なんで弁当を買うと、ちゃんと袋に入れたのに家に着くころには
ひっくり返ってんだよっ!
どんなに気を付けてもひっくり返るんだよっ!
世の中一体どうなってんのか数理学で計算式つくって説明してく
れよっっ!
![$ひげブログ-源為朝6](https://stat.ameba.jp/user_images/20121110/16/higemaru666/23/db/j/t02200293_0300040012279158244.jpg?caw=800)
…失礼しました。源為朝の話の続きでしたな。
崇徳上皇方の籠もる白川北殿の西門を守って鬼神の如き弓さばきで
奮戦する為朝に恐れをなした平氏軍が退却した後に、為朝の長兄、
源義朝が押し寄せたところからです。
坂東の手勢200騎を率いて攻め寄せた兄義朝、迎え撃つは鎮西の
強者28騎を率いる弟為朝。
この時の兄弟の掛け合いが、また面白いのです。
まず兄の義朝が警告を発します。
「勅命(天皇の命令)である。速やかにここから立ち去れ。」
為朝すかさず言い返します。
「こちらは院宣(上皇の命令)を承っている。」
義朝猶も言います。
「兄に弓を引くとはなにごとか?兄に弓引けば神仏の加護を失うぞ!」
為朝も負けてはいません。
「それでは父上に弓を引く兄上はどうなのです?」
これは義朝、墓穴を掘ってしまいましたね!
為朝も単なる体育バカではないようです。
「ぐぬぬぬぬぬぬ!」
…と、義朝、唸ったかどうかは知りませんが、両軍入り乱れて
の大乱戦になりました。
しかし多勢に無勢、為朝軍は押されて西門の内側に撤退を余儀
無くされてしまいます。
![$ひげブログ-源為朝7](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/21/higemaru666/39/86/j/t02200104_0605028512281496589.jpg?caw=800)
これは一発、大将を狙って敵軍を動揺させるしかねえべよ!
為朝、五人張りの強弓をギリギリと引き絞り、義朝を狙って
矢を放ちます。
矢は義朝の兜の星を掠め、それだけで星が一つ削られてしま
いました。
「聞いてはいたが、なんて乱暴なやつなんだ!」
びびりまくりぶーな義朝に為朝、二の矢をつがえながらこう
言います。
![$ひげブログ-源為朝8](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/21/higemaru666/21/a8/j/t02200147_0800053312281524823.jpg?caw=800)
「お許しあらば二の矢をお見舞いいたします。どこへなりとも
当てて見せますゆえ、リクエストプリーズ!」
![$ひげブログ-源為朝9](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/21/higemaru666/4c/c7/j/t02200165_0368027612281532688.jpg?caw=800)
ズキュゥゥゥゥゥゥゥン!
義朝ピーンチっ!
しかし咄嗟に義朝の家来が割って入り、家来は即死、義朝は
一命を取り留めます。
そんな具合で兄弟間の熾烈な戦いが続きますが、激戦の末、
為朝自慢の鎮西28騎は、23騎までが打ち取られてしまい、
更に義朝、抜かりなく使者を内裏に走らせ、白川北殿を火攻め
にする許可を取ってきました。
程なく白川北殿に無数の火矢が撃ち込まれ、御殿は炎上、つい
に崇徳上皇方は総崩れとなってしまい、為朝も父や兄たちと共に
落ち延びていかざるを得なくなりました。
![$ひげブログ-源為朝10](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/22/higemaru666/e3/bd/j/t02200165_0500037512281570107.jpg?caw=800)
東国へ落ち延びて再挙を図ろうとする為義親子、しかし老齢で
体力に限界を感じた父為義は、今や勝者となった嫡男、義朝を
頼って降伏することにし、あくまでも抗戦を主張した為朝は
父や兄たちと別れて一人で逃亡を続けました。
ところが近江の国で為朝は病にかかり、温泉治療をしていた
ところを捕えられてしまうのです。
風呂に入っているところを襲撃されるというパターン、日本史
の中では、もうお約束です。特に源氏はこの為朝だけではなく、
長兄の義朝も、鎌倉幕府二代将軍、源頼家も、このパターンで
殺されています。
時代を下っては江戸城を開いた太田道灌、江戸の町奴、番随院
長兵衛と、日本人はホントに風呂好きな民族ではあります。
おっと、脱線してしまいましたが、捕えられた為朝、京に護送
されて来ますと、かの勇者、鎮西八郎を一目見ようと群衆が
つめかけ、なんと 後白河天皇御自らも見物にお出でになる
有様で大変な騒ぎになったと言います。
そのためでありましょうか、父の為義と兄弟たちは、長兄
義朝の必死の助命嘆願もむなしく全員刑場の露と消えましたが、
為朝だけは、その武勇、死なせるには惜しいということで、
伊豆大島へ流罪と言うことで決着したのです。
![$ひげブログ-源為朝11](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/22/higemaru666/e9/16/j/t02200320_0520075612281622781.jpg?caw=800)
伊豆大島へ流された為朝、大人しくなったと思ったらとんでもない!
大島の代官の娘婿になり、
「ワシは朝廷からこの伊豆大島を拝領したのだ」
などと言い出し、再び暴れはじめたのです。
兵を集めて他の島に繰り出し、たちまちのうちに伊豆諸島を占領下
におき、支配者となって伊豆国に納める年貢も出さなくなってしま
いました。
…むちゃですやん。
困り果てた伊豆国府は朝廷に為朝の狼藉を訴え出、ついに朝廷は
討伐軍を送ることになったのです。
![$ひげブログ-源為朝12](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/22/higemaru666/b4/16/j/t02200108_0800039112281690358.jpg?caw=800)
討伐軍は伊豆の豪族で編成された500騎、20層の船に乗って
大島に押し寄せました。
為朝はその中の一艘に狙いを定め、矢を放つと、見事に命中、
船は沈んでしまいました。(゚д゚lll)マジカヨ!
だが、とても抗し切れぬとあきらめた為朝は、館に戻り、柱を
背にして座ると、腹を切って自害しました。
これが日本史上、切腹第一号と言われています。
享年31歳。
![$ひげブログ-弓流し](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/23/higemaru666/dd/91/j/t02200104_0750035412281711052.jpg?caw=800)
こうして後の源平合戦に絡むことなく、為朝は死んでいきました
が、その後源為朝の名は、レジェンドの中に生きることになります。
源義経は特に見たこともない叔父さんの為朝をリスペクトしていた
ようです。
義経は別名九郎判官と呼ばれていますが、実は義朝の八男なのです。
元服の際、
「八郎と言えば叔父、鎮西八郎為朝のことであるゆえ、
自分は九郎と名乗ろう。」
と言って、九郎になったのです。
さらに、源平合戦の折に「弓流し」と言う事件がありました。
屋島の合戦あたりの頃です。義経が馬を海中に乗り入れて戦っていた
ところ、うっかり小脇に挟んでいた弓を落としてしまいました。
海中を漂う弓を、鞭を使って手繰り寄せようとする義経を見て、
平家の武者たちが小舟を寄せて、熊手を伸ばして義経を絡め捕ろうと
してきました。
「あぶない!弓なんて捨ててしまいなさい!」
家来たちが呼ぶのも無視し、義経は刀で熊手を払いのけながら、弓を
手繰り寄せて、ついに弓を回収しました。
後で軽率なふるまいだと抗議する家来たちに義経はこう言いました。
「我が叔父、鎮西八郎の弓のようであれば、わざと
でも落として敵に拾わせてやるところだが、この弓では、
源氏の大将はこんなヘロヘロな弓を使っているのかと
馬鹿にされて大恥をかくところであった。
だから必死で回収したのだ。」
![$ひげブログ-源為朝13](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/23/higemaru666/7d/2d/j/t02200165_0540040512281747556.jpg?caw=800)
その後も為朝の武勇は、広く永く人口に膾炙し、だんだんと神掛って
いくのです。
いつしか為朝の武勇は疫病神をも退けるとして、町屋の門には為朝を
描いた疱瘡除けの護符が貼られるようになりました。
「この家には鎮西八郎がいるぞ!」
と書かれた護符に、疱瘡神も泡を食って逃げ出したというわけです。
![$ひげブログ-源為朝14](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/23/higemaru666/87/cd/j/t02200124_0800045012281762709.jpg?caw=800)
源為朝、正史では省略されても、民間伝承の中に生き続け、今でも
一部マニアに大うけしている、源氏のスピンオフ・ヒーロー。
最近では"源為朝"で検索すると"ガンダム"まで引っ付いて来るという
現象まで発生しています。
ついにその名は宇宙世紀にまで轟きわたるのかっ!
これからも源頼朝、義経が歴史で語られていく影で、彼の名もまたしぶ
とく語り継がれていくことでしょう。
したいさーい!鎮西八郎為朝!フォー・エバーっ!
…え?為朝と琉球の関係はどうした?
…ああ、…えーと、それはまた次回に。
…ぢゃっ、そーゆーことでっ!(`・ω・´)ゞ