学童内でコマ検定というものがある。

初段に設定されている技ができるようになると、黒ひもが贈呈される。

コマがうまい子がいて
その子のひもだけ黒いのをたずねると、黒ひもがもらえるシステムを教えてくれた。

その日から、「俺も黒ひも取るぞ!!」
とその子に宣言。

その子は帰りに1人だけ残ることが多く、それを機会にして、
その子が検定の審査員となり検定にチャレンジ。

コツとかを丁寧に教えてくれたり、見本を見せてくれたり
失敗したら一緒に悔しがり、成功したら一緒に喜んでくれた。
心から応援してくれた。

そのおかげで
ついに、黒ひもをゲット!!

この黒ひもは
その子との絆がつまった大切な宝物。
感謝でいっぱいだ。

読んでいただき、ありがとうございます。

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最近、現代文の勉強をはじめました。
これまで現代文の勉強をしようなんて思ったことは無かったです。
日本語で書いてあるし、読めば感覚でわかると。

例えば「知の普遍的妥当性」とか
なんか小難しい単語も
これまでの経験と文脈から
「なんとなくわかる」と。

しかし
この「なんとなくわかる」ってものに
危険が含まれてると思いはじめました。

ちゃんと理解しているとの間には
無知の部分と
誤解の部分が含まれているかもしれません。

試験とかなら
点数がちょっと減るだけですみますが

大切な人との会話でそれが起きてしまったら
ときに重大な事態に発展してしまいます。

特に慣れしたしんだ人とは
阿吽の呼吸と呼ばれるように
だいたいわかってしまう感覚があります。

たしかに
流れや空気を読み、そこからわかるという力も
重要であり、大切です。

しかし
それに頼りすぎて大切なものが理解できてないことはないか
ちょっと気をつけてみたいと思います。


ちなみに
ソクラテスが対話によって「無知の知」が明るみにできると説いたように
その解決は、人と話すことかもしれません。
人に話すとき、なんとなくわかってるものは説明しにくいものです。
もちろんじっくり丁寧に聴くことも。


なんとなく
わかったつもり
要注意


読んでいただき、ありがとうございます。






「音楽は儚い。空気も束の間震わせ、そして消える。けれど、時には言葉も入っていけないような心の奥にそっと入り、あたためる。不思議な力だ。」

11月23日『中日春秋』からの引用です。

これは、音楽だけではなく
様々な出会いにも当てはまると思いました。

料理も、演劇も
なにより、人との出会いも。

触れることができるのは
束の間です。

次があるにしても
それは束の間なんですね。

それなのに
「心の奥にそっと入りあたためる」

僕は「あたため続けてくれる」の方が
しっくりくるかなぁ…なんて思います。

寒い日も
「不思議な力」
しみてくる。

感謝です。


読んでいただき、ありがとうございます。