没収され、「大久保常春」が2万石で入城し、そこからは幕末・維新まで統治が続きます。

 

「烏山城」は、「八高山」を使用した戦国時代の山城で「梯郭式」でしたが、「近世城郭」に近づけるべく改修をしながら幕末まで使われました。

 

烏山城の縄張り図

烏山城全景と郷土資料館

 

17世紀半ば、「八高山」の麓に「三の丸」を造成して藩庁として御殿を設けました。現在の「三の丸」跡は、石垣と御殿跡スペースが残ります。

 

三の丸居館跡

三の丸居館跡

三の丸居館跡(北東方向より)

 

 

「三の丸」跡の脇にある「亀寿山神社」から「七曲り」の道が「山城」の中へ導きます。「鼓楼」跡がある「太鼓丸」を通り抜け「常盤橋御門」跡の向こうには「常盤橋曲輪」が拡がりますが、江戸時代には「二の丸」と位置付けられていました。

 

亀寿山神社(三の丸居館跡脇)

七曲口(1640年に新たな登城口として整備)

鼓楼跡から車橋跡(常盤橋跡)で常盤曲輪に、堀切で通路を遮断

堀切を渡る車橋(常盤橋)

常盤門と常盤曲輪(城正面を守る曲輪で江戸時代は二の丸)

 

「吹貫門」と「正門」が続き、「正門」は「本丸」の入口となります。両門ともに石垣が残ります。

 

塩蔵跡

吹貫門の石垣

吹貫門の石垣

正門跡石垣(石垣と土塀で囲む、一部に石敷) 

正門跡石垣で本丸入口

 

「本丸」は、「古本丸」の南側に置かれて「御殿」があり、「那須家」時代には「二の丸」として機能していたようです。「本丸」の西側には、「西城」と、「武器庫」が建てられていた「若狭曲輪」の各曲輪が配備されていました。

 

本丸跡(老杉が林立する、複数の礎石建物群あり) 

古本丸跡(1528-31年に火災で建物焼失し、以降本丸(二の丸)に主郭が移る)

桜門跡(主郭部の搦手)

 

「本丸」と「古本丸」の間には、深い「堀切」で分断され、更にはその両曲輪の西側にも深い「空堀」を掘り、その西側には「土塁」が築かれていて、西側からの防御は厳しいものとなっていました。

 

本丸と古本丸の間の堀切(空堀) 

本丸西側の空堀とその向こうには西城と若狭曲輪

 

「古本丸」と「中城」の間にも「堀切」を施され、「北城」との間からは、麓に通じる「十二曲り」が設けられていました。

 

古本丸と中城の間の堀切

 

「各曲輪」には多くの木々が生えていて、曲輪全体の姿がなかなか認識しずらい現状ですが、当時の姿がそのまま残されている良さがありました。

 

JR「烏山駅」から「三の丸」と登場口まで、徒歩で15分位ですが、その途中には城下町特有の街並みである、蔵建築や酒造店などを見ることができて嬉しい風情です。

 

島崎酒造の蔵

島崎酒造の店舗

蔵建築

 

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