●落田耕太郎リンチ殺害事件
1994年1月30日未明。誰もが深い眠りについた深夜、2人の男が第6サティアン内へ潜り込んだ。
落田耕太郎(29)。オウム真理教付属病院で薬剤師をしていたが、麻原の教義に嫌気がさし、同年1月に脱会していた。落田はパーキンソン病を患った女性信者と知り合い、教団独自の治療に疑問を持った。
1月24日夜7時。小田急線百合ケ丘駅前の喫茶店。
女性を救い出すため、落田は女性の息子の保田英明に協力を依頼した。
落田「君のお母さんなんだが、このまま入院させていたら、病院が治るどころか殺されてしまう。僕も手を貸すから脱出させてあげようじゃないか」
保田「それ危険だよ、もしバレたら…」
落田「お母さんの命に関わることだよ。それにオウムの医院に入れたのもすべて君の計らいだろう。熱狂的信者の君の言うことを信じて、お母さんは…!」
保田「その話はやめてください!後悔してるんですから」
落田「後悔しているだけじゃお母さんは助からない!君のお父さんも協力するって言ってるんだ!」
保田「オヤジも?」
しばらくして第6サティアン付近に落田と保田、保田の父が集まった。保田の父は脱出用の自動車を準備した。
保田「父さん、エンジンをかけっぱなしにしてくれよな」
保田父「わかってる。しっかりたのむぞ。落田さん、気をつけてね。よろしくお願いします」
2人は催涙スプレーや火炎瓶、サバイバルナイフを持って第6サティアンに侵入した。
医務室に保田の母が横たわっているのを見つけた。母は3階の医務室で、鼻に管を付けられ横たわっていた。保田は母親の意識があるか声を掛けたが、反応はなかった。2人で抱えて脱走しようとした。
ところが、信者に見つかり、落田さんは催涙スプレーをかけて急いで階段を下りた。ところが、下の階から男が5、6人現れ、転がり落ちて捕まってしまった。2人は手錠をかけられ、口にテープが貼られると、ワゴン車で第2サティアンに送られた。
新実から報告を聞いた麻原は、尊師の部屋に2人を連行した。村井や松本知子がいた。
麻原「どうだ?ポアするしかないだろ?」
村井「尊師のおっしゃるとおりです。ポアしかないですね」
新実「ポアしましょう、落田は殺してポアするしかない」
井上「泣いて馬謖を斬る」
松本「やむを得ないわね」
話はすぐにまとまった。反対する者は誰もいなかった。
麻原「その前に保田と話がしたいから」
村井「連れて来なさい」
新実「はい」
保田「やめて下さい!」
保田「尊師、お願いです、どんなご命令でも従います!ポアだけは!!」
麻原「なぜこんなことをしたんだ」
保田「落田さんに母親のことを聞いて,心配になったので」
麻原「なんで落田がこういうことをしたか分かるか」
保田「わかりません!」
命乞いをする保田の前で、麻原は唐突に猥談を語り出した。
麻原「落田は,教団にいるときに,母親にイニシエーションだと偽って性的関係を持ったり,精液を飲まそうとしていたんだ。それで教団が落田と母親を引き離したが、落田はそれを不服に思って、母親を連れ出して母親と結婚しようともくろんでたんだ。もし、おまえや私がその結婚を止めるようなことがあったら、落田はおまえや私を殺すつもりでいたんだ。だから,落田の言った母親の状態というのは全く嘘っぱちなんだ」
麻原「おまえは,落田のそういう思惑があるのも知らないで、落田にだまされて,ここに来て真理に対して反逆するという、ものすごい悪業を犯した。ぬぐうことができないほどの重いカルマを積んでいる。間違いなく地獄に落ちるぞ」
保田「尊師、母は4500万円のお布施をしております、母を説得させ入信させ、お布施をさせたのはわたしです、尊師ポアだけは!!」
保田が不安であるのを見透かしているかのように、麻原は平然と言った。
麻原「お前はちゃんと家に帰してやるから心配するな。大丈夫だ」
保田「ありがとうございます!」
麻原は機嫌良さそうに顔を緩めながら保田に告げた。
麻原「ただし、条件がある」
保田(条件…?)
麻原「お前が、落田を殺したらだ。それができなければおまえもここで殺す。どうだ?無理にはとは言わん」
保田「待ってください!」
麻原「落田はポアしかない。お前がやれば助けてやる」
保田は驚いて唾を飲んだ。もし断れば私も殺されるかもしれない。
「やったら帰してもらえるのですか!?」
「私がうそをついたことがあるか。今すぐ決めろ!」
安田が瞑想室へ連れて来られた。2m四方のビニールシートの中央中央に前手錠のまま座らされた。
保田は幹部に囲まれた。
保田「ごめんね…」
安田「いいんだ、俺はもう覚悟はできている…それより巻き込んじゃってごめんね…」
麻原は業を煮やした態度で怒鳴った。
麻原「これで落田を殺せなかったら諦めろ!」
麻原「お前は催涙ガスを使ったんだってな。それなら催涙ガスを使わなければならない」
村井「袋をかぶせればいい」村井は黒いごみ用の袋を用意させ、それを落田の顔にかぶせた。
保田が袋に手を突っ込んでガスを出すと、落田は水揚げされた魚のように暴れ出した。苦しさのあまり自分でごみ袋を破った。中からガスが吹き出てしまい、保田の目にもしみこんだ。麻原も村井も息苦しくなった。周りにいた信者が窓を開けた。
麻原「なんで窓を開けるんだ!閉めろ!」
村井と井上は「人に聞こえるじゃないか」と慌てて窓を閉めた。
麻原「ごみ袋を2枚にしてかぶせろ!」
「人殺し」「助けてえ」「もうしないから、助けてくれ」
哀願するような言葉で命乞いをした。保田は、新實から二つ折りにされたロープを受け取った。生きたい、死にたくないと懇願する落田の首に、ロープが巻きつけられた。落田はあおむけになって暴れた。
そして、麻原、村井、松本知子ら最高幹部11名の前で公開処刑が行われた。
落田が動かなくなると、中川が脈を測り、まだ脈があることを報告した。
麻原「さらに絞め続けろ」
脈が動かなくなったのが確認されると、麻原は保田に厳しく口止めをした。
麻原「今日のことは忘れろ。これからまた入信して週に1回は必ず道場へ来い。今回積んだカルマはちょっとやそっとで落とせない、一生懸命修行しろ」
最後に麻原は「おまえはこのことは知らない。」と付け加えた。
麻原は村井と丸山に遺体の処分を命じた。
村井「地下に例のものがあるので、それで処理します」
麻原「お前に任せる」
落田はビニールシートでこん包された。作業は15分かかった。
丸山は遺体を地下へ運んだ。
第2サティアン地下室。ここには麻原専用のプールとマイクロ波焼却装置が置かれていた。遺体をドラム缶に詰め込むと、マイクロ波過熱装置の中に入れた。村井はマイクロ波を照射して加熱焼却をはじめた。遺骨は跡形もなく粉々にして排水溝に捨てた。
後日、保田は教団を抜け出し秋田や東京のホテルを転々とした。村井は麻酔薬による拉致を狙って襲撃しようとしたが、警察を呼んだため手を引いた。その後保田は米国フロリダへ渡り、2ヵ月間潜伏した。
1994年2月22日、麻原彰晃一行は中国を訪問した。
この旅行には、村井秀夫、新実智光、井上嘉浩、早川紀代秀、遠藤誠一、中川智正らの教団幹部が同行した。麻原は明の太祖朱元璋の生まれ変わりを自称し、南京(朱元璋時代の明の首都)の孝陵(朱元璋の陵墓)などの縁の地を巡った。
旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポア(殺害)しなければならない」と説法し、日本国を武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いている旨を明らかにした。麻原はクーデターの野心を露骨話すまでになっていたたが、誰も違和感を感じはしなかった。
94年4月。麻原はロシアの射撃ツアーから帰国した早川に対し「警察庁長官、内閣総理大臣、防衛庁長官を拉致して国会を占拠する」と発案した。
麻原「そうすれば機動隊が周辺を囲むだろうから、迫撃砲を撃ち込んで全滅させる。そうすれば国家を取れるな。マンジュシュリー、迫撃砲だと何発撃てばいいんだ」
村井はすぐに電卓で計算した。
村井「二千何発です」 井上「素晴らしい計画です!」
同月、村井は土谷に爆薬サンプルの製造を指示。
更に村井は出家信者の勧誘を財産所有者から自衛隊や専門知識を持つ高学歴者へ絞るよう、石川に指示した。この頃までにオウムは、日本中枢部を攻撃するプランが出来上がっていた。