中小企業で働くということ
転職、転職、派遣→派遣などと、仕事を変えてばかりいると(まあ、新卒→大企業のコースを歩く以外の道では普通でもそうだが・・)いつかは、家族経営のような小企業、または社員数100人くらいの中企業で働くということになる。
俺も
中企業 システム開発会社、と人材派遣会社(派遣する方)
小企業 下請け専門のパソコン設置、レジ設置会社
で働いたことがある。
中企業というところはそんなに悪いところばかりではない。
社員数が100人とかいうレベルなら社長の顔が直接みることができ、飲みに行ったりする機会もある。この場合、社長が尊敬できる人柄等を持っているのなら、結構仕事をする上でプラスのエネルギーとなる。
人材派遣会社で働いていた時にはわりとプラスだったような気がする。人材派遣大手のグループ企業の一つだったのだが、社長は確か30代半ばくらいだったように思う。そういうグループ企業の場合(俺が働いていた会社だけかもしれないが)社長は他のグループ会社で色々な経験をつんで、会長とその側近の指示により社長に任命される。俺の会社に新しくきた人も結構感じの良い人だった。長く働いたわけでもなく、一緒に飲みにいったわけでもないが、社長から、声をかけてもらったり結構目にかけてもらっていたと思う。この会社は新聞広告の求人応募を見て応募し入社した。
まあ、大手グループの一員ということもあって、働く側にとっては会社らしい会社ではあった。すでに組織としてある程度完成されていたように思う。
まあ、必要ないことかもしれないが、当時この俺の働いていた会社では営業成績が悪い営業所には、1年365日営業という会長命令が下り、日曜がなくなっていたことを追記しておく。労働基準法などあってなきがごとしだ。
システム会社、これはタチが悪かった。従業員は同じく100人規模。大体、当時のアルバイトニュース(an)を見て入社したのが悪かったかなと今になって思う。立派な会社の求人は入り口も立派な気がする。
CSK出身の創業社長は高卒で営業畑なのでコンピューターのことなどいまひとつわかっていない人であったが、とにかく上場を目指すとは宣言はしていた。中の社員はアルバイトニュースで求人しているくらいなのでほとんどが中途であった。大体20代~30代半ばというところか・・。40代、50代くらいかなという営業系社員も中にはいたが、人という人が大概いけてなかった。皆に活気がなかった。これはコンピューター系の小さな会社特有のものなのかな?
めちゃくちゃなソフトハウスなどはよく聞く話だしなあ。
何しろ小さな会社のクセに当時の課長二人(両方30代前半)が勢力争いをしていてろくでもなかった。新入社員をいじめて追い出したり本当にめちゃくちゃだった。
小規模や中規模でも少数精鋭ベンチャーのようなすごいところもあるのに、なぜこんな所で働いてしまったのか、ということはある。会社を選ぶ能力は仕事をする能力と同様に重要だ。
総じて言えるのは自分が尊敬できない上司やトップしかいない会社では働くな!ということかな・・。
自分とせめて同様か、自分より力が上の人間と働かなければならないし、話さなければならない。そうしなければ、せっかくの自分の力を無駄にしてしまう。これは特に人柄においてそうかな・・。
道を誤ると遠回りをし、場合によってはどこまでも落ちていく。
会社選びとは自分の周りで毎日出会う人選びでもあると思う。
小規模の会社はまた事情が違うのでまた今度書こう。
特許事務所の仕事の話
特許事務所の仕事の話
俺は20代後半、特許事務所に勤めていた。
大体所員が50名くらいの関西では中規模の特許事務所だった。
新聞広告を元に応募して、面接まで行き、結局同時に4人が採用された。
多分、書類審査、面接はかなり厳しかったのではないかと思う。その理由はその時俺は他に3つか4つの特許事務所を受けて、書類や面接で落とされた結果の採用だったからだ。
さて、その特許事務所、ここがさすがに中堅だけに、機械、電気、バイオ等、色々な内容の特許を扱っている会社だった。
仕事内容はというと・・。
まず、当時パソコンが普及していたにも関わらず、ワープロを思い切り利用していた。ほとんど全員がワープロを使っていた。
俺が最初に担当したのは、俺がバイオ系卒にもかかわらず、コピー機の特許であった。
特許事務所の仕事というのは、企業から、発明を元にして、企業の研究員が書いた、粗い特許明細書を、特許庁で許可されやすく、また、特許請求権が少しでも広い範囲になるように書き直すことなのだ。そしてそれができた後、海外特許であれば翻訳するなどして、海外の特許を管轄する官庁に提出するのだ。
この仕事が・・・。はっきりいって人生で一番おもしろくない仕事だったといえる。
バイオ系の人間が、コピー機の特許を書くというのはまだ良いとしても、企業から送られてくる、技術者が発明である! と規定している技術のないようが、しょうもないしょうもない。
あんた、これ特許じゃないやん!こんなんタダの思いつきのレベルやろ!ということが特許ということで送られてくるのだ。
その限りなく黒に近いグレーゾーン?の特許を特許成立に白まで持っていくのが特許事務所の仕事なのだった。
この仕事は本当につまらなかった・・。今、考えてどうなのだろう?自分の専門分野であればもう少し楽しめたのか?その答えは多分イエスか。だが、当時の俺にとっては単なる思い付きレベルの発想を特許にまでもっていくという仕事は苦痛でしかなかった。技術を愛するものなら皆そうじゃないか、そんなことを思う。
しかも、仕事の研修というものも何もなく、いきなりOJTとして専門外でしかもくそショボい技術を特許庁に飾り立てて、申請しなくてはならないのだ。
俺にはとても我慢ができなかった。俺がもっともすぐにやめてしまった仕事の一つが特許事務所である。
特許事務所の中の人たちの話をすると結構、色々ないい感じの人がたくさんいてそれは非常によかった。(人間関係は非常に良好だったといえる。)
何よりも同期の人間などはお互い学歴が似通っているので、大体の話が合った。俺以外は、メーカーを身体を壊して中途でやめた人間、ずっと塾講師をやっていた人間などがいた。他のメンバーを見渡しても、やはり大学院卒なども普通におり、元メーカー勤務であったり、元教師などという人もいた。
女性では翻訳を専業でやっている人などがいて、あの日本語ですら難解な文章をよく英語にできるなと感心したものだ。whichの中にwhichが5つぐらい入っているのだ。特許翻訳は難解かつ、本当に何の色気もない仕事だったな。(そのかわりできれば高給取りということになるのだろうが・・)
所内には弁理士が6人くらいおり、そのそれぞれはかなりいい給料をもらっていたようだ。
弁理士ではない俺の給料も多分、大手メーカーなどとそんなに遜色ないレベルの給料だったと思う。
まあ、ひとつ言えるのは、特許を取りたい、と思っている人間が、特許事務所で働く必要は全くない。全く別の分野だと考えておいた方がいい。逆に苦痛である。
俺はそれで間違えた。
ちなみに弁理士を東京でやっている俺の友達の年収は30代半ばで、600万くらいといっていたと思う。多分業界的には低い給料の事務所なんだろうな。本当はもう少し高いはず。
大学、大学院でのドロップアウト
大学、大学院でのドロップアウト
この人生における挫折の一つ?ドロップアウトという事は結構ある。俺もその一人か?周りにも数人いる。一人は大学院修士を出た後、一年特許事務所で働いた後、結局田舎に帰ってずっと実家で働かずに過ごしているし、大学院を中退した奴は、その後、派遣で3年程働いた後、特許調査の会社で働きながら弁理士の資格を取って今は特許事務所で働いている。
かくいう俺は大学院修士修了直前に不眠症になり体調を完全に崩し、結局就職もせずに、卒業後は2年程は山を登ること以外は何もしなかった。サラリーマンも何度かやったが未だにフリーターである。
高校中退などもドロップアウトと呼ばれたりするのかもしれないがちょっと種類が違う。
大学院中退、世間で結構有名と呼ばれる大学を出たのにフリーターやニート、こんなもの実は何ともないことなのだが、ダメージは普通の挫折よりでっかかったりする。
どうやったら立ち直りが早いか。
俺の最近の経験から言うと大手SNSのmixiに入ったりするのも良いと思う。
mixiにはコミュニティーというのがあって「無駄に高学歴」というコミュニティーがある。そこには東大や京大卒、博士号持ちで学歴を活かせなかった人達がたくさんたくさんいる。
ある人は学歴が生かせなかった人生を悩み、またある人は鬱だったりある人は統合失調症だったりもする。人によっては何年かたって元の道に戻ったり、別の道に生きがいを見出したりしている。
また、「30代の大学院生」などのコミュもあり、たくさんの人が年齢がいってから学問を目指しているのを知ることができる。俺も40代で大学生をしている人などとも知り合い、いい刺激を受けている。
まあ心もしくは身体が病気になる。
これが人生最大の挫折と言えると思う。
俺の考え
病気でないなら・・・
それは挫折ではない。特に20代の人はそうだ。
いい学校を出たからという認識を一回捨てて、5年や10年後くらいに自分がどうなりたいか目標を再設定すべきだ。その上で当初予定していなかった仕事をするのもいいし、もう一度何かの学校に行くのもいいし、お金があるなら海外などに行くのも良いと思う。
特に院卒など専門性が上がってしまった後の再出発は難しい。専門性が高いが故の悩みが生ずる。また、学歴というプライドもからむ。しかし長期的スパンで目標を再設定するのが一般的に良いと俺は勝手に思う。
もう一つ思う事
学歴は無駄になる。悲しいが場合によってはそうだ。
就職活動をする場合、大体5年くらいは活きるんじゃあないかとは思うが、所詮はその程度のものだ。というか就職活動というものが所詮はその程度なのかもしれない。新卒やとにかく若い使いやすい人間を使いやすく使う。悪い会社なら使いつぶす。それが企業経営というものだ。
しかし無駄にならないもの、それは学力だ。これは病気の場合を除き、決して無駄にはならない。有名大学卒の学力が高校卒の学力に負ける事というのはまず一生ありえない。
収入で劣るという事は実に良くあることだ。中学校だけを出て職人などになり親方としてやっていっている人間に負けることはごく普通である。
学力は死ぬまで資産となる。なんらかの挫折があったとしても国家資格の勉強、あるいは学歴を生かせない仕事をしていたとしても教養として生き続ける。
それを生かすも殺すも自分次第だと思う。
病気の場合
これは難しい。
思う事と言えば、病気でもできる範囲内の事を無理なく無駄なくやる、という事や後、病院に行くという事だろうな。いい相談相手を確保するのがまず第一だと思う。一人で悩むのは1番下手なやり方だというのは間違いないと思う。
障害者年金で食う、という手段もある。これも恥などでは決してない。
何故ならそれが年金制度だから。
以上 あんまり役に立ちそうにない主観的記事でした。
やはりブログというのは直接的に手っ取り早く役に立つ事を書くべきなのかなと思う、今日の俺でした。