続「連帯責任」と近大ボクシング部廃部の可能性…について | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

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<近畿大>ボクシングOBら廃部にショック 毎日新聞


>近大によると、18日の緊急会議には、畑博行学長や学部長らが参加したが「廃部は厳しい」と声を挙げたのは1人だけだった。「OBの存続要請にどう応えたらいいのか」とも訴えたが、他の幹部は「仕方ない」と口をそろえ、最終的に廃部が決まるまで時間はかからなかったという。


伝統あるボクシング部ですが、「廃部」が確定した模様です…


現WBA世界スーパーフライ級チャンピオンの名城信男選手や、現在俳優で世界挑戦も果たした赤井秀和さんなどなど、世界チャンピオンや五輪メダリストも輩出したという名門クラブの廃止は反対の声も多く上がらず、速やかに決定してしまったようです…


そして、この毎日新聞の記事には現役学生の声も一部記載されている…


>処分に学内では動揺が広がっている。経済学部3年の男子学生(20)は「逮捕された2人だけが辞めればいい。これから入学する高校生や他の部員の自由を奪うのはおかしいのではないか。廃部はやりすぎだ」と不満を漏らした。


自由…


という言葉の難しさがここに感じられますが、一方で、事件が事件だけに、廃部やむなしという声もOBからは聞こえるようでもあります。


難しい…


僕なんぞが「教育論」など語るのは間違いのでしょうが、ちょっと書いてみたいと思います。


最近はあらゆる場面で「個人主義」が幅を利かせている時代だなぁ、とはずっと感じております。


「ゆとり教育」とは体のよい建前で、放任と呼ばれる無責任と背中合わせであり、また、その教育現場も、生徒という名の「他人」に干渉することを敬遠する傾向が最近は強くなってきているのではないか?などと感じるわけですが、実際はどうなのでしょうか?


それはもしかしたら「家庭内」もそのような傾向が昔よりも強くなっているのでは、とも思います。


教育現場や家庭内に限らず、「共有」することに価値を見出せない時代…になっているなぁ、とも感じるために、そのように思うのでしょうか?


近所付き合いのない時代…


他人に文句を言わないのは、自分が文句を言われたくないから…


しかし、いざとなると、今回のような事態が発生すると「連帯責任的」に、あるいは、「見せしめ的」に体制としての大学は強権発動なのでありますが、これではまるで、「ボクシング部が悪いからなくしてしまえ」…と受け取られかねないようにも思う…


数々の栄光をも、同時に「闇に葬り去る」、あるいは、それさえも「切り捨てる」ような対応に僕には感じられる…


もっとも加害者は大学生なのだからいくら19歳とはいえ、善悪の分別はつかなければおかしいのですが、放置放任を「自由」の名の下に許容しておきながら、「責任の所在」を求められたら際、体制とは、それをいかに【曖昧】にするか…という印象が残る対応に終始し始めるケースが多いような気がする…


悪いのは「ボクシング部」… だから、「取り潰しやむなし」…


責任の所在は、「ボクシング部」…


マスコミも歴史あるボクシングの廃部を煽り立て、ますます「学生たちの自由」はぼやけてゆく…


これは日本人という民族の体質も関係ありそうである。


矢面に立たない、あるいは、言い訳のできる状況を作り上げる、そして、曖昧にぼかしてしまう…


会社や職場で、よくそのような場面に遭遇することはないだろうか?


この伝統ある「ボクシング部」を生贄に、「責任の所在」はどこか別の場所へ漂ってしまったようにも感じられる。


誤魔化しと煙幕の対応…


被害にあわれた方のお気持ちも察しますが、しかし、一生懸命な他の部所属の学生たちの気持ちと未来も手厚く扱わなくてはならない…


しかし、ここにさらなる「放置放任」が示されるのならば、それは教育とは呼べたものではない…と感じます。


そして、ボクシングを選んだ学生たちは、「生死」を賭け、その「青春」を捧げるほどの気概をもってこれに挑もうとしているわけであります…


成長期にあえて過酷な減量を強い、度々起こるリング禍の恐怖とも戦っているわけで、その情熱は命懸けでもあるのであります…


ここに、特に今回の「ボクシング部廃部」の報にある違和感が残り続けてしまうわけです…


また、ここに「ボクシング」への【偏見】もその水面下に横たわっているのかもしれない…


野蛮にして暴力的…


さて、ちょっと激情に駆られてダダダッ…っと書いてしまいましたが、願わくば、「ボクシング廃部」の決定を通じて絶望されている学生のみなさんの「心のケア」を大学側にはしっかりやっていただきたいですね。


悪いところは根元から断たなくては駄目…という発想で、つまりは体裁だけの「廃部処置」だとするならば、それは加害者に近い。


そして、最後に同部に所属されていた学生の方には、これに挫けずに頑張ってください…と申し上げたい。


確かに理不尽な印象も残りますが、それが日本の社会の「現実」でもあるとも思います。



…っと、前の記事に「たけし」さんという方からよいコメントをいただいております。


>かわいそうだけどしかたないと思います。
プロボクシングジムではないのです。
ボクシングというのは個人競技ですが、これは学校の中。

これを見逃せば皆さん大麻すっても知らんぷり。
人格を磨くのです。
その為の部活動なんです。
競技レベルではないです。ともに釜の飯を食い、人格を向上するのです。それが部活動。
それが嫌なら金を払い、ジムにいくべきです。
部活動なんです。


確かに、仰るとおり…だとも思います。


本当に微妙で、そして、切ない事件ですね…