「聖(ひじり)」の空間、今井兼次の木造聖堂 | 色と祈りと歌うこと - Hidetake Yamakawa (山川英毅)

色と祈りと歌うこと - Hidetake Yamakawa (山川英毅)

自分自身の中に豊かにある深いものに触れて、元気や安らぎを得るのに「色と遊ぶこと」や「自分で歌う」ことが欠かせないない気がしています。
色・音の作品や「発声法」などについての気づきもシェアしていきます。

昨日はクリスマスに家族で「ファミリー聖歌隊」としても歌わせていただいた上野毛教会に、娘にお声がけいただいた、成人を迎える人達を迎えてのミサへ!!

 

(実は娘は今年の12月に20歳になる学年なので、普通であれば来年成人の学年なのですが、「18歳成人」が導入されるために娘の学年は今年に前倒しでまとめて行うということになったらしいです?!何か変なんですけど、ともかく娘が参加できるのは今年しかないということなので伺いました!)

 

娘は長男のアイトと2歳違いで、小さいときはいっしょにアイトとほぼいっしょのことをいろいろやっていた。なので彼女の元々の性格もあるだろうけど、なんか次男ポジションのキャラというか、上のやってることも同調、吸収しながら自分をかいかぶることなく冷静になんか自分のやりたいこと、得意な分野を見極めて積み上げていく感じ。

 

二人で昔よくぬいぐるみを使って「おはなし」を即興で作って遊んでいた。昨日その思い出話を二人でしているのを横できいていたら、アイトはいつもすぐ話の展開をバトル系にもっていきたがっていたが、娘は「どっちかというと平和なのほほん系にしたかった」なんて言いながら、懐かしがって盛り上がってました。

 

でもそんな話をしてたら久々にガンプラを作りたくなったそうで、今日から作る 1/144 のを注文してました。ガンプラを愛するJDが「このフォルム美しいだろお~」「塗装ってある意味メイクみたいなもんじゃない」とか熱く語ってます(笑)

 

まあまあともかく、おめでとう!

 

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話は変わって、この上野毛教会の聖堂は、ル・コルビジェにも直接対面した経験もありながら、(シュタイナーにも接点があり、) ガウディなどを日本に紹介した建築家、今井兼次の貴重な建築の一つ。

今日は従兄弟で建築写真家の渡部信光とその細部を観察する機会があった。

 

この空間にはまさに最も深いところから魂を、声を、そだてられたと感じている経験がある。石造りの教会の残響が過剰な感じの田園調布教会などとは対極の音まわりの空間で、魂的なものが固有の深みにおのずと誘われる何らかの重要な要素があることは感じていた。

 

 

洗練されながら和の素材と和のシンボル化との融合が見事にされた細部の調度のデザイン、時間と太陽の位置に合わせて限定されたステンドグラスから差し込む豊かな色つきの光など、質素な環境で観想と祈りを主とし、内的生活環境をよく理解したカルメル会のイタリアから来た初期の司祭たちによる指定で作られてもののように思っていたが、どうやら主役は違ったらしい。

 

空間と光と内省と、生命的なものをよく理解し、建築の中に「聖」(ひじり) なる何かを求めた今井兼次。

「建築創作論」の中には、この聖堂の聖櫃を作るにあたっての「創意寸描」と題された文章が含まれている。

 

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「多少なら日本の心をこの聖堂内で少しでも調和されることと、日本風土にふさわしいものとして考え、わたくしどもの国の古典調度の中に生きづく金色と黒色の仕上げをのぞんだ。」

 

「聖櫃正面左側と右側には正面同様、黒色地に聖体の清く甘味な香りが漂いだすであろうようにとの意を持ち、梅花風の枝を鋳金板で讃歌のごとく描出している」などなど。。

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この密度であらゆる細部に統合的な創造の意匠がほどこされているのだろう。

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現在は木造でのこの聖堂のような設計の空間の建設は許可されていないようで、老朽化の対策も必須な状況になっているらしい。

今井兼次の内面を知れる言葉をもっと知りたくなっているし、この稀有なる空間の細部も改めて観察し続けたいと思っている。