9/5(木)からスタートした今夏2泊3日の「夏恒例のお城巡り」2日目、今夏城巡りの旅の8城目は「白石(しろいし)城」(宮城県白石市)です。
昼間に貴重な1本であった「米沢駅」13時8分発の電車に乗り「福島駅」へ向かいました。冬は雪が多いのでしょうか何か所かの駅にはトタン覆いの駅があり、特に「峠駅」では乗降客が結構いたのと、久しぶりに「駅弁売り」を見かけました。私の隣のご夫婦は「駅弁」を購入できて凄く喜んでいて写真に納めていました。
この日は「青春18きっぷ」使用(4回目、「左沢駅」では丸印はなかった) ↓
見にくいですが「峠駅」(スイッチバックの名残か?) ↓
後から知ったのですが、「峠駅」は嘗てスイッチバックの駅だったらしく「山形新幹線」が開通して無くなったとか。そういえば、トタン覆いの中に線路が違う方向に伸びているのが見えましたが、事前に良く予習しておくべきでした。
「福島駅」に着いて、東北本線「白石行」14時40分発まで46分もあるので、一旦駅へ出ると気温が30℃と丁度大阪では35℃位の日だったので涼しさを感じるも、「ドトール」で無性にソフトクリームを食べたくなってナメナメしながら待機しました。
「福島駅前」の温度計は30.4℃ ↓
「東北本線 白石行」 ↓
ホーム階段に「白石城」 ↓
「白石駅」に15時16分着、歩いて「白石城」を目指しました。当城には11年前に訪城していますが、駅周辺の面影は全くありませんでした。
それでは登城前に、「白石(しろいし)城」の歴史と城主についてお話をしておきます。
「白石」の地は、「後三年の役」以降から「藤原家」が治め、続いて「白石家」が居館を建てていました。
「豊臣秀吉」が全国統一を果たして「奥羽仕置き」による領地再編成を行った時に、「伊達政宗」から「会津若松城」と「白石城」を召し上げ、「白石城」は「蒲生氏郷」の家臣「蒲生郷成(さとなり)」に与えられて、本格的なお城造りを始めます。
その後「上杉景勝」の領地になり家臣を城代として置きますが、「関ケ原の合戦」の東北版「慶長出羽合戦」時の「政宗」と「景勝」との戦いで、「伊達家」が「白石城」を奪還して「仙台城」の支城とし、そこに「片倉景綱」を配置します。
そして、「一国一城の令」後も「伊達家」のお城として認められ、幕末・維新まで「片倉家」が城主として統治します。
「白石城」の立地と縄張りは、河岸段丘上に築かれた「平山城」で、丘陵頂上に「本丸」を置き、北側に「厩曲輪」、西側から南側を囲うように「二の丸」を設け、更にその西側から南西にかけては「中の丸」を置き、続いて東側に「南の丸」「巽曲輪」が続きました。また、「中の丸」西側には、「沼の丸」「西曲輪」と数多くの曲輪を設けていました。
「本丸」東側に南北縦長の「帯曲輪」が設けられていますが、この東側には「白石川」から城内に引き込んだ水堀替りの「館堀(たてほり)川」が流れ、川越えした東側から北側にかけて「三の丸」が、更に堀を兼ねた用水路越しの東側から南側にかけて「外曲輪」が配置されていました。
縄張図(現地に掲出) ↓
私は、現在「ヨークベニマル」が建つ「三の丸」跡を抜けて「二の丸一ノ門」跡から坂道を上りました。坂途中に「二の丸ニノ門」跡の説明書きが立っていて、その門は「東口門」とも言われて現在は市内の「当信寺山門」に移築されている旨が書かれています。21年前に訪城した際に、訪れたので今回は割愛しますので、当時の写真を掲載しておきます。
この先が「二の丸一ノ門」跡 ↓
「二の丸ニノ門(東口門)」跡 ↓
「二の丸ニノ門(東口門)」(「当信寺山門」に移築、2003年の写真) ↓
「二の丸ニノ門(東口門)」(「当信寺山門」に移築、2003年の写真) ↓
坂道の左手には「本丸跡外郭石垣」と説明があり、 江戸時代に積替え工事があって「野面積み」と「切込接」の石積みの違いがそこで見ることができます。
「本丸跡外郭石垣」(「野面積み」と「切込接」の石積み) ↓
「本丸跡外郭石垣」(「野面積み」と「切込接」の石積み) ↓
坂道を上がり切った広場が「帯曲輪」跡で、真ん中に「井戸」屋形があります。「帯曲輪」跡側から見上げる天守代用「大櫓(三重櫓)」の北面は、小さな「付櫓」と一重目の切妻屋根の「出窓」が観察できます。
「帯曲輪」跡の真ん中に「井戸」屋形 ↓
「大櫓(三重櫓)」の北面(小さな「付櫓」と切妻屋根の「出窓」) ↓
「天守」と言わないで「大櫓(三重櫓)」と記載したのは、当時「仙台藩」では「仙台城」があったものの、「一国一城の令」では当城は幕府から支城として認められて廃城にしませんでしたので、幕府に遠慮して「天守」とは呼ばなかったようです。
「本丸」跡へ入城するに当たっては、まず復元「大手一ノ門」を通り抜け、横矢が掛かった「土塀」の出っ張りの奥に構える櫓門である復元「大手ニノ門」を潜ります。
復元「大手一ノ門」と「大手ニノ門」の位置(「大櫓」から) ↓
復元「大手一ノ門」 ↓
復元「大手ニノ門」前に「土塀」の石垣が出張り通路が狭くなる ↓
この櫓門の特徴としては、門扉が正面に付かないで右側に寄せて付けられています。敵の侵入に備えて出張った「土塀」も含めてジグザグに通行させるように仕掛けています。
復元「大手二ノ門」の門扉は右に寄る ↓
復元「大手二ノ門」裏側の「雁木」 ↓
「本丸」跡は非常に広く、「大手ニノ門」を潜ると右手に折れて「大櫓(三重櫓)」の東面を眺めることになりますが、天守台の周囲を土塀が取巻いているので四重に見え、「帯曲輪」跡から見上げた時よりもほっそりした見え方をします。
「大櫓(三重櫓)」の東面(四重に見えるが土塀の瓦) ↓
「大櫓(三重櫓)」の東面に付く「付櫓」 ↓
復元「大櫓(三重櫓)」(「本丸御殿」跡より) ↓
まずは「大櫓(三重櫓)」に入ることにしましょう。
「天守台」下から屋根付きの直線的な石段を上って1階に入ります。1995年に木造で復元され、「掛川城」の木造復元の翌年に建てられ、当時の木造復元ブームの推進力となりました。
「天守台」下から屋根付き直線的な石段を上って1階へ ↓
木造建造物は、木のぬくもり、暖かさを感じることができてホッとするところがありますし、資料や展示物類もあまり置かれていないのでスッキリしています。
「付櫓」内部 ↓
1階の「武者走り」「身舎(もや)」、壁の「狭間」や切妻出窓下の「石落とし」等を見ながら、中央に備えられた踊り場がある「階段」を上がります。
1階の「武者走り」 ↓
1階の「身舎(もや)」 ↓
1階の「狭間」 ↓
1階の「出窓下の石落とし」 ↓
2階の「武者走り」「身舎(もや)」を見て最上階の3階に上がると、下から見えていた「華頭窓」風の「高欄・廻縁」への出入口、東西南北の4箇所が大きく空いているので室内全体が明るく、爽やかな風が吹き抜けていきます。
2階の「武者走り」 ↓
2階の「身舎(もや)」 ↓
2階から踊り場を経て3階へ ↓
3階の「華頭窓」風の「高欄・廻縁」への出入口 ↓
3階の明るく風通しが良い室内 ↓
天井は「小屋組み」 ↓
また、出入口には「障子戸」も付いているので、開閉も可能になっています。
出入口の「障子戸」 ↓
「高欄・廻縁」に出て、これから廻る「本丸」跡、「二の丸」跡、「厩曲輪」跡などをある程度頭にインプットして下へ下りました。
「本丸」跡 ↓
「二の丸」跡 ↓
「厩曲輪」跡 ↓
「大櫓(三重櫓)」櫓台の直ぐ脇に建つ寄棟屋根の「鐘堂」ですが、当時は非常時や、堀と土手の清掃時に鳴らされたそうです。1661年に再鋳造された鐘が1870年のお城払下時に伊達郡桑折町の「傳来寺」に買い取られ、現存しているそうです。
寄棟屋根の「鐘堂」 ↓
「本丸御殿」跡には、御殿の平面図がCG写真と共に掲出されていて、「本丸」一杯に建物が建っていたのが分かります。
御殿の平面図 ↓
御殿のCG写真 ↓
「本丸」の南西隅と南東隅にはそれぞれ「未申櫓」と「辰巳櫓」が「土塁」上に建っていたことを示す標識が立っていました。この間は「土塁」が続き、丁度真ん中辺りに「南の丸」に出る「裏御門」があって現在でもその「土塁」が残ります。
「未申櫓」台 ↓
「辰巳櫓」台 ↓
「本丸」跡の南側は「土塁」 ↓
「裏御門」跡 ↓
「裏御門」脇の「土塁」 ↓
「南の丸」「中の丸」跡は、以前は「白石高校」でしたが、現在は廃校か移転したようです。
「南の丸」「中の丸」跡(「本丸」跡南の「土塁」上から) ↓
最後に、もう一度北側の「帯曲輪」跡に戻り、「二の丸」跡へ足を伸ばしましたが、小さい曲輪でした。「二の丸」跡と「本丸」跡の細長い敷地には「馬場」跡があります。
「二の丸」跡 ↓
「馬場」跡(左は「本丸」跡) ↓
「本丸」跡南西方向から見上げる ↓
更に北方向の「厩曲輪」「西曲輪」跡には「神明社」や「三荒神社」が鬱蒼とした森の中に建っていました。
「厩曲輪」「西曲輪」跡内に建つ「神明社」 ↓
「厩口門」は現存「延命寺山門」に移築(2003年の時の写真) ↓
「武家屋敷」は前回訪れていますので、カットして「白石駅」に向かって戻りました。しかし私は、次に乗る電車の時間を30分程早くと勘違いして慌ててしまいましたが、もう少しゆっくり周辺を廻れるところでした。
「白石駅」16時46分発の電車で「福島駅」へ向かい、そこで「郡山行」に乗換えて「郡山駅」に18時24分に到着しました。
「郡山駅」では「会津若松行」電車まで約50分の時間があったので、ゆっくりと食事がとれたので「ソースカツ丼定食」を食べて、その日使ったエネルギーを回復をしました(この日の最終歩数は約29,000歩でした)。
ボリュームたっぷりの「ソースカツ丼定食」 ↓
一昨年は、「郡山駅」に着いたものの大雨による「磐越西線」不通で、高速バスに乗って「会津若松」まで移動しましたが、今回は19時19分発の「快速あいず9号」に乗ることができました。気動車だと思っていたのが電車だったのと通勤時間帯だったこともあって満員だったことに驚きました。
「磐越西線」の「快速あいず9号」 ↓
「会津若松駅」に20時36分の到着して「ホテルα-1会津若松」に宿泊しました。いよいよ、翌日が「向羽黒山城」登城です。
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