今回は、優雅なることにワルツですよ、ワルツ!
ワルツって言えばアナタ、ウィーンですよ!湯布院じゃありませんよっ!
ウィーンの社交界で高貴なご出身の方々が華やかにクルクルと優雅な舞い
踊りを見せるのがワルツですよ。
さぁそんなワルツを沖縄三線でって、どんな曲なのか気になるじゃあ
アーリマセンカっ!
実はこの「ジントーヨーワルツ」、「別れの煙」と言う名曲をワルツに
仕立て直したものなんですね。
なんてセンスがいいんでしょう!
そしてなんと驚くなかれ、このワルツの作曲者は誰あろう、
照屋林助てるりん大師匠なんですよ!
大師匠だけあって、センスがキラリと光る、そしていぶし銀の味わい深い、
原曲よりもはるかに抒情的な曲に仕立て上げてくださいました。
さすが信玄、いや林助大師匠、この信長、いやひげまるサマを
死後6年間もだまし続けてくれた(「ぬーがぬーやらむるわからん」参照)
だけのことはあります。
![$ひげブログ-白い煙黒い煙](https://stat.ameba.jp/user_images/20121203/00/higemaru666/b1/5c/j/t02200148_0500033612313656603.jpg?caw=800)
さてこの「ジントーヨーワルツ」、「別れの煙」の内容なんですが、
これは親子の別れの情景を歌ったもので、戦前と戦後の教科書にも載って
いた、稲垣国三郎の「白い煙と黒い煙」という散文が原題なんです。
大正九(1918)年、県立師範学校の教師であった稲垣が名護城を散策中に
出会った貧しい老夫婦とその娘との別れの情景を書いたものが、
「白い煙と黒い煙」なんですね。
昔は大阪とか名古屋の紡績工場に、沖縄から出稼ぎに行く若者の労働者が
多かったんですよ。
当時は汽船に乗ってね、長旅です。
その長旅をしながら内地に働きに出る我が子を見送る両親。
海の見える高台にある名護城の城壁に立ち、船に乗る我が子にも判るよう
に、松の枝を燃やして合図の煙を送る。
立ち上る白い煙は遠くを航行していく船上の我が子にもよく見えるはず。
そして我が子を乗せた船は黒い煙を吐き出しながら次第に遠ざかっていく。
親と別れて旅に出れば、その先に嬉しいことも寂しい
こともあるだろう。
その度に思い出しなさい、わが子よ。島のことを…。
この情景を「別れの煙」として歌にしたのは知名定繁ですが、照屋林助が
さらにこれをワルツに仕立てた。
やっぱり別れの歌はワルツですよ。千昌夫も頷いています。
そしてワルツと言っても、ヨハン・シュトラウスの楽曲のように流れる
ようなスピード感は無く、和製ワルツ特有のゆったりかつ単調な三拍子
なので、覚えるのは割かし簡単です。
あとは「白い煙と黒い煙」の情景を思い描きながら感情こめて歌い上げれば
結構サマになります。
三線嗜む方は、是非レパートリーに加えることをお奨めしますよ。
ぢゃっ、そーゆーことでっ!(`・ω・´)ゞ