村井秀夫刺殺事件の真相を追って -39ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

●松本サリン事件



オウムは長野県松本市に、松本支部と食品工場を建設するための土地を取得しようとしていた。
しかし、住民の反対運動や「株式会社オウム」名義で目的を隠して賃貸契約を結んだという理由で、民事裁判により賃貸契約を取り消されてしまった。

麻原は村井に相談を持ちかけた。村井は池田大作暗殺未遂事件で使ったサリンの加熱式噴霧装置の性能に注目していた。そこで、サリンを町に噴霧して威力を確かめることにした。

6月20日頃、麻原は第6サティアン1階に村井秀夫、新実智光、遠藤誠一、中川智正を集め、松本の裁判所にサリンを撒いて効果の実験をしろと指示した。

麻原「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて、サリンが実際に効くかどうかやってみろ」

村井「昼間、裁判所にまくことになる。サリン噴霧車ができ次第すぐにやる。」

新実は、池田暗殺未遂事件の際、加熱装置のガスバーナーに問題があったことを挙げ、噴霧方法や事故防止の対策が十分か村井に尋ねた。

村井「ガスバーナーではなく電気ヒーターで加熱するので大丈夫。池田事件のときの防毒酸素マスクが有効であったのでそれと同じものを着用する」

警備員に怪しまれたことを憂慮した新實は、目撃者の対策が十分か質問した。

新実「白昼に裁判所を狙って大丈夫ですか。裁判所を狙ったら警察が動きませんか?」

村井「それなら先に警察を狙えばいいじゃないか」

麻原は「警察等の排除はミラレパに任せる。武道にたけたウパーリ、シーハ、ガフヴァの3人を使え」と指示し,また,サリン噴霧車の運転を端本にさせるように言った。

新実「マンジュシュリー正大師のワークを邪魔するものはボコボコにして構わない」
警備の担当を任された新實の士気は高まった。

村井は実行メンバーに林郁夫も参加させることを提案したが、麻原は却下した。



村井は、2tアルミトラックを改造したサリン噴霧車の製造を、中川は防毒マスクの製造・予防薬の準備及びサリン噴霧車へのサリン注入を担当した。

26日、村井は中川に「明日実行する」と伝え、「クシティガルバ棟でサリンを噴霧車に注入してくれ」と指示。27日朝にはサリン噴霧車が完成した。

試しに操作しながら村井は呟いた。「計算通り」



6月27日、村井秀夫は、遠藤誠一、中川智正、新実智光の3大臣と、中村昇、冨田隆、端本悟ら自治省メンバーを集め第7サティアン前に集合した。しかし、この時村井は寝坊をしたため、実行隊が上九一色村を出発する予定が大幅に遅れてしまい、時刻は夕方になってしまった。

新実「じゃ、これから松本にガス撒きに行きまーす!」

作業服姿の7人は、噴霧車とワゴン車に分乗して、長野県松本市に向かった。
村井はサリン噴霧車に乗り、運転は端本に任せた。他はワゴン車に乗車した。
車は国道139号線から20号線に入って、塩尻峠のドライブインで休憩。
村井が休んでいると、新実が松本市内の地図を見せながら提案してきた。

「もう日が暮れかかって、裁判官の勤務中にサリンを撒くことが出来ない。400メートル離れた裁判宿舎へ、目標を変更してはどうですか?」

村井「じゃあ、そうしよう」



村井は時間にルーズだった。自分が原因で出発がおくれたこともあり、あっさり目標の変更を了承した。解毒のため全員がメスチノン錠剤を服用した。長野地裁松本支部についたときには裁判官は既に退廷していた。

6月27日午後10時頃。蒸し暑い夜だった。気温は20度を超え、湿度90%もあった。そのため、住民は暑さ凌ぎに窓を開けていた。

2台の車が松本市内の目標から南西190mにあるスーパーに停車した。一同は車を下りると、用意していたナンバープレートを準備し、偽装した。乗車していた村井は黄色い作業服に着替えた。その姿はまるで、宇宙人のようであった。



中川が防毒マスクと解毒剤「パム」の支度をした。
村井は、タバコに火を点けて風向きをみながら付近を歩いて確認した。サリンの噴霧は裁判官宿舎の西方37メートルにある鶴見西駐車場(松本市1丁目312番地)に決めた。
午後10時30分頃、2台の車を駐車場へ入れると、村井は噴霧車の両側についている扉を開けると、助手席に戻って防毒マスクをかぶり、リモコンで加熱式噴霧器をスタートさせた。信者達も防毒マスクをかぶった。

端本は隣に座っている村井に目を向けた。
村井はまいている最中も一言も言わず、わき目もふらずにスイッチを捜査していた。



10分後。気化したサリンが噴霧口から白煙上になって噴出し、まわりに立ちこめて、駐車場の左側にある池の畔に生えた木立の上などを通り、マンション形式の裁判官宿舎の周辺に流れていった。およそ10分ほど噴霧を続けて、12kgのサリン混合液は3個の貯蔵タンクから気化してしまった。
村井は運転席の端本に噴霧車を発進させ、ワゴン車もそれに続いて発進した。

河野義行氏宅。夕食を終えた家族は、自宅の居間でくつろいでいた。午後11時頃、妻の澄子さんが体の不調を訴えた。河野さんは横になるよう勧めていると、犬小屋の方から不審な物音がする。見てみると、愛犬2匹が体をけいれんさせ、口から泡をふいてたおれていた。



居間へ戻ると、今度は澄子さんがけいれんしている。驚いた河野さんは慌てて119番通報した。しばらくして河野氏と長女もサリン中毒を起こし、意識を失った。

松本サリン事件。



7人が亡くなり、約600人が重軽傷を負った。
テレビでは河野家の池で飼われていたザリガニや魚の死骸が頻繁に放送された。



村井「松本で使ったサリンは濃過ぎたな」
村井は呟いた。

警察は河野氏の自宅を捜索し、20品の薬品を押収。中には劇物の青酸カリがあったが、それらは全て趣味の焼き物や写真の現像に使う道具だった。しかし捜査員は河野義行氏に対する疑惑を深めた。マスコミも河野氏を犯人扱いする報道を連日行った。



「犯人はお前だ!正直に言え!」刑事の強情な態度に、河野氏は事実を話し続けた。澄子さんは一命を取り留めたものの、意思疎通が困難になり、2008年に亡くなっている。

●村井秀夫と覚醒剤



村井「(LSDと)同じような体験ができるものはほかにできないか」

94年4月、村井は洗脳用の薬物を開発させるため土谷、森脇に覚醒剤製造を指示した。

土谷は製造中に警察の捜査が入っても中間生成物から覚醒剤であることが分からないような特殊な生成法を公安、7月までにサンプルを完成させた。

遠藤が麻原にこれを報告すると

麻原「できているのなら試してみるから持って来い」と、答えた。

麻原は覚醒剤を「ブッタ」と名付け、使用する時の儀式を「ルドラチャクリンのイニシエーション」と呼んだ。遠藤はこれを受け覚醒剤の保管を担当、土谷に大量生産を指示した。

土谷の特殊な生成方法はうまくいかないことが多く、麻原はサンプル完成の過程から遠藤に土谷の様子を監視させた。

12月、遠藤から覚醒剤の量が足りないことを聞いた麻原は急に怒り出した。そして土谷を自分の部屋に呼び出した。

麻原「おまえはプライドが高く、闘争心ばかり出ている!だから仕事ができないんだ!」

麻原に叱責された土谷は、年末のイニシエーションに使用する覚醒剤を用意するため、急遽10gを製造した。以降、土谷は麻原の逆鱗に触れないよう覚醒剤を貯めておこうと考え、配下の信者たちを集めた。

土谷「余裕のあるうちに作っておきましょう」

95年2月までに覚醒剤227gが密造された。







●雄叫び祭



その夏、上九一色村でオウム文化祭「雄叫び祭」が開かれた。
94年の「雄叫び祭」の内容は酷いものだった。吐くのを我慢する大食い競争や、信者たちは麻原が作ったとされる歌を、2~3時間立ったまま歌い続ける競争、逆立ちのポーズで3時間我慢する競争、立った姿勢からひざまずき、額を畳になすり付ける立位礼拝の修行を3時間続けさせらされた。

それも夏日の、冷房の効かない閉め切った部屋で、1000人のサマナが競い合わされたのである。

「法皇内庁」長官・中川智正、「厚生省」大臣・遠藤誠一、「科学班」キャップ・土谷正実。松本サリン事件の中心人物らが舞台に上がると、劇がはじまった。

村井秀夫が率いる「真理軍」の兵士らが本物のバーナーを使って、舞台で鉄材の溶接を始めた。周囲から数十人の「敵」がじわじわと攻め込んで来る。

村井が叫ぶ。

村井「早く作れ。時間がないぞ」

出来上がったのは巨大なパチンコだった。

「真理軍」がゴムを引っ張ってボールを飛ばす。それが当たると、「敵」はばたばた倒れて全滅した。

村井「高い、高い、高い世界に、生まれ変われ…」

村井が、浪歌のような歌をうたった。

劇は、「強力な兵器」を作り上げたことを誇示するために、科学技術省が考えた出し物だった。

村井と遠藤と土谷は、中川の率いる「法皇内庁」の劇にも出演した。

「戦場」を模した舞台を、村井ら4人は狂ったように走り回った。

敵の攻撃をかわすように4人は伏せる。しばらくして、立ち上がった村井は、また甲高い声で歌った。

村井「耐えに耐えたこの時代、弟子の体はぼろぼろだ、毒ガス攻撃堪え兼ねて、真理の宝刀抜き放つ」

「第七サティアン」で危険な仕事をしている信徒だけに教えられた、「進軍」という歌だ。

劇、歌、踊り。20余の部署が出し物を競った「雄叫び祭」は、中川の法皇内庁が優勝した。

表彰式で審査をした麻原が満足そうに言った。

麻原「戦争は避けられない。近く、サバイバルセットを作って、信徒会員に支給する」

その後村井は「正悟師」から尊師に次ぐ地位の「正大師」に昇進する。引っ張られるように、科技省の多くが、一般信徒から「師」に格上げされた。

「彼らは危険なワークをして功徳を積んだ」。こんな噂が富士山麓の施設に広まった。


●村井秀夫小便事件



田村 智 著「麻原おっさん地獄」に、こんな逸話が記載されている。

ある時、村井の部下が怪我をした時のこと。部下を心配した村井は、麻原に伺いをたてると、教祖はこう答えた。

麻原「その程度の傷なら、何も私がやることはない。お前の小便でもかければ、そんなものは治ってしまう」

麻原の言うことを何事でも素直に従う村井は、麻原の命じるがままに、その部下のサマナに小便を振りかけた。

怪我をしたサマナも、村井の小便がエネルギーを発するものだと信じていたため、喜んで傷口に村井の小便を浴びせた。

この逸話は信憑性が高く、「エウアンゲリヲン・テス・パシレイアス」で村井本人が語る音声も残っている。

●落田耕太郎リンチ殺害事件
1994年1月30日未明。誰もが深い眠りについた深夜、2人の男が第6サティアン内へ潜り込んだ。



落田耕太郎(29)。オウム真理教付属病院で薬剤師をしていたが、麻原の教義に嫌気がさし、同年1月に脱会していた。落田はパーキンソン病を患った女性信者と知り合い、教団独自の治療に疑問を持った。

1月24日夜7時。小田急線百合ケ丘駅前の喫茶店。
女性を救い出すため、落田は女性の息子の保田英明に協力を依頼した。

落田「君のお母さんなんだが、このまま入院させていたら、病院が治るどころか殺されてしまう。僕も手を貸すから脱出させてあげようじゃないか」

保田「それ危険だよ、もしバレたら…」

落田「お母さんの命に関わることだよ。それにオウムの医院に入れたのもすべて君の計らいだろう。熱狂的信者の君の言うことを信じて、お母さんは…!」

保田「その話はやめてください!後悔してるんですから」

落田「後悔しているだけじゃお母さんは助からない!君のお父さんも協力するって言ってるんだ!」

保田「オヤジも?」


しばらくして第6サティアン付近に落田と保田、保田の父が集まった。保田の父は脱出用の自動車を準備した。

保田「父さん、エンジンをかけっぱなしにしてくれよな」

保田父「わかってる。しっかりたのむぞ。落田さん、気をつけてね。よろしくお願いします」

2人は催涙スプレーや火炎瓶、サバイバルナイフを持って第6サティアンに侵入した。

医務室に保田の母が横たわっているのを見つけた。母は3階の医務室で、鼻に管を付けられ横たわっていた。保田は母親の意識があるか声を掛けたが、反応はなかった。2人で抱えて脱走しようとした。
ところが、信者に見つかり、落田さんは催涙スプレーをかけて急いで階段を下りた。ところが、下の階から男が5、6人現れ、転がり落ちて捕まってしまった。2人は手錠をかけられ、口にテープが貼られると、ワゴン車で第2サティアンに送られた。

新実から報告を聞いた麻原は、尊師の部屋に2人を連行した。村井や松本知子がいた。



麻原「どうだ?ポアするしかないだろ?」

村井「尊師のおっしゃるとおりです。ポアしかないですね」

新実「ポアしましょう、落田は殺してポアするしかない」

井上「泣いて馬謖を斬る」

松本「やむを得ないわね」

話はすぐにまとまった。反対する者は誰もいなかった。

麻原「その前に保田と話がしたいから」

村井「連れて来なさい」

新実「はい」



保田「やめて下さい!」

保田「尊師、お願いです、どんなご命令でも従います!ポアだけは!!」

麻原「なぜこんなことをしたんだ」

保田「落田さんに母親のことを聞いて,心配になったので」

麻原「なんで落田がこういうことをしたか分かるか」

保田「わかりません!」

命乞いをする保田の前で、麻原は唐突に猥談を語り出した。

麻原「落田は,教団にいるときに,母親にイニシエーションだと偽って性的関係を持ったり,精液を飲まそうとしていたんだ。それで教団が落田と母親を引き離したが、落田はそれを不服に思って、母親を連れ出して母親と結婚しようともくろんでたんだ。もし、おまえや私がその結婚を止めるようなことがあったら、落田はおまえや私を殺すつもりでいたんだ。だから,落田の言った母親の状態というのは全く嘘っぱちなんだ」

麻原「おまえは,落田のそういう思惑があるのも知らないで、落田にだまされて,ここに来て真理に対して反逆するという、ものすごい悪業を犯した。ぬぐうことができないほどの重いカルマを積んでいる。間違いなく地獄に落ちるぞ」

保田「尊師、母は4500万円のお布施をしております、母を説得させ入信させ、お布施をさせたのはわたしです、尊師ポアだけは!!」

保田が不安であるのを見透かしているかのように、麻原は平然と言った。

麻原「お前はちゃんと家に帰してやるから心配するな。大丈夫だ」

保田「ありがとうございます!」

麻原は機嫌良さそうに顔を緩めながら保田に告げた。

麻原「ただし、条件がある」

保田(条件…?)

麻原「お前が、落田を殺したらだ。それができなければおまえもここで殺す。どうだ?無理にはとは言わん」

保田「待ってください!」

麻原「落田はポアしかない。お前がやれば助けてやる」

保田は驚いて唾を飲んだ。もし断れば私も殺されるかもしれない。

「やったら帰してもらえるのですか!?」

「私がうそをついたことがあるか。今すぐ決めろ!」



安田が瞑想室へ連れて来られた。2m四方のビニールシートの中央中央に前手錠のまま座らされた。

保田は幹部に囲まれた。

保田「ごめんね…」

安田「いいんだ、俺はもう覚悟はできている…それより巻き込んじゃってごめんね…」

麻原は業を煮やした態度で怒鳴った。
麻原「これで落田を殺せなかったら諦めろ!」

麻原「お前は催涙ガスを使ったんだってな。それなら催涙ガスを使わなければならない」

村井「袋をかぶせればいい」村井は黒いごみ用の袋を用意させ、それを落田の顔にかぶせた。

保田が袋に手を突っ込んでガスを出すと、落田は水揚げされた魚のように暴れ出した。苦しさのあまり自分でごみ袋を破った。中からガスが吹き出てしまい、保田の目にもしみこんだ。麻原も村井も息苦しくなった。周りにいた信者が窓を開けた。

麻原「なんで窓を開けるんだ!閉めろ!」

村井と井上は「人に聞こえるじゃないか」と慌てて窓を閉めた。

麻原「ごみ袋を2枚にしてかぶせろ!」

「人殺し」「助けてえ」「もうしないから、助けてくれ」
哀願するような言葉で命乞いをした。保田は、新實から二つ折りにされたロープを受け取った。生きたい、死にたくないと懇願する落田の首に、ロープが巻きつけられた。落田はあおむけになって暴れた。

そして、麻原、村井、松本知子ら最高幹部11名の前で公開処刑が行われた。

落田が動かなくなると、中川が脈を測り、まだ脈があることを報告した。

麻原「さらに絞め続けろ」

脈が動かなくなったのが確認されると、麻原は保田に厳しく口止めをした。

麻原「今日のことは忘れろ。これからまた入信して週に1回は必ず道場へ来い。今回積んだカルマはちょっとやそっとで落とせない、一生懸命修行しろ」

最後に麻原は「おまえはこのことは知らない。」と付け加えた。

麻原は村井と丸山に遺体の処分を命じた。

村井「地下に例のものがあるので、それで処理します」

麻原「お前に任せる」

落田はビニールシートでこん包された。作業は15分かかった。

丸山は遺体を地下へ運んだ。



第2サティアン地下室。ここには麻原専用のプールとマイクロ波焼却装置が置かれていた。遺体をドラム缶に詰め込むと、マイクロ波過熱装置の中に入れた。村井はマイクロ波を照射して加熱焼却をはじめた。遺骨は跡形もなく粉々にして排水溝に捨てた。

後日、保田は教団を抜け出し秋田や東京のホテルを転々とした。村井は麻酔薬による拉致を狙って襲撃しようとしたが、警察を呼んだため手を引いた。その後保田は米国フロリダへ渡り、2ヵ月間潜伏した。

1994年2月22日、麻原彰晃一行は中国を訪問した。

この旅行には、村井秀夫、新実智光、井上嘉浩、早川紀代秀、遠藤誠一、中川智正らの教団幹部が同行した。麻原は明の太祖朱元璋の生まれ変わりを自称し、南京(朱元璋時代の明の首都)の孝陵(朱元璋の陵墓)などの縁の地を巡った。

旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポア(殺害)しなければならない」と説法し、日本国を武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いている旨を明らかにした。麻原はクーデターの野心を露骨話すまでになっていたたが、誰も違和感を感じはしなかった。

94年4月。麻原はロシアの射撃ツアーから帰国した早川に対し「警察庁長官、内閣総理大臣、防衛庁長官を拉致して国会を占拠する」と発案した。

麻原「そうすれば機動隊が周辺を囲むだろうから、迫撃砲を撃ち込んで全滅させる。そうすれば国家を取れるな。マンジュシュリー、迫撃砲だと何発撃てばいいんだ」

村井はすぐに電卓で計算した。

村井「二千何発です」 井上「素晴らしい計画です!」

同月、村井は土谷に爆薬サンプルの製造を指示。

更に村井は出家信者の勧誘を財産所有者から自衛隊や専門知識を持つ高学歴者へ絞るよう、石川に指示した。この頃までにオウムは、日本中枢部を攻撃するプランが出来上がっていた。



この頃、オウム内部では大きな変化が起きてい た。1980年代末、麻原は松本知子 、石井久子、飯田エリ子、大内早苗といった強力な 女性たちに囲まれていた。この女性たちは初期の弟子たちであり、集団として強力な影響力を行使していた。1992年までに、このグループはトップの意思決定から次第に外れていった。代わりに台頭したのは村井秀夫、早川紀代秀、上祐史浩だった。

村井は麻原に可愛がられることを望み、そして麻原との合一を願う教団の操り人形となっていた。他の人々よりも早く麻原教祖との縁を深めたいと考えた村井は、麻原の右腕として誰よりも進んで悪事に手を染めていった。

●池田大作ポア計画



「…93年秋までに、オウムの信徒数を、創価学会なみに増やしたい」

と、麻原は幹部会議の前で強調したことがあった。しかし、それが実現しないのは「創価学会の池田大作名誉会長が、新生党の小沢一郎代表幹事(当時)を使って国家権力を動かし、妨害しているからである」と“ポア”計画を立てた。

村井は、1993年11月中旬頃、遠藤誠一、新實智光、中川及び滝澤和義らに対して、創価学会名誉会長池田大作に、教団で生成した上記サリンをかけるよう指示した。池田が対象となったのは、創価学会信者による被告人の説法会の妨害行為や1990年の総選挙の際の選挙活動妨害行為があり、また、教団を攻撃した『サンデー毎目』を発刊している毎目新聞杜と創価学会とが緊密な関係にあると考えたこと等から、村井が噴霧実験の対象としたのであった。

村井「このサリンは池田大作の暗殺に使う。11月16日までに作ってくれ」

土谷と中川は600gのサリンの生成に目処がついた段階だった。村井は中川に細かく説明はしなかった。

11月15日、村井秀夫は、新實、中川及び滝澤らとともにサリン約600gを注入した農業用の噴霧器で、創価大学を攻撃した。

村井は、指示するにあたって、噴霧の目的も、噴霧によって池田をどうするのかの具体的なことは一切説明せず、「殺害」を意味する言葉も使わなかった。中川らとしても、村井からサリンを生成しろと指示された際に目的は言われず、トン単位のサリンを作るということを聞いていたため、その予備的な実験かと思った程度であった。

中川らは、創価学会の妨害活動等があったことは知っていたが、池田を殺害しなければならないほどの対立感情を抱いていたわけではなく、実際に教団と創価学会とはそこまでの対立関係にはなかった。
 

村井らは、農薬用噴霧器「霧どんどん」を普通乗用自動車に取り付けて噴霧する方法を考え、同月中旬頃、村井、新實、中川及び滝澤は、噴霧するため、八王子市内の創価学会施設付近まで赴いた。

近くの路上で噴霧器にサリンを注入したが、実際に注入作業をした村井も中川も危険を感じることはまったくなく、両人ともマスクはせずに注入し、まわりで人垣をつくっていた他の者らもマスクはしていなかった。

また、村井や中川は、注入する際、顔面の間近にサリンがあるにもかかわらず、顔をそむけることもなく、また、手袋はせず素手で行った。注入するのに3~4分かかったが、途中で何回も呼吸をした。吸入したり、手等に付着した場合の心配もしていなかった。


村井らは、事前にサリンの予防薬とされるメスチノン(臭化ピリドスチグミン)を飲んでいた。

メスチノンは、重症筋無力症の治療薬であり、当時教団に同病の患者がいたため、治療薬として保管してあったものである。この池田攻撃の当目に村井が、サリン中毒の予防薬ということで中川らに渡したのであった。ただし、村井がメスチノンを配った時は、新實はいなかったため、新實はメスチノンを服用していなかった。


こうして、村井らは、上記普通乗用自動車で創価学会施設周辺を走行しつつ、車の後方から外に向けて噴霧した。車の真後ろにはバイクでついて来る者がいて、この者が噴霧したサリンを浴びたのは明らかであり、また、創価学会施設の警備員らも噴霧したサリンを浴びたのは明らかであったが、何らの影響も現れなかった。注入したものをすべて噴霧し切ったにもかかわらず、何事も起こらなかった。

新實「できてるんですかね」

村井「う一ん」
首をかしげる村井。




しばらくすると、村井、中川、新實及び滝澤たちの体に異変が起きた。「手が震える、息が苦しい、目の前が暗くなる」という症状が出た。村井と滝澤は中川からパムを注射してもらった。これらの症状はいずれも軽く、死の危険性はまったくなかった。

村井たちはサリンが出来ているのかどうか疑問を持った。

なお、この第1回池田事件の際、遠藤が生成を担当していたボツリヌス菌も同じ噴霧車に備えた別の噴霧器(霧どんどん)で撤こうとしたが、噴霧器が途中で動かなくなり、ほとんど撒くことができなかった。

もし、噴霧器が正常に作動し、サリン攻撃が成功したとしても池田の暗殺は不可能だった。(池田はタイ国の王女を迎えた演奏会に参加していた)

12月初旬頃、村井は土谷及び中川に対し、サリンを5kgを造るよう指示した。指示にあたっては、使用目的についての説明はまったくなかった。

サリン生成中、森脇は「動物実験はしないのか」と土谷に訪ねた。土谷は「今の人間は動物より悪行を積んでいる。実験はせず、本番だ」と答えた。同月中旬頃、土谷らはサリン約3kgを完成させた。

八王子の創価学会施設で池田の講演会があるという情報を知った村井は、サリンを加熱して気化させ噴霧する方法を考案し、この方式の噴霧装置を製作して2トンの幌つきトラックに搭載する準備をした。しかし、噴霧を予定していた当日に、この講演会も中止となったことがわかった。

12月18日。
村井は池田が東京都八王子市に来ている情報を掴むと、完成したばかりの「東京牧口記念館」へ向かった。



村井と新實は、サリン3kgを噴霧装置に注入した噴霧車に、中川、遠藤、滝澤はワゴン車にそれぞれ分乗した。

中川は、事前にパム、硫酸アトロピン、メスチノンを準備し、中川、新實らはメスチノンを飲んだ。
 噴霧する前に、中川から噴霧車が火を噴くのでは、という話が出た。

村井は、この時のためにガスバーナー仕様の直下加熱式の噴霧装置を制作していが、実際に噴霧しようとしたところ、ガスバーナーの火が噴霧装置に燃え移りトラックの荷台が発火してしまった。創価学会の警備員に察知されて追いかけられ、噴霧は中止した。それどころか新実が防毒マスクを一時的に取り外し、サリンを吸引して瀕死の状態になるハプニングが起きた。

新實「視野が狭い、暗い、体が多少痺れる」

村井の体調に異変はなかったが、遠藤は、目の前が暗くなり足が若干痙撃する症状が起きた。
滝澤は、若干縮瞳を感じた。

新實の容態は悪化し、呼吸困難を起こしてひん死の状態に至った。

医療役として待機していた中川がパムを注射し、村井が人工呼吸を手伝った。

新實はオウム真理教付属病院へ搬送された。容態を心配して麻原が看病に来た。
村井は新實に謝罪したが、新實は貢献できた想いから「気持ちがいい」と語った。
村井たちは最初の霧吹機による散布よりもサリンを加熱し気化させて噴霧したほうが効果が高いことを認識し、理解した。



1993年12月末。
村井は池田事件で使ったサリンの殺傷能力についてはそれほどのものではないと感じていた。確実に標的を狙うには散布するサリンを増やす必要がある。村井はサリンの生産量を増やすよう中川に命じた。

村井「君には救済のためにサリンを作ってもらうよ。次に池田大作を狙うのは、1月5日だ。それまでにサリンを50キロ作ってくれ」

池田大作の暗殺計画はその後も続いた。ビール缶を改造してサリンを詰めて襲撃する計画を井上が発案したが、信徒がすぐ飲み干してしまい実現しなかった。