あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「延岡城」(宮崎県延岡市)です。「続日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内の「城郭建造物」は、復元「北大手門」と西の丸跡の摸擬「高麗門」が建ちます。
 
また、当城の最大の見どころが、高さ22mもある「千人殺しの高石垣」で、石垣の下の部分をはずすと石垣が崩れ落ちて1,000人は殺せるという謂れのある高石垣です。
 
「千人殺しの高石垣」 ↓
 
「その他の城郭建造物」ですが、前述の「北大手門」に付随する「袖塀」があります。「袖塀」は両脇の石垣に立て掛けた構造で、下部は「下見板張り」で上部が「白壁」となっています。
 
復元「北大手門」両脇の「袖塀」 ↓
復元「北大手門」両脇の「袖塀」 ↓
復元「北大手門」両脇の「袖塀」 ↓
 
西の丸跡の摸擬「高麗門」の「袖塀」は木製となっています。
 
西の丸跡の摸擬「高麗門」の「袖塀」 ↓
 

 
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NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を毎週見てますか-!

 

戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。

 

やはり戦国時代ならではの戦いのシーンが多いですね〜

 

戦いの中心には、「お城」が出てくることが多いですし、戦いを起こす中心人物が居城しているお城も紹介されています。

 

ということで、ドラマで登場するお城を、今まで掲載してきたブログから貼り付けていきたいと思います。

 

本日は、「織田信長」が「天下布武」を発信し、「足利義昭」の上洛を果たして暫くの間ここを拠点に居城していた「岐阜城」(岐阜県岐阜市)です。

  ↓

 

 

また、先週の「豊臣兄弟!」に遡りますが、「菅田将暉」演じる「竹中半兵衛」が居城した「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)、更に江戸時代に「竹中半兵衛」の子孫が旗本として陣屋を築いた「竹中氏陣屋」(岐阜県不破郡垂井町)も併せて掲載しますのでご覧ください。

  ↓

 

 

 

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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「岡城」(大分県竹田市)です。「日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内、特に山上の「城郭建造物」は全く建っていませんが、何段にも積まれた石垣の凄さは見事な情景です。
 
「三の丸」跡の高石垣 
「西の丸」跡の石垣群 ↓
 
城下町マップ(赤丸は、下記掲載のかまぼこ型石塁壁や土塀があるエリア) ↓
 
「その他の城郭建造物」も殆ど見られないですが、「大手門」跡に上って行く坂道の右脇には珍しい「かまぼこ型石塁壁」が見られます。以前「石垣シリーズ」でも紹介したことがありましたが、「石塁壁」ということで今回も掲載しました。
 
2段の石積みの上に、大きな「かまぼこ」状の石が上から被さった状態の石塀です。
 
「かまぼこ型石塁壁」 ↓
「かまぼこ型石塁壁」 ↓
 
山上から下山して「岡藩主おたまや公園」へ向かう「稲葉川」沿いには、重層な瓦を上に乗せた白壁がかなりの長さで築かれていて、瓦上には「石行燈」を乗せています。何かの行事の際には、この行燈に火が灯されるのかもしれませんが、その光景を見てみたいものです。
 
「稲葉川」沿いの「白壁」と「石行燈」 ↓
「稲葉川」沿いの「白壁」と「石行燈」 ↓
 
「岡藩主おたまや公園」は、「碧雲禅寺」の藩主「中川家墓所」を中心に庭園に整備されていますが、「廟所」を囲う「白壁土塀」が良く映えて見えます。
 
「岡藩主おたまや公園」内の「廟所」を囲う「白壁土塀」 ↓
「岡藩主おたまや公園」内の「廟所」を囲う「白壁土塀」 ↓
「岡藩主おたまや公園」内の「廟所」を囲う「白壁土塀」 ↓
 
「城下町」の「殿町武家屋敷通り」は道沿いは、武家屋敷の邸門から延びる土壁や白壁によって江戸時代の雰囲気が蘇ります。
 
「殿町武家屋敷通り」の「土壁」「白壁」 ↓
「殿町武家屋敷通り」の「土壁」 ↓
「殿町武家屋敷通り」の「白壁」 ↓
 

 
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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

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本日は「森(久留島)陣屋」(大分県玖珠郡玖珠町)です。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

 

城内の「城郭建造物」は、県指定文化財で茶室「栖鳳楼(せいほうろう)」、現存「清水御門」、同「丸木御門」があります。
 
県指定文化財「栖鳳楼」 ↓
現存「清水御門」 ↓
現存「丸木御門」 ↓
 
「その他の城郭建造物」は、上記の「清水御門」から鉢巻石垣の上に白壁「城壁」が延びます。この「城壁」はかわっていて、遠くから見ると「狭間」に見えますが、それは白壁に石が埋め込まれて並んでいるだけで「狭間」ではありません。裏側は「白壁」のままで「控柱」もありません。
 
「清水御門」から延びる白壁「城壁」(狭間の様に見える) ↓
「清水御門」から鉢巻石垣の上の白壁「城壁」 ↓
白壁に石が埋め込まれている ↓
裏側は白壁のままで「控柱」もなし ↓
「清水御門」と白壁「城壁」 ↓
 
清水御門の南側は「清水御門前庭園」となり、「石橋」が架かります。
 
「清水御門前庭園」へ渡る「石橋」 ↓
 
 
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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

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本日は「杵築城」(大分県杵築市)です。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

 

城内の「城郭建造物」は、摸擬「天守・付櫓」、主郭部の「管理用門」や藩校「学習館」の「藩校門」、城下「磯矢邸」に移築された「御用屋敷」や「大原邸主屋」に移築された「城内御殿」があります。
 
摸擬「天守」 ↓
藩校「学習館」の「藩校門」 ↓
 
「その他の城郭建造物」は、前述の「管理用門」に続く「土塀」があります。
 
「管理用門」に続く「土塀」 ↓
 
それ以外には、「御殿」西側の高台である「西台」に重臣を中心とした「武家屋敷」や「藩校」には、邸門から続く白壁や土壁の「土塀」が各所で見られます。また、「塩屋の坂」を上がった南側の高台である「南台」の方にも見られます。

 

「勘定場の坂」沿いの白壁「土塀」 ↓
「勘定場の坂」沿いの白壁「土塀」 ↓
「勘定場の坂」上りきった所の土壁「土塀」 ↓
藩校「学習館」の白壁「土塀」 ↓
「大原邸」の「土塀」 ↓
「大野邸」の土壁「土塀」 ↓
「南台」の「武家屋敷」の「土壁土塀」 ↓
「南台」の「武家屋敷」の「白壁土塀」 ↓
 
 
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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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本日は「大分府内城」(大分県大分市)です。「日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

 

城内の「城郭建造物」は復元や模擬の櫓、櫓門が沢山林立していて、今回テーマの「他の城郭建造物」の「城壁」と共に復元されているので、今回は、「城壁」と共に「城郭建造物」の櫓と櫓門を紹介していきたいと思います。

 

まず「東丸」跡から見て行きます。北東隅には二重の復元「北東隅櫓」が建ちますが、この櫓には白壁「城壁」は付随しません。

 

復元「北東隅櫓」 ↓

 

「東丸」跡の東南隅を見ると、元々は平櫓が建っていた櫓台に二重で再現された模擬「東南隅櫓」が建ち、西方向に向けて「狭間」を上下交互に施した白壁「城壁」が築かれています。

 

模擬「東南隅櫓」に付随した白壁「城壁」 ↓

模擬「東南隅櫓」から復元「着到櫓」まで延びる白壁「城壁」 ↓

 

「東丸」跡の南西隅には復元「着到櫓」が建ち、その両脇には前述と同じ白壁「城壁」が建ちます。

 

復元「着到櫓」の両脇に白壁「城壁」 ↓

 

「着到櫓」はその西側前に建つ復元「大手門」と共に枡形を形成していて「大手門」を監視する役割を持っていたので、その周囲の石垣上には白壁「城壁」を築いて門前の攻撃を可能とする構えになっています。

 

復元「着到櫓」前の「桝形」を形成する白壁「城壁」 ↓

復元「大手門」前を囲う白壁「城壁」 ↓

 

復元「大手門」の西側は「西丸」跡になります。「大手門」から堀沿いの西南隅に建つ復元「西南隅櫓」まで真直ぐの白壁「城壁」が築かれています。そして途中には県指定史跡「宗門櫓」が建っています。「城壁」の外壁仕様は今までのモノと全く同じです。

 

復元「大手門」から復元「西南隅櫓」まで真直ぐの白壁「城壁」 ↓

上記途中に挟まれた県指定史跡「宗門櫓」と白壁「城壁」 ↓

 

復元「西南隅櫓」から北方向に向けて、更に「北西隅櫓」台を挟んで北面にも同様の白壁「城壁」が築かれています。

 

復元「西南隅櫓」の両脇に白壁「城壁」 ↓

「西丸」跡西面の白壁「城壁」と復元「西南隅櫓」

「北西隅櫓」台を挟んで「西丸」跡北面にも白壁「城壁」 ↓

「西丸」跡北面の白壁「城壁」 ↓

 

以上、「東丸」「西丸」の各跡を東、南、西から見た光景ですが、白壁「城壁」によってほぼ囲われていますので、お城の雰囲気を十分味わうことが出来ます。

 

それでは、「本丸」跡を見て行きます。「本丸」跡の北側には県指定史跡「人質櫓」が建っていて、その両脇には「本丸」跡を取り囲むようにして白壁「城壁」が、前述と同様の外観仕様で建っています。特に西側は「天守台」の下まで延びています。

 

県指定史跡「人質櫓」の両脇に白壁「城壁」 ↓

「天守台」下まで繋がる白壁「城壁」 ↓

 

城内の「城壁」は以上ですが、もう一つ特徴的なモノがあります。それは「西丸」跡から「山里丸」跡の間の堀に架かる「廊下橋」です。1996年に復元され、屋根は「檜皮葺」、外壁は低い「下見板張り」の上部は白壁に「真壁造り」、木窓を設けた廊下橋です。

 

「西丸」跡から「山里丸」跡に架かる復元「廊下橋」 ↓

「山里丸」跡から「西丸」跡へ架かる復元「廊下橋」 ↓

復元「廊下橋」の内部 ↓

 

「三の丸」跡西側の「侍町」にも、元々武家屋敷であった邸跡やその「土塀」が見られ、江戸時代の雰囲気を感じることが出来るエリアがあります。

 

「三の丸」跡西側の「侍町」に建つ「土塀」 ↓

「三の丸」跡西側の「侍町」に建つ「土塀」 ↓

「三の丸」跡西側の「侍町」に建つ「土塀」 ↓

 

 

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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「中津城」(大分県中津市)です。「続日本100名城」に選定されています。


城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

 

城内の「城郭建造物」は、摸擬「天守」と模擬「二重櫓」が建ちます。

 

摸擬「天守」 ↓

摸擬「天守」と模擬「二重櫓」 ↓

 

縄張図(赤丸は下記掲載の「土塀」の位置) ↓

 

「その他の城郭建造物」は、上記の摸擬「天守」と同「二重櫓」の間に、両建造物と同じ外壁の「下見板張り」の「土塀」が建てられ、板部分に「狭間」を設けています。そして「天守」側には二段の短い塀が延びています。

 

摸擬「天守」と同「二重櫓」の間に「下見板張り」の「土塀」 ↓

摸擬「二重櫓」に向けて建つ「城壁」(内側は白壁) ↓

摸擬「二重櫓」に向けて建つ「城壁」(内側は白壁) ↓

 

次に、「本丸」跡北側には、「天守」から西方向へ上記の「下見板張り」の「城壁」とは異なる白壁の「城壁」が築かれています。その「白壁」には、上下互い違いに高さが違う「狭間」が並びます。

 

また「白壁」下の石垣に「y字状の目地」が見られますが、これは積上げた時期が異なる為に生じた境目で、西側が「黒田家時代」の石垣、東側が「細川家時代」の石垣ということです。

 

北側の「白壁城壁」と壁下側の「y字状の目地」石垣 ↓

 

次に「二重櫓」の南側から「椎の木門」跡までの間にも、長い白壁の「城壁」が築かれています。その「白壁」は、「本丸」跡北側と同様の上下互い違いに高さが違う「狭間」が並びます。

 

「二重櫓」の南側から「椎の木門」跡までの間の「白壁城壁」 ↓

「二重櫓」の南側から「椎の木門」跡までの間の「白壁城壁」 ↓

「椎の木門」跡まで「白壁城壁」 ↓

「椎の木門」跡の枡形内から見る「白壁城壁」 ↓

 

「本丸」跡の北側端の「三の丸」跡には、「北門櫓」が建っていた跡に「北門櫓」碑が立ちますが、そこに白壁の「土塀」があしらわれています。

 

「北門櫓」碑と白壁「土塀」 ↓

 

「三の丸」跡城下には、多くの「白壁」の「土塀」が見られます。「大手門筋」沿いには「奥平各家」が居住していた「武家屋敷」跡や「南部小学校」正門として使用されている家老「生田家邸門」等が見られます。

 

「大手門筋」沿い「奥平各家」が居住していた「武家屋敷」跡の「土塀」 ↓

「大手門筋」沿いの「武道館錬心館」前の「土塀」 ↓  

「南部小学校」正門として使用されている家老「生田家邸門」から延びる「土塀」 ↓

 

また、お城の南東方向にある「寺町街」にも各お寺の「土塀」が見られますが、その中で一際目立っているのが「合元寺(ごうがんじ)」の「赤壁土塀」で「赤壁寺」とも呼ばれています。

 

「豊臣秀吉」時代、豊前の実力者だった「宇都宮鎮房」が騙し討ちに遇い、この寺に居た家臣達も討ち死に合って血潮を浴びた白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。壮絶な歴史の証としての「土塀」が見られます。

 

「寺町」内の「土塀」 ↓

「寺町」内の「土塀」(奥には「合元寺」) ↓

「合元寺」(赤壁寺)の「赤壁土塀」 ↓

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「人吉城」(熊本県人吉市)です。「日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内の「城郭建造物」は、復元「多門櫓」と同「角櫓」が建ち、近年には「堀合門」が移築先(新宮家)の門はそのままにして、外観を模して本来の位置に復元されています。
 
復元「多門櫓」 ↓
復元「角櫓」 ↓
復元「堀合門」 ↓
「新宮家」に移築されている「堀合門」 ↓
縄張図(赤丸は下記掲載の城壁と橋の位置) ↓
 
「その他の城郭建造物」は、「球磨川」と「胸川」の合流地点に拡がる「外曲輪」跡の際に築かれた「城壁」があります。
 
「大手門」跡脇に建つ前述「多門櫓」から2川の合流地点の復元「角櫓」、更に「球磨川」沿いの「水の手門」跡まで延びる「長塀」です。
 
川側は、白壁の下が3段の「海鼠壁」になっていますので、非常に美しく見えます。「狭間」は施されはしていないですが、「多門櫓」の脇の「城壁」だけに「石落とし」が設けられています。「石落とし」は瓦屋根が出張り板で囲われていて、城内側には二本の木橋で控柱のように支えています。
 
「海鼠壁」の「城壁」、間に「石落とし」が見える ↓
「石落とし」の箇所 ↓
「石落とし」の城内側 ↓
「水の手門」跡へ延びる「海鼠壁」の「城壁」 ↓
「水の手門」跡に再現された「城壁」(内側は白壁) ↓
「米蔵」跡と「城壁」(内側は白壁) ↓
 
「胸川」には、現在はコンクリート橋になっていますが「大手橋」が架かります。
 
「大手門」跡とRC造りの「大手橋」 ↓
「大手門」跡とRC造りの「大手橋」 ↓
 
また、城内には「御館(みたち)」と呼ばれる御殿が建っていましたが、「御館」跡敷地と「外曲輪」跡とは多脚式石橋の「御館御門橋」によって繋がっていました。現在でも1766年築の「御館御門」が現存で架かっていて県重要文化財に指定されています。
 
県重文の多脚式石橋「御館御門橋」 ↓
 
 
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本日16時頃、フラッと散歩に出かけ、「そうだ! ”水月公園”の梅林を見に行こう」と思い立ち向かいました。

 

遠くからの見た目では既に「白梅」は終わりを迎えていて、「紅梅」だけが一際目立っているのが解りました。

 

「紅梅」だけが目立ってました ↓

 

しかし、昨年は見れなかったけど、今年は「紅梅」だけでも目にできて来た甲斐がありました。

 

名前は「摩耶紅」という品種の八重咲きで、花びらは思いきり開き、その中から雄しべが元気よく飛び出しています。

 

「摩耶紅」の花が思いきり開いて咲いていました ↓

 

 

 

 

 

青空をバックにピンクの色が映えて、凛とした咲き誇った「摩耶紅」は、甘い香りを放ち、鑑賞しているモノには凄く心地よかったです。

 

 

 

かろうじて「白梅」や「薄桃色梅」が咲いていました。

 

 

 

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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本日は「八代城」(熊本県八代市)です。「続日本100名城」に選定されています。

 

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               ↓

城内の「城郭建造物」は、「北の丸」に三代城主「松井直之」が生母「崇芳院尼(すうほういんに)」のために1688年に創建した茶庭「松浜軒(しょうひんけん)」が建っています。それ以外では、城内の寺院に「城門」が移築されているモノがあります。
 
茶庭「松浜軒(しょうひんけん)」 ↓
「天守台」 ↓
 
「その他の城郭建造物」では、遺構の殆どが「天守台」等の石垣で、「城壁」等の「土塀」は見ることが出来ません。
 
前述の「北の丸」に建つ「松浜軒」の周囲を取巻く「下見板張り」の「土塀」は建ちます。
 
「松浜軒」の周囲を取巻く「土塀」 ↓
 
また「頬当御門」の桝形前の「内堀」には、「欄干橋」が架かります。元々は「木橋」でしたが現在は「石橋」で、「擬宝珠」には「元和八年癸亥二月吉日」と刻まれた跡が残ります。
 
「頬当御門」の桝形前の「欄干橋」 ↓
「欄干橋」(「二の丸」跡方向) ↓
「擬宝珠」に「元和八年癸亥二月吉日」と刻まれた跡 ↓
 
「廊下橋」も「内堀」に架かっていて、「本丸」と「北の丸」を繋ぎ嘗ては屋根と壁を伴う「廊下橋」でしたが、現在はコンクリート橋になっています。
 
「廊下橋」と「本丸搦手口(廊下橋門跡)」 ↓
「廊下橋」と「本丸搦手口(廊下橋門跡)」 ↓
 
 
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