あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「首里城」(沖縄県那覇市)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「日本100名城」に選定されています。

 

前回も記載しましたが、「琉球」は、14~15世紀初頭にかけて、「北山」「中山」「南山」が覇権を争う戦国時代で、「中山」の「王武寧(ぶねい)」がいち早く、「明」朝に対して琉球の覇者としての地位を認めてもらい(冊封-さくほう)、明皇帝に忠誠を誓って(朝貢-ちょうこう)貿易面でのメリットを享受しました。

 

しかし、1407年に南部の「尚巴志(しょうはし)」が「中山」の拠点を攻略しその覇権を手に入れて、本拠地を「首里城」に移し、その後整備と強化を進めます。そして1416年に「北山」を平定、1429年に「南山」を平定して琉球を統一しました。

 

その後、「尚円(しょうえん)」のクーデターによって、「第一尚氏王朝」は崩壊して、「第二尚氏王朝」となり、その後はその子孫が続きます。

 

ただ、1609年に薩摩軍が琉球に侵攻したことで、当時の「尚寧(しょうねい)」は、薩摩軍に連行され「徳川家康・秀忠」と謁見し、薩摩の琉球政治下に組込まれるとともに、中国(明から清へ)にも朝貢する二重の従属的関係を続けることになります。

 

1879年に、明治新政府は、19代「尚泰(しょうたい)」に対して「首里城」の明け渡しを迫り、琉球王国は崩壊します。

 

太平洋戦争末期に、沖縄守備軍が、「首里城」の地下に司令部壕を造ったことで、アメリカ軍に攻められ「首里城」は消滅してしまいました。

 

2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録れました。これは、首里城の「復元された建物」ではなく、その「正殿基壇の遺構」が文化遺産としての価値があると評価されたためで、その上に「正殿」を始めとして、城郭建造物が次から次へと復元されました。

 

ところが2019年10月の火災で主郭部が焼失し、現在その復元が進み、つい最近には「正殿」の外観が出来上がってきています。

 

「首里城」の立地と縄張りは、丘陵地を上手く活かして造成し、西側がお城の大手で、「中山門(ちゅうざんもん)」を起点にして「綾門大路(あやじょうふみち)」が延びて「中山門」と同形式の「守礼門」がありました。

 

そして「内郭」と「外郭」で構成されていて、「内郭」は主に「政治・行政の空間」、「祭祀の空間」、「居住の空間」の大きくは3区画で構成されています。

 

「外郭」は、「内郭」を取り囲むように築かれその間には幾つかの建物が建ち、地形は「内郭」よりも低くなっていました。

 

前述したように2019年の火災で、「正殿」を始めその周囲の「城郭建造物」が焼失し復元が進められていますが、焼失を逃れた「櫓門」等の建造物が多数建っています。それらは、以下のURLをクリックしてご覧ください。

 

「正殿」(焼失前) ↓

復元「守礼の門」 ↓

「園比屋武御嶽石門」 ↓

 

「首里城」の「櫓門(楼門)」 ↓

 

 

 

 

それでは、「首里城」の石の「城壁」を見て行きます。

 

「綾門大路(あやじょうふみち)」の「守礼の門」を通り抜けてで復元「歓会門」に入ると「外郭」が拡がります。「歓会門」から「円覚寺」跡方向からの入口である復元「久慶門」を繋ぐ「城壁」は曲線を描きながら延びて行きます。「城壁」は本土で見られる「切込接・布積み」です。

 

「歓会門」両脇の「城壁」 ↓

「歓会門」から「久慶門」に至る緩やかな「城壁」 ↓

「歓会門」と「久慶門」の間の「外郭」(「歓会門」の左奥には「主郭」部の「城壁」) ↓

「久慶門」両脇のうねる「城壁」 ↓

「右掖門」から「久慶門」に至る道沿いの「城壁」 ↓

 

「首里城」を守る聖域で、神女達が王家反映・航海安全を祈った「御嶽」が多くあるエリア「京の内」南側の「城壁」は、曲線を多用して「犬走り」のような段が設けられています。

 

「京の内」内の「城壁」(「犬走り」のような段が見られる) ↓

 

「京の内」から「外郭」へ出る「木曳門」は長く延びる「城壁」を刳り貫いた「アーチ門」です。

 

「京の内」の「城壁」 ↓

「城壁」を刳り貫いた「木曳門」 ↓

 

 

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昨日は、昼から陽射しも良くなってきたので、我が家から西側の高台である「緑丘」から「水月公園」(大阪府池田市)をブラっとウオーキングしました。

 

大阪では「大阪城公園」の標本木で開花宣言を行うようですが、昨日(3/26)に桜の開花を発表していました。平年よりも1日早いそうです。

 

池田市内の「ソメイヨシノ」も、あちらこちらでチラホラと開花が進んでいました。

 

「ソメイヨシノ」だけわかりました ↓

 

 

桜の種類は色々あるようで、少し前には関東で「河津桜」が満開になったニュースをよく目にしましたが、関西では「河津桜」はあまり目にしないようです。

 

ということで、昨日はウオーキングしながら多種類の桜を意識しながら歩いてみると、結構色々な「桜」が咲いているのに気づかされました。

 

ただ「桜」と思って写真を撮りましたが、「バラ科」の他種類かもしれませんね〜  

そこはお許しを!

 

 

 

 

 

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「座喜味(ざぎみ)城」(沖縄県中頭郡読谷村)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「続日本100名城」に選定されています。

 

沖縄は、13世紀(1200年代)に「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の3つの王国に分かれていたことは既に記載しましたが、「座喜味城」は、1400年代初期の頃に、按司(あじ、領主)であった「護佐丸(ござまる)」が、中山国王の「尚巴志(しょうはし)」の命令で築城したと言われます。

 

「護佐丸」が、「中城城」に移った後も1500年代前半まで使用されていましたが、その後は周辺住民の「御嶽(うたき)」という礼拝所となっていたそうです。

 

縄張りは、「一の郭」と「二の郭」からなる単純な造りですが、二つの郭を取り巻く曲線のウネリを多用した「城壁」は非常に美しく「城壁」の幅は広いです。

 

城壁には「アーチ門」が繰り抜かれ「一の郭」「二の郭」それぞれ一箇所のみあります。

 

「二の郭」の「城壁」 ↓

「二の郭」の「城壁」 ↓

「二の郭」の幅広い城壁の上 ↓

「一の郭」の「城壁」と「アーチ門」 ↓

「一の郭」の「城壁」の上 ↓

「一の郭」の「城壁」に刳り貫かれた「アーチ門」 ↓

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「今帰仁(なきじん)城」(沖縄県国頭郡今帰仁村)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「日本100名城」に選定されています。

 

沖縄は、13世紀(1200年代)に「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の3つの王国に分かれていたことは、既に記載しましたが、「今帰仁城」は、「北山王国」の王「北山王」の居城でした。

 

しかし、1416年に「首里城」を拠点とする「中山王国」の「尚巴志(しょうはし)」によって攻められ滅亡し、以降は「北山監守」が置かれていましたが、1609年の「薩摩藩」による「琉球侵攻」の後1665年に廃城となりました。

 

「今帰仁城」の縄張りは、北側に広大な「外郭」を備え、兵士の調練場として使われていた「大隅(うーしみ)」の城壁が囲います。この一段上の郭が女官邸があった「御内原(うーちばる)」と「大庭(うーみゃ)」とが隣り合わせに並びます。

 

そして「大庭」の少し高くなっている場所が「本丸」に当たる「主郭」となり、こちらに大きな2基の建造物が建っていたようです。「主郭」の南端には「門」があり、そこを潜り抜けると、最も南側に位置する「志慶真門(しけまじょう)郭」が目の下に拡がります。

 

縄張図(斜め左下が北方向) ↓

 

「今帰仁城」には、城郭建造物は建っていませんが、特徴的なモノとして石でできた「平郎門(へいろうもん)」が修築されています。この門の両脇には「城内」側の両脇に「銃眼」を備えた石でできた「部屋」があります。

 

「平郎門」(左側に「銃眼」が見える) ↓

「銃眼」がある石積みの部屋 ↓

 

「今帰仁城」も、石で出来た「城壁」が見事で、まるで「万里の長城」の小型版を見ているようです。特に「大隅」を囲う「城壁」、「志慶真門(しけまじょう)郭」を取巻く「城壁」は「万里の長城」を彷彿とさせる光景です。

 

「外郭」周囲の石の「城壁」 ↓

「大隅」を囲う「万里の長城」の様な「城壁」(御内原から望む) ↓

「大隅」を囲う「万里の長城」の様な「城壁」 ↓

「志慶真門(しけまじょう)郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

「志慶真門郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

「志慶真門郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

 

「主郭」周囲の「城壁」は、上部がゴツゴツした石で覆われ、上記の郭周囲の「城壁」と少し異なっているようです。

 

「主郭」周囲の「城壁」 ↓

「主郭」周囲の「城壁」 ↓

「主郭」周囲の「城壁」から「志慶真門郭」へ下る ↓

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

前日から、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「勝連(かつれん)城」(沖縄県うるま市)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「続日本100名城」に選定されています。

 

1300年代の初めに築城され、1400年代初めには「阿麻和利(あまわり)」という按司(領主)が居城しました。

 

そして、「阿麻和利」は、朝鮮や中国との交易などによって力を蓄えるようになると、「首里城」王の傘下にあった「中城」の「護佐丸」を攻め立て滅ぼすことに成功し、更には「首里城」の王にも戦いに挑みますが、彼は討ち死にして「勝連城」は廃城となりました。その後は、地元民の信仰の場「御嶽(うたき)」となります。

 

「勝連城」の縄張りは、五つの曲輪で構成されていて、最高所を「一の曲輪」として、南側に向けて順番に「二の曲輪」「三の曲輪」「四の曲輪」と低くなりますが敷地の面積は大きくなっていきます。そして、五つ目の曲輪「東の曲輪」は高い丘上になります。

 

全体の模型(左側が東の曲輪、中央が四の曲輪、右側が一~三の曲輪)

右から一の曲輪~三の曲輪図 ↓

 

当城も「中城城」と同様に「城郭建造物」はありませんが、各郭を取囲むようにして石の「城壁」が見られます。

 

「三の曲輪」の「城壁」 ↓

「三の曲輪」の「城壁」 ↓

「二の曲輪」の「城壁」 ↓

 

こちらの「城壁」は、「中城城」のモノよりも幅があるように見え、特に最高所にある「一の曲輪」を下から見上げると「城壁」そのものが「要塞」のように見えます。

 

「三の曲輪」から「二の曲輪」を通過して「一の曲輪」に繋がる「城壁」 ↓

「城塞」に見える「一の曲輪」の「城壁」 ↓

「城塞」に見える「一の曲輪」の「城壁」 ↓

「一の曲輪」の「城壁」 ↓

「一の曲輪」の「城壁」 ↓

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日から、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を見て行きたいと思います。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかもそれによってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介していきます。

 

まず本日は「中城(なかぐすく)城」(沖縄県中頭郡北中城村)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「日本100名城」に選定されています。

 

沖縄は、13世紀(1200年代)に「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の3つの王国に分かれていました。

 

お互いに独立していたので、各国王は王国としての存在を認めてもらえるように、当時の「元」や「明」と朝貢貿易をしていました。その為にも「王国」の中心である「城(グスク)」を築城して、国王はそこに居住していました。

 

そんな中で「中城城」は、1300年代に地元の豪族が築城し、1440年頃には「琉球」の築城名手「護佐丸」によって、整備拡大されました。その後、「琉球王朝」の傘下に置かれ、「正殿」跡には行政施設として「番所」を設けて管理されました。

 

更に歴史に出てくるのが、1853年にアメリカの「ペリー」艦隊が「琉球」に上陸して、この「中城城」の調査が行われました。

 

「城(グスク)」の縄張りは、「一の郭」「二の郭」「三の郭」とほぼ一直線に段々と下る「連郭式」で、その周囲には「南の郭」「西の郭」「北の郭」が南から西側の守りを固めました。各郭の周囲は、琉球「城(グスク)」の特徴である曲線使いの「城壁」によって囲われています。

 
当城には「城郭建造物」はありませんが、真中が曲線になった「三の郭石垣」「二の郭石垣」は良く写真で紹介されていて、石積み技法は「相方積み」の綺麗な積み方となっています。
 
「三の郭石垣」(この上が「三の郭」) ↓
「二の郭石垣」(この上が「二の郭」) ↓
 
石による「城壁」は、郭毎の出入口となっている石でできたアーチ状の石門から両脇に延びて各郭を囲います。郭の形はスクエアではないので、郭の敷地の曲線的な凸凹に沿ってウネウネと美しい「城壁」が延びていきます。
 
「北の郭」の「裏門」とそれに続く「城壁」 ↓
「北の郭」の「城壁」と「アザナ(見張台)」 ↓
「北の郭」の「城壁」と「アザナ(見張台)」 ↓
「二の郭」の城壁(奥下は「三の郭」) ↓
「二の郭」の城壁 ↓
「二の郭」の城壁
 
「中城城」の「二の郭」の「城壁」越しに見下ろす「中城城港」周辺の街並みと海は素晴らしいものがあります。
 
「二の郭」の城壁から「中城城港」方向を見下ろす ↓
「二の郭」の城壁 ↓
「二の郭」城壁が「一の郭」へ繋がる「石門」に繋がる ↓
「一の郭」の「城壁」 ↓
 
 
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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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本日は「鹿児島城(鶴丸城)」(鹿児島県鹿児島市)です。「日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内の「城郭建造物」は、2020年に復元された「御楼門」が建ちます。
 
復元「御楼門」 ↓
 
「その他の城郭建造物」では、「御楼門」の復元に当たり、古写真では門周囲に白壁「土塀」が建っていますが、周囲の「城壁」が全く復元されていないようです。
 
古写真では「御楼門」周囲は「城壁」が見られるが(現地に掲出写真) ↓
 
ですので、既にあった「擬宝珠」付きの「欄干橋」「本丸」跡西側に架かる「北御門橋」を掲載します。
 
「欄干橋」は、元々は木橋でしたが1810年に「石橋」に架け替えました。
 
「石橋」の「欄干橋」 ↓
復元「御楼門」と「欄干橋」 ↓
「欄干橋」(「御楼門」復元前の写真) ↓
 
「北御門橋」は基部が石積みの「土橋」ですが、現在その上に手摺の桟を設けた橋になっています。
 
「北御門橋」 ↓
 
「二の丸」跡には、「塀」と呼べるかどうか判りませんが、「切込接・布積み」の石垣上に石の屋根を設けた、所謂「かまぼこ型塀」のようなモノが見られますので、写真を掲出しておきます。
 
「かまぼこ型塀」のような石垣 ↓
「かまぼこ型塀」のような石垣 ↓
 
 
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本日、春の良い天気に誘われて、我が家の近隣をウオーキングしました。

 

最近は、首を支える筋肉が付いてきたのか、歩ける距離を少しずつ延してウオーキングをしています。

 

折角ですので、「春の花」を見つけては写真を撮って歩きました。

 

さすがに、ソメイヨシノの開花は見られませんでしたが、少し先っぽがピンクに染まっている蕾も見つかり、大阪の満開予想は4月1日〜3日の様ですので、これからウキウキしていくでしょう。

 

ただ今回は、各家庭の庭などに咲いている花を載せていますので、春を感じてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウオーキング途中に、友人が「4月1日に”滋賀県高島”のメタセコイアの並木道を見に行くけれど芽吹きしているだろうか」とう話を思い出し、我が家近隣の「大阪府立池田高校」にメタセコイアが3本植わっているので、もう芽吹いているのかを確認しにいくことにしました。

 

しかしながら、残念ながら写真のように、未だ裸状態のままで緑の芽すら吹いていないのを確認して、友人にその写真を添付してラインを送っておきました。

 

 

 

家に戻り、今年は未だ未撮影だった我が家の「クリスマスローズ」と「沈丁花(チンチョウゲ)」をカメラに収めましたのでご覧ください。

 

 

 

 

 

また今日は、昨年挿し木しておいた「イチジク」と「ブルベリー」が根を張っているのを確認して、植木鉢に植替え作業をして肥料をやりました。

 

まだまだ実がなるのは先でしょうが、日々の成長を見るのが楽しみになります。また、成長の過程を掲載したいと思っています。

 

 

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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「飫肥城」(宮崎県日南市飫肥町)です。「日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内の「城郭建造物」は、復元「櫓門」、復元「旧本丸裏門」、復元「松尾の丸御殿」、最後の藩主の「伊東祐帰」の居館「豫章館(よしょうかん)」、藩校「振徳堂」の藩校門と主屋があります。
 
復元「櫓門」 ↓
復元「旧本丸裏門」 ↓
復元「松尾の丸御殿」
最後の藩主「伊東祐帰」の居館「豫章館」 ↓
藩校「振徳堂」の藩校門 ↓
藩校「振徳堂」の「主屋」 ↓
 
「その他の城郭建造物」は、上記「櫓門」の後ろの桝形を形成する白壁「城壁」が再現されていて「狭間」も設けています。
 
「櫓門」後ろの「桝形」を形成する「城壁」 ↓
 
門を潜り中に入ると、左端に「犬馬場」と「本丸」跡に向かう石段が延びてその両脇にも白壁「城壁」が築かれています。その右側には白壁に囲われた「武者隠し」も見られます。
 
「櫓門」裏の「桝形」から「本丸・犬馬場」跡へ延びる白壁「城壁」 ↓
「白壁」に囲われた「武者隠し」 ↓
 
「中の丸」跡から「馬場」跡にかけても「狭間」が付く白壁「城壁」が真直ぐに築かれていて、白壁の裏側は「控柱」によって支えられています。
 
石段を上がった突当りにも白壁「城壁」 ↓
右が「馬場」跡 ↓
左へ行くと「松尾の丸」跡や「中の丸」跡へ ↓
この石段を上がると左が「松尾の丸」跡、右が「中の丸」跡 ↓
「中の丸」跡(現 歴史史料館)入口付近の「城壁」 ↓
「中の丸」跡から「馬場」跡にかけて建つ「城壁」裏側 ↓
「控柱」が並ぶ ↓
「馬場」跡から「中の丸」跡にかけて建つ白壁「城壁」 ↓
「旧本丸」跡の「城壁」 ↓
 
城下は「伝統的建造物群保存地区」となっているので、多くの「武家屋敷」が建ち並び、その邸門に続く「土塀」は、「下見板張り」で上部が白壁になっています。
 
左は「豫章館」の「土塀」(正面は「櫓門」) ↓
「武家屋敷」の「邸門」と「土塀」 ↓
「武家屋敷」の「邸門」と「土塀」 ↓
「武家屋敷」の「邸門」と「土塀」 ↓
「武家屋敷」の「邸門」と「土塀」 ↓
 
 
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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「天ケ城(高岡城)」(宮崎県宮崎市高岡町)です。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

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城内の「城郭建造物」は、「歴史民俗資料館」となっている模擬「天守・付櫓・続櫓」が建ちます。更にその門として模擬「表門」と「冠木門」も建っています。
 
摸擬「表門」と模擬「天守」 ↓
摸擬「天守」 ↓
 
「その他の城郭建造物」は、上記「資料館」の周囲を取り囲む白壁の「管理用土塀」が建っています。
 
「表門」から繋がる「管理用土塀」 ↓
摸擬「冠木門」と「管理用土塀」 ↓
白壁の「管理用土塀」 ↓
白壁の「管理用土塀」 ↓
 
 
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