
日曜日のこども公園、朝から子どもたちの声が響いていました。9時半ごろですが、広場ではバトミントンをしている親子はすっかり夏姿です。

ミストが吹き出す噴水では、小さなお友だちが水遊びをしています。

児童文化センターの観察用水田にはアサザの黄色い花が咲いていました。

そして、シオカラトンボが飛び回っていました。公園を一回りしてからJAファーマーズ朝日町店で買い物しながら、家に籠って一日静かに過ごそうって、私は考えてました。

そいで、ナス、キュウリ、赤シソの葉を買い込んできました。これでしば漬けを漬けるのですが、この量は約1.2kg、通常は5~6kg、多い時は10㎏以上漬けますから、ほんの少しってことなのです。しば漬け漬け込みながら、11月に閉店を決めたスズランデパートが開店した1968年から今日までの54年間の競争相手のことを思い出していました。

<昔の話だからさ、キキがお話ししますね、【スズラン閉店4】は消えた競争相手です。たくさんいた競争相手はみんな消えちゃったんですよね、思い出してみてください>
<前橋の戦災復興が一段落した1960年ごろ、前橋の街の話題は商店街の核になる大きな店がないということだったのね。『麻屋』と『赤かんばん』があったけど、みんなしてダメ出しだったんです。宇都宮には上野百貨店、水戸市には伊勢甚百貨店と志満津百貨店があってとても繁盛してたんですね。高崎では『藤五』が百貨店を目指してたの、それで、前橋も負けるなって声が高まったのよね。そいで、商工会議所が中心になって、市当局と市議会の全面的な支援を受けて仮称『丸三百貨店』を開設しようって動きが生まれたんです。場所は今『前橋テルサ』があるところで、当時は旅館が廃業して空地になってたのよね。なんて旅館だったけな、名前忘れた。向かいには『赤城亭』って名の牛鍋屋があったんだって>
<それとは別に、銀座通りにあった野中興業の映画館『ヒカリ座』の跡(現在は『前橋ガレリア』があるところ)に長崎屋前橋店を誘致する話が進んでたのよね。そいで、1964年に『長崎屋前橋店』と『前三百貨店』の二つの大型店がオープンしたの。長崎屋前橋店は5階建てのビルだったの。前三百貨店は、地下1階地上6階で、当時は群馬県内で一番高いビルだったんです。売り場面積は8000㎡の本格的デパートは、三越の全面的に支援を受け、社長も三越から派遣されてスタートしたんです。大変な騒ぎだったみたいよ。そして、スズランデパートが1968年に小石神社跡に開店したんです。1968年にはスズランの隣に『丸井前橋店』が出店して、1960年代の前橋の中心市街地には四つの大型店が開店して、様相は一変したんです>
<1960年代は、前橋に限らず全国の地方都市で大型店の出店が盛んになっていたんです。1970年代に入るとその傾向はさらに強くなって、大手の流通資本が地方都市や大都市周辺の都市を狙って出店攻勢をかけてきたんですよね。小売商業は大型店の中心の時代を迎えたんです。前橋にも、ニチイの『前橋サティ』(1972~1993)が、萩原朔太郎の萩原家の墓所があった『政淳寺(しょうじゅんじ)』を移転させた跡地に出店したのね。前橋サティは売り場面積9300平方メートルで前三百貨店を超えたの。そして、移転した群馬銀行本店の跡地には『前橋西武』(1975~2004)が、六供町の上毛撚糸の工場跡地にはダイエーと合弁で『上毛シルクプラザ』が開店したんです>
<1980年代になるとさ、『上毛シルクプラザ』がうまく行ったのを見て、前橋駅前に工場を持っていた曽我製粉が、工場を国の食糧備蓄施設に対する補助金をもらって力丸町へ移転させ、駅前にはイトーヨーカドーをキーテナントにする商業ビルを計画したんです。でもね、もうその頃には、大型店が小規模商店の誘客に効果を発揮するというよりも、小規模商店の客を奪ってしまっているという問題が生じてたのよね。だから、イトーヨーカドーについては、小規模小売店の経営者をはじめ出店に反対する人が増えて来てたんです。おヒゲのお友だちも商工会議所前で「ヨーカドー出店反対」のハンストなんかをしてね…。でも、曽我製粉は政治力を使って、1987年に商業ビルを開店したのよね>
<そして1980年代は大型店同士の競争が激化した結果、『長崎屋前橋店』や『前橋サティー』は売り上げ不振に悩むようになっていたの。あの手この手の営業努力と合理化努力もしてたみたいだけど、長崎屋は1984年に閉店、『丸井前橋店』も1986年に閉店、『前橋サティ』は1993年に国領町のグンゼの製糸工場跡地に移転して、今度は大型店の閉店ラッシュが始まったんです。1960年代に考案された大型小売店の業態は20年ほどで行き詰まってしまったんです。1960年代に始まった流通産業の変容は、その後の20年間に地方都市の商業地にとんでもない騒ぎをもたらしたのよね。スズランは、そういう競争相手を見ながら、独立独歩で切り抜けてきたんですよね>
<キキ、疲れちゃった。今日はここまででいいかな、【スズラン閉店4】は、「消えた競争相手前編」でした>

しば漬けはナスとキュウリは刻んで、シソの葉と層状になるようにしをを振りながら桶に詰めて行きます。塩は野菜の重量の4%ほどです。詰め終わったら、10㎏の重石をしておきます。これで漬け込み終了。

葉をむしって残ったシソの茎と葉柄は時間をかけて煮出して、漉してからグラニュー糖と食品添加物のクエン酸を加えるとシソジュースです。

【スズラン閉店】を書くための調べごとや、太田悠文さんの論文「群馬県前橋市における中心市街地の変容」を読みながら、昼飯も作りました。昼飯は、海苔のソースを添えた干しエビと青じそのスパゲティーです。海苔は鳥山海苔店の焼き海苔を白ワインで戻し、オリーブオイルを加えて煮溶かしたものです。おいしくできました。
昼食休憩後には、キーマカレーをつくったり、常備菜に厚揚げを煮たりしながら、残りの勉強をして、キキに頼んで喋ってもらったんです。

夕食のおかず、主菜は野菜の豚肉巻き、使った野菜は、人参、サヤインゲン、青じそ、レタスです。焼きダレは、梅干しの果肉を叩いて味醂と醤油と合わせた梅ダレです。

副菜は、モヤシ、ピーマン、シメジの野菜炒めと、トマト、キュウリ、オクラ、ラディッシュのサラダでした。

東京に出かけていて7時ごろに帰ってきたユキ子さんが慌てて運んで行った義母さんとユキ子さんの分です。汁はワカメと万能ネギでした。梅ダレ、夏向きのタレです。「おいしかった」って。
今日はNiiSでトレーニングをします。【スズラン閉店5】も書ければ書きます。
ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が創設し、伯母の二代目吉駒から私に引き継がれた美登利会を主宰しております。毎年4月に、舞踊会を開催しております。今年も4月5日に82回目を開催することができました。こうして回を重ねることができますのも支えてくださる皆様のおかげと、ただただ有り難く感謝申し上げるばかりです。
第82回美登利会と第7回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください。
第81回美登利会と第6回三代目吉駒リサイタルはこちらをご覧ください。
第80回美登利会と第5回三代目吉駒リサイタルはこちらをご覧ください。
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください。
お稽古場は前橋市城東町、三代目吉駒をご紹介しますのでこちらをご覧ください
