最近、現代文の勉強をはじめました。
これまで現代文の勉強をしようなんて思ったことは無かったです。
日本語で書いてあるし、読めば感覚でわかると。

例えば「知の普遍的妥当性」とか
なんか小難しい単語も
これまでの経験と文脈から
「なんとなくわかる」と。

しかし
この「なんとなくわかる」ってものに
危険が含まれてると思いはじめました。

ちゃんと理解しているとの間には
無知の部分と
誤解の部分が含まれているかもしれません。

試験とかなら
点数がちょっと減るだけですみますが

大切な人との会話でそれが起きてしまったら
ときに重大な事態に発展してしまいます。

特に慣れしたしんだ人とは
阿吽の呼吸と呼ばれるように
だいたいわかってしまう感覚があります。

たしかに
流れや空気を読み、そこからわかるという力も
重要であり、大切です。

しかし
それに頼りすぎて大切なものが理解できてないことはないか
ちょっと気をつけてみたいと思います。


ちなみに
ソクラテスが対話によって「無知の知」が明るみにできると説いたように
その解決は、人と話すことかもしれません。
人に話すとき、なんとなくわかってるものは説明しにくいものです。
もちろんじっくり丁寧に聴くことも。


なんとなく
わかったつもり
要注意


読んでいただき、ありがとうございます。