<ヒゲがさ、昨日キキさんが話した【スズラン閉店4】「消えた競争相手前編」の解説をしといてくれって言って、NiiSへトレーニングしに行っちまったんだいね。で、何故スズランの競争相手は消えちまったのかってことを、オレ流に話すから聞いてくれよな…>

 

<前三百貨店やスズラン百貨店がオープンした1960年代に、ヒゲは高校を卒業して大学へ行ったんだいね。そして、「大学闘争」の真っただ中で学生 してたんだな。ヒゲの行った大学も一年間休みになっちまったみたい。1960年代ってのは「大学闘争」の時代だったんだいね。うんと簡単に言っちまうと、戦後生まれの『団塊の世代』を中心とする若い人たちの多くが、世の中を支配してきた伝統的な考えや仕組みを否定して新しい秩序を求めたんだいね。そんな中で、小売業の分野では「スーパーマーケット」という新しい業態を誕生したんさね。この新しい業態もそういう若い力が生み出したのかも…>

<ヒゲよか前の世代の人たちは、ものを買うのに『店の名』に頼ってたんだね。「肉は○○よ、下着は△△」てな具合で、「これ三越で買ったのよ」ってのがすごい自慢にできたんだいね。もう一つの基準は、『宮内庁御用達』とか『夏目漱石が愛した○○』とかいう商品に付けられた意味不明の『価値表示』がまかり通ってたんだな。「〇〇さんも使ってるのよ」とか「○○銀行ととりひきがあるんだって」とか、こういうのも含めて『ヒラヒラ文化』って呼ぶんだって。いずれにしても『店の名』と商品に付いた意味不明の『価値表示』を頼りに消費生活を送っていたんだいね。それがさ、『団塊の世代』の連中はえらく自信過剰で、自分には選ぶ能力があるってんで、『店の名』無視、『ヒラヒラ』否定…>

<自分で商品を手に取って選び、良いと思ったものを買うことができる「スーパーマーケット」って業態は、若い人たちから大きな共感を持って迎え入れられたんだいね。でもね。年配の人たちや高所得層の皆さんは、やっぱ『店の名』と『高級品』を求めたんだ。それで、1960年代から1970年代に、デパートとスーパーマーケットという二つの異なる業態が、ともに大規模店舗という形態で立地展開したんだな。前橋でも、まずは、包装紙を尊ぶ皆さんの期待に応えて伝統的なデパートという業態の前三百貨店が誕生し、その後にサティーやダイエーという新しい業態の大型店が展開したんだいね>

 

<前三百貨店が立ち行かなくなったのを「素人経営だったからさ」という人がいるけど違わいね、三越のノウハウを導入し、社長も三越の人だったんで「素人経営」とは言えないやいね。それに、「スズランは田舎っ臭いからダメ、前三でなきゃ」っていう人たちがいっぱいいたんだって。「行政も企業や団体もほとんどが前三の応援団だった」ってヒゲは言ってるよ。それでも立ち至らなくなったのは、消費者の階層の変化だってさ。つまり、「包装紙」や「ヒラヒラ」に頼らない消費者が増えてきたからだっていうんだいね>

<で、サティーやシルクプラザなんかの新しい業態の大型店はというと、シルクプラザを例にとるとさ、1979年に開店して1980年代前半は大好況だったって。でも15年後の1995年には最盛期の売り上げの半分にまで落ち込んで閉店を余儀なくされたんだいね。つまり、次々と出店してくる後発の大型店との客争奪戦に負けたんだいね。スーパーマーケット文化を支える新しい消費者は、店に対するこだわりが全くないから、新しい店が気に入ればさっさと乗り換えちゃうんだいね。こうして⒖~20年のサイクルで前橋の大型店は入れ替わってきたんだよね…>

 

<そいとさ、昔、前橋の人たちがうらやましがってた宇都宮の上野百貨店は2000年に自己破産、水戸の伊勢甚百貨店は1977年にイオンに譲渡され、志満津百貨店は1975年に京成傘下に入り現在は京成百貨店になってらいね。だから、北関東で生き残っている地方資本のデパートはスズラン1社だいね。大型店も小規模小売店も消費者の行動様式の変化に対応できてるところは生き延びて、そうでないとこは閉店余儀なしなんだいね。「激しい競争の時代を生き延びてきたスズランには敬意を感じてます」って、ヒゲは言ってらいね。今日のオレの仕事はここまで、【スズラン閉店5】消えた競争相手後編でした。お疲れさま…>

 

  【スズラン閉店】 始まりは 6月9日  その2は 6月10日
             その3は 6月11日  その4は 6月15日

 


NiiSへ行くのに前橋駅前を通りました。かつてイトーヨーカドーが入居していたビル、今は『AQERU前橋
』として商業施設とエンターテイメント施設の複合施設となっています。

 
利根橋の東詰めまで来たら、濃いオレンジ色の花が目に留まりました。ヤブカンゾウみたい、でも園芸種かな…。まだ田んぼや野原では咲いているのを見ないもんね…

 

 
滝川の古市堰のところにある余水吐き、堰堤を超えてたくさんの水が利根川への放水路に溢れ出していました。榛名山で結構な雨が降ったのかな…。NiiSのトレーニング、鈴木トレーナーは筋力トレーニング中心のメニューにしてくれたみたいです。ベンチプレス、要求水準に届きませんでした。

 
帰り、スズランの前を通りました。写真は別館、以前は丸井前橋店があったところ、その昔は八百菊本店だったっけな…。向かいには八百菊パーラーがあって、クリームソーダってのを始めてごちそうになっておったまげた記憶があります。道では、セグロセキレイが採餌していました。何食べてんだろう…

 


わが家の夕食、主菜は豚ヒレ肉のチーズ入りピカタ、付け合わせは、ピーマンとズッキーニのソテー、ニンジンのグラッセ、ブロッコリーのスプラウトです。

 
スープは冷製のビシソワーズ、副菜はラディッシュと新タマネギのピクルス、サヤインゲンの胡麻和え、モヤシ、シメジ、茹でキャベツ、スプラウトのサラダでした。冷たいスープ、夏ですね。


ユキ子さんと母さんの分を器に納めたら、学生時代に働いた『白夜』のグリルの洋食の半月弁当を思い出していました。60年前、大学闘争時代に暮らした京都でのことです。

今日は梅干にする大粒の梅を探しに出かけます。【スズラン閉店】はお休みします。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が創設し、伯母の二代目吉駒から私に引き継がれた美登利会を主宰しております。毎年4月に、舞踊会を開催しております。今年も4月5日に82回目を開催することができました。こうして回を重ねることができますのも支えてくださる皆様のおかげと、ただただ有り難く感謝申し上げるばかりです。
第82回美登利会と第7回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください。

第81回美登利会と第6回三代目吉駒リサイタルはこちらをご覧ください
第80回美登利会と第5回三代目吉駒リサイタルはこちらをご覧ください
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください
お稽古場は前橋市城東町、三代目吉駒をご紹介しますのでこちらをご覧ください