

現在、小学校で「外国語活動」という授業があることはご存知ですか?
僕が小学校の時は、ローマ字は勉強したけれど
中学から新しく英語を勉強するというかたちでした。
今、行われている「外国語活動」という授業は
小学校5、6年を対象に
英語を取り扱うことを原則とし
教科として勉強するというよりも
慣れ親しむことを目的としています。
音声を聴いたり、ゲームするなど
活動的な授業が行われています。
小学校で外国語を扱うこと自体が
大きな変化だったと思うのですが…
どうやら、小学校での外国語の勉強はさらに本格的になるようです。
昨年12月22日に行われた第93回中央教育審議会総会によると
平成32年度から実施予定の学習指導要領(学校教育の基準を示すもの)から
小学校において
3、4年生で活動型として「外国語活動」が
5、6年生で教科型として「外国語」が実施されるみたいです。
早いうちから勉強しておけば、よく身に付きそうで良いのでは
という感じはするのですが
「授業としてやることになっている」ということと
子どもたちが実際に「身についている」ということは
必ずしもイコールなわけじゃないわけですよね。
外国語を学ぶ意義は大きいと思うのですが
心配な気持ちもあります。
もちろん、それを実現できるようにするのが教師ですが。
読んでいただき、ありがとうございます。
なぜ勉強するのか?
この教育の根本的な問いと向き合うことができる良書に出会いました。
- 人はなぜ勉強するのか―千秋の人 吉田松陰/モラロジー研究所
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吉田松陰の生涯、教育への態度・考え方を通して
「なぜ勉強するのか」ということが書かれています。
吉田松陰の言葉を適当に借りてきて書かれているようなことはなく
丁寧な内容と、わかりやすい文章(本当に読みやすい!)で
「まえがき」に書いてあるように、吉田松陰の声をじっくり聞くことができるものとなっています。
<印象に残ったポイント>
○全力でぶつかってみて、自分にむいているかどうかがわかる。中途半端なぶつかり方では中途半端にしかわからない。
○個人の自由な自主性を尊重すべきという考え方にたって、私的生活(プライベート)と公的役割を混同してはいけない。
○「出会う」とは心と心が結ばれること。
○獄中における勉強会において、将来がないと思われる囚人が学ぶ意義とは。
…などなど。
なぜ勉強するのか?への「こたえ」は、ぜひ読んでみてください。
<思ったこと>
学校の存在意義、教育活動一つひとつの意義を明確にもっていることが、教育者として大切なことだと改めて考えさせられました。
なぜ勉強するのかという問いは、自分がなぜ生きるのかという人生の意義を問うことに通じるものと思います。
吉田松陰が生きていたのが激動の時代だから、明確な意義が必要だったというわけでなく
先が見えないといわれる現代こそ、一人ひとりがその見えにくい意義を見出していくことが求められているのではないでしょうか。
読んでいただき、ありがとうございます!