村井秀夫刺殺事件の真相を追って -25ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)




●「上祐史浩よ、おまえこそ村井刺殺事件の真相を知っているはずだ」

「週刊ポスト」2000年4月14日号に、ある記事が掲載された。証言者は元麻原側近、X氏(本名不記載)。
オウムの前身『オウム神仙の会』時代からの古参幹部だとされ、麻原彰晃や村井秀夫の腹心として数多くの秘密ワークに関与し、95年3月の強制捜査以降に逮捕、起訴され実刑判決も受けている。
その後、2000年の時点で社会復帰し、教団を脱会したとしている。以下全文。


・「上祐には村井抹殺の動機がある」

國松考次警察庁長官(当時)狙撃事件と並んで、オウム真理教(新生アレフ)に関してはいまだ謎に包まれたままの事件があります。教団幹部だった村井秀夫幹部刺殺事件です。

 これについては事件当時からオウム黒幕説が囁かれていました。教団犯罪のすべてを知る村井の”口封じ”を狙い、教団がヒットマンを雇ったのではないか、という推測です。捜査当局も最高幹部・上祐史浩が関わっているのではないかとして捜査を進めていました。

 村井幹部刺殺事件は國松朝刊狙撃事件から約3週間後の95年4月23日夜に起きた。現場は東京・南青山の教団・東京総本部前。
現行犯逮捕された実行犯(徐裕行)は、暴力団幹部の指示によるものと自供したが、その幹部は全面否認。このため、犯行の背後関係はいまも明確となっていない。

私は裁判で拘留中だった頃から刑期を終えるまでの間、数回にわたって村井刺殺事件について、警視庁捜査一課の捜査員から任意の事情聴衆を受けています。
「村井の刺殺は麻原か上祐が指示したのではないか。とくに上祐の関与、我々はそれをいちばん疑っている。村井と上祐の関係が悪かったことも掴んでいる。君も知っていることを話してくれ」と。

 彼らが上祐の関与を疑った理由は2つあります。教団施設から押収した名簿と青山総本部地下1階ドアの鍵の問題です。

 強制捜査で押収したその名簿は、実は暴力団のリストだったのです。そこには犯行を指示したとされる幹部が所属する組の名前もあり、村井刺殺の前から教団とその暴力団は関係があったのではないか、というのです。
 そして鍵。事件当時、総本部前に到着した村井は、地下の出入り口から本部内に入ろうとしました。深夜に出入りする信者のため、ここだけは24時間開かれているからです。ところが、この日にかぎって、なぜかドアは施錠されていたのです。そのため村井は表玄関に回ろうと、地下の階段を上がって駆け上がったところで犯人(徐裕行)に刺されています。
 ここから2つの疑問点が浮上します。地下のドアを施錠したのは誰か、そして”この日に村井が総本部に来ることを知っていたのは誰か、の2点です。
 どちらも上祐ならば可能、と捜査員は見ています。私自身も同意見です。というのも、当時、総本部を拠点にして活動していた幹部に上祐の腹心中の腹心といわれた男がいました。上祐ならば彼に施錠指示も可能だったはずです。
 それに村井の行動を把握していたのも上祐。当時すでに「教祖代行」に就任した彼には会議などの招集権があり、村井を総本部に呼び戻すことも可能だったのですから。

 これが捜査員が上祐関与を疑った理由ですが、私は別の点からも「上祐=黒幕説」を信じています。というのもなにより慈雨有には犯行の動機があるからです。それは、村井と上祐が数年にわたってライバル関係にあったからです。



・村井の「しゃべりすぎ会見」で…

上祐は村井より入信、出家が先で、麻原の最側近でもありました。彼のホーリーネーム「マイトレーヤ」とは、釈迦の生まれ変わりを意味し、この名前を麻原からもらったということは、事実上の後継者指名を意味します。麻原自身、「修行に関しては、マイトレーヤについていけば間違いない。彼は非常に優秀だ」とつねづね信者たちに話していたものです。
 ところが、入信後メキメキ頭角を現したのが村井でした。教団が熊本県波野村に進出した90年5月頃、麻原が突然、
「お前を私の秘書にする」と村井を抜擢したのです。
「これからは科学でいく。科学者の頭脳がないとヴァジラヤーナの救済ができない」
 というのがその理由でした。そのためにも村井を必要としたのです。

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 90年2月総選挙惨敗によって政界進出の野望を断られた麻原は、この頃から武力による国家転覆を考え、教団の武装化を開始した。
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 その後、ふたりの仲違いを鮮明にさせる出来事が相次ぎました。
 たとえば、「上祐が若い女性サマナと性の破戒を起こした」という噂が広まり、麻原から叱責を受けたことがあります。これは麻原の3女・アーチャリーの密告によるものといわれたのですが、麻原に進言するようにアーチャリーを焚き付けたのは村井、という噂が流れました。

 さらに93年の上祐のモスクワ支部長への左遷。この裏にも村井の信玄があったと伝えられました。いくらその当時、麻原の信頼が厚くなっていたとはいえ、宗教的な後継者はあくまで上祐。村井には上祐を追い落とし、自分がその座につきたいという思いもあり、何らかの工作を行った可能性を追い落とし、自分がその座につきたいという思いもあり、何らかの工作を行った可能性も否定できません。そのせいか、村井と上祐の仲は嫌悪さを増し、幹部を集めた大師会議では口をきかないどころか、目も合わせないほどでした。
 
そうするうちに、麻原も上祐ではなく村井にこんなことをいったことがあります。
「私や教団に何かあったときには、別の宗教法人を装って教団を再興せよ」
 結果的に失敗しあものの、村井に休眠中の宗教法人買収を命じたのです。私には、今度は村井を後継者に指名したように思えました。

 実際、その当時は部下も予算も村井の思い通りでした。
村井の部下の数は予想通りにどんどん増強され、予算も使い放題。一方の上祐といえば、直属の部下は腹心ひとりだけという状態でした。

 ちなみにいま(2000年当時)も教団に残る幹部たちを分けると、野田成人、二ノ宮耕一、さらにコンピュータ部門を統括するHが村井派、村岡達子、杉浦茂・実兄弟、鎌田紳一郎が上祐派に分類できると思います。
つまり、教団の資金源であるコンピュータ部門の信者は上祐絶対というわけではなく、その意味で上祐もやりにくいはずです。

 それはともかく、ある時、村井優位の力関係が大逆転します。転機は95年3月22日の強制捜査。これで村井逮捕の可能性を心配した麻原は、「教祖代行」に上祐を正式に指名したのです。しかし、黙って引き下がる村井ではありません。自分も実行犯に加わった坂本弁護士一課殺害事件でも逮捕されなかっただけに、村井としてはその時も逃げ切れると踏んだのでしょう。上祐とともに記者会見に応じ、サリンを作った薬品類の存在も認め、「農薬用製造用」と強弁したのです。また「教団資産は1千億円」とも発言している。その記者会見でとくに印象に残ったのは、村井と並んで座った上祐の表情。実に苦々しげな顔をしていました。
「しゃべりすぎた」
と村井を睨んでいるようにも見えました。実際、私も同じように感じました。明らかにしゃべりすぎ。捜査当局に言質を与えかねない発言内容でした。上祐にしてみれば、このままでは村井によって教団が崩壊しかねないと、村井排除を考えたのではないか、と思うのです。
 とはいえ、これはあくまで私の推測であり、捜査員にも話していません。というより、話す気も起きなかったというのが本当のところです。


・警視庁の幹部にも「内通者」がいた

なぜなら、捜査当局の取り調べや事情聴取は実にいい加減なものなのです。私を逮捕した捜査員たちは、秘疑事実に関してしか聞かず、オウムの全体像をにらんだ取り調べではないのです。以前にも話した、7億円にのぼる教団資産の隠匿に私が関わっていたことにも気付かないままでした。

 國松朝刊狙撃事件や村井刺殺事件に関して事情聴取に来た捜査員も同じ。「何か知っていることはありませんか」と聞き、私が知らないといえば、それ以上は追求しません。あまりにも通り一遍の質問で、熱意も感じられませんでした。
 とはいえ、そんな警察の内部にオウムの協力者が複数いたのですから、無理もないという感じでした。
 國松狙撃事件では、当時現職警官だったK元巡査長が犯行を「自供」して大騒動になりました。が、警察情報の提供者は彼だけではありません。実は坂本弁護士事件の捜査をしていた神奈川県警の所轄にも情報提供者がいたし、ある外郭団体の役員を通じて警視庁の幹部からも捜査情報を入手していたのです。逮捕された教団幹部たちを徹底的に取り調べれば、その存在は明らかになるはずです。
 オウムによる犯罪を二度と繰り返させないためにも、いまからでも遅くありません。
これまで謎となっている事件の、徹底的な捜査の洗い直しを願うばかりです。



出典
http://i.imgur.com/Kz7yMNm.jpg
http://i.imgur.com/jFaVPUj.jpg





・過去の発言を検証した結果、上祐史浩は村井刺殺事件の証言を二転三転していたことが判明している。

①闇の勢力説(1995年・刺殺事件直後の会見)
「村井刺殺は麻原の予言に沿って起きた事件であり、事件の背後に闇の勢力がある節がある」



②オウム内部犯行説(2010年・フライデー)
「予言を実現させるためにオウム真理教が行った自作自演の可能性があると感じている」



③麻原・早川共謀説(2012年)
「警察関係者から『教団と暴力団が共謀して覚醒剤を流しており、隠蔽のため共犯者の村井を消した』という説を聞いているが、教団と裏社会の接点はないと思う。事件直前に早川紀代秀が村井を叱責しており、麻原と共謀して村井を消したのではないか」
(早川紀代秀は「村井事件を切っ掛けに、麻原の超能力を疑い始めた」と著書「私にとってオウムとは何だったのか」で主張)



④徐裕行単独説(2013年5月29日・Twitter)
「事件は単独犯。オウムをやっつけるという義憤によるもの。 背景にオウムも暴力団も関係していない」


・麻原彰晃は教団出版書「巨星逝く」で自分の超能力を誇示するため村井秀夫の死を利用している
参照
http://ameblo.jp/hideomurai/entry-12044165226.html


上祐史浩は村井刺殺に関与したのだろうか。犯行側の実像に近づくためには、上祐の素性に迫ることが真相解明の一つとなることは間違いない。
殺人鬼・徐裕行と足立区教委と北朝鮮②



テレビ朝日が徐裕行の個人情報を漏洩させた行為に対し、厳重抗議した足立区教育委員会。
その足立区教委と交流のあるに朝鮮学校の関係者は只ならぬ人物だった。


①具大石ってどんなひと?



生きがいある人生、主席と共に 「子どもと未来愛する指導者」
在日本朝鮮人中央教育会・具大石会長の回顧

 1991年9月10日、金日成主席と共にした錦繍山議事堂での宴席で、学生たちの予期せぬ行動に本当に驚かされたと、当時、朝鮮大学校師範学部(当時)の学部長として23人の学生たちを引率して祖国を訪問した在日本朝鮮人中央教育会の具大石会長(66)は振り返る。(姜)

 宴会には、建国43周年に際して祖国を訪問した総聯の祝賀団、代表団、そして朝大師範学部3年制の学生たちが参加した。
 ある程度時間が経ったとき、会場に緊張が走った。後方の席についていた学生たちが突然、歌を歌いたいと立ち上がったのだ。
 主席と同じテーブルについていた具大石会長は慌てて、学生たちに「席につけ」と手で合図した。ところが、学生たちは早く前に来いという合図だと勘違いして、主席の前まで来てしまった。そして主席のテーブルの前に整列して合唱した。
 「警護官たちもびっくりして、今にでも制止しようとする雰囲気だった。しかし主席は学生たちの突然の行動を笑顔で受け止めてくれた」という。歌が終わると、学生一人ひとりと杯を取り交わしてくれた。

 具大石会長は、1988年1月、1989年12月、1991年9月、1992年4月(2回)、1994年4月の計6回金日成主席と会見した。具大石会長は、「気兼ねなく話ができた。とにかく最後までこちらの話に耳を傾けてくださった」としながら、「不思議なほど緊張しなかった。とても大らかな方だった」「子どもと未来を愛する方だった」と話した。

人生変えたポスター
父が炭焼きで生計を立てる島根県鹿足郡柿木村で生まれた具大石会長は、日本の学校に通い、朝鮮人差別と貧しさのどん底で育った。
 小学校のときは、学級費を払えと担任に殴られることもしばしばあったという。
 具大石会長12歳のときに兄を亡くした。山に遠足に行った兄は、転がってきた石に頭をぶつけた。日本人医師がまともに治療を施してくれていたなら死ななくて済んだが、朝鮮人でお金もなく、治療を受けられなかったという。
 憤りと悔しさを胸に、「いつか見返してやる」という気持ちで勉学に励んだ。
 島根県立津和野高校卒業後に上京し、アルバイトをしながら東京理科大学に通った。
 1972年に同大大学院修士課程を修了した。しかし、朝鮮人という理由で希望どおりの就職が叶わなかった。その年の2月末、肩を落としながら校庭を歩いていたら、ふと校舎に貼られた「朝鮮民主主義人民共和国商品展覧会」のポスターが目に飛び込んできた。
 そこに書いてあった在日本朝鮮人商工連合会の電話番号を手がかりに総連の活動家と会い、初めて総連と社会主義朝鮮について知ることになった。

 3月のある日、朝鮮会館で朝鮮労働党第5回大会の記録映画を見る機会があった。
 「威風堂々として自信に満ちあふれながらも謙虚な主席の姿に、完全に魅了された。理屈なんてない。この出来事がきっかけになり、主席の導く道で生きていくことを決心し、朝鮮人として生甲斐のある人生を歩むことができた」
 1972年4月から東京朝鮮中高級学校で教壇に立ち、朝鮮大学校理学部教員、師範学部学部長、東京朝鮮中高級学校校長、在日本朝鮮人教職員同盟中央本部委員長などを歴任した。主席がいつも心の支えであり、矜持であったと話す。

主席と重なる姿
具大石会長は今年2月、金正日総書記生誕70周年に際して総連代表団のメンバーとして祖国を訪問した。
平壌での中央報告大会で、金正恩最高指令官を間近に接した。
謙虚でありながら威風堂々ではつらつとした姿。いったん席につきながらも、会場からの大きな拍手に再び立ち上がってにこやかに聴衆に答礼するその姿は、金日成主席を彷彿させたという。とくに、自身の人生を変えたという朝鮮労働党第5回大会での主席の姿と重なって見えた。
「万景台革命学院訪問時(1月23日)の映像などを見ても、子どもや人民に対する愛情がにじみ出ている。そういったしぐさや風貌は内面から出るもので、演出しようとしてもできるものではない。それは、長らく教育に携った者として自信を持って言える」

具大石会長は、金日成主席と金正日総書記の崇高な人民観が金正恩最高指令官に継承されていると強調。これからも主席と総書記を心の支えにしながら、金正恩最高指令官を指導と団結の中心にすえていく決意を語った。朝鮮新報2012.3.21

http://jp.korea-np.co.jp/article.php?action=detail&pid=53125



国連の各条約機関で相次ぐ勧告 朝鮮学校の制度的保障
具大石・教職同委員長に聞く

 本紙既報のように国連・社会権規約委員会が8月31日、朝鮮学校を正式に認可して財政補助をし大学入学資格を与えるよう日本政府に勧告した。国連の条約審査機関が日本政府に民族教育・朝鮮学校差別是正を勧告したのは、子どもの権利委員会、自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会に次いで4回目のことだが、日本政府の姿勢は変わらない。今後民族教育の権利保障を求める運動をどのように進めるべきか。在日本朝鮮人教職員同盟の具大石委員長(東京朝鮮中高級学校校長)に話をきいた。(張慧純記者)

 ―国連勧告の意義について。
 今回の勧告で日本が加入する主要な国際人権条約の審査機関がすべて、民族教育への差別撤廃を求めたことになる。在日同胞が民族教育を受ける権利の正当性が、国際社会でもゆるぎない常識になったことを意味する。総聯が国連で1990年代初頭から一貫して運動を進めてきた結果だ。
 国際社会だけではない。日本弁護士連合会も98年2月、朝鮮学校をはじめとする外国人学校の教育に関して重大な人権侵害があるとして、橋本龍太郎首相、町村信孝文部相(ともに当時)に差別を解消する処置を講じるよう、勧告している。
 しかし、日本政府はいまだに「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養(かんよう)することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって各種学校の地位を与える積極的意義を有しない」とする1965年の文部次官通達が有効だとしている。朝鮮人が朝鮮人として生きる権利を否定するものだ。
 日本政府は内外の指摘を受け入れ、その流れに逆行する行為を一日も早く是正すべきだ。朝鮮学校に学校教育法に定める「一条校」と同じ資格を与え、私立学校と同等またはそれ以上の助成金を支給しなければならない。

 ―今後、教育権獲得運動をどのように進めるべきか。
 今こそ全同胞、全組織をあげて運動を進める時だ。国連の各条約委員会が出した勧告は、その有効な武器になる。
 民族教育は在日朝鮮人運動の生命線。民族教育が制度的に保障されてこそ、在日同胞の幸せな未来が保障される。
 現実的に保護者の経済的負担は限界に来ており、経済的な理由や朝鮮学校に各種資格が与えられないことから日本学校を選択する同胞も多い。民族教育の確固たる法的基盤を確保してこそ、より広範な同胞の子供たちが民族的アイデンティティーを育んでいける。
 そのような意味で、日本政府に対し、民族教育に関わるすべての権利を認めさせることは、歴史的な課題であると同時に今日的課題だ。今を好機ととらえ、日本政府とのたたかいに決着をつけなければならない。

 ―具体的な運動について。
 今後、中央、地方レベルでち密な戦略を立てて運動を進めていく。とくに地方レベルでは総聯本部に設置された民族教育対策委員会を中心に、地域の実情に合った運動内容、方法、形態を練り、運動に着手することになるだろう。長期的な運動になるだけに、優秀な人材で担当チームを編成すべきだと思う。
 運動を進めるうえで何より大事なことは、同胞の権利意識を高め、日本の市民、行政、議員の中で朝鮮学校に対する支持世論を盛り上げることだ。そうしてこそ、国連で醸成された世論を日本社会に持ち込むことができる。
 また、日本国内の裁判所でも国際条約を根拠にした判決が増えてきているだけに、法廷闘争も視野に入れるべきだ。

 ―展望は。
 この運動で勝利すれば、保護者の経済的負担を軽減し、朝鮮学校の生徒数を増やすことができる。同胞社会に希望をもたらす運動になると確信している。
 日本社会の右傾化、民族金融機関の再建問題など、同胞社会では先行きに対する不安や課題が山積している。しかし、今こそ長期的な視野に立ち、民族教育の権利を獲得するという一点で同胞が一致団結しなくてはならない。朝鮮新報
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2001/9/0926/71.htm 




②梁玉出ってどんなひと?

2014.04.02 (15:55) 日本軍性奴隷問題討論会、中国・瀋陽で開催
北・南・海外、「慰安婦」問題での連帯強化

7年ぶり、共同決議文を採択



「日本軍性奴隷問題解決のための北・南・海外女性討論会」が3月29日、中国・瀋陽で行われた。7年ぶりに開かれた今回の討論会では、北・南・海外の同胞女性たちが共同決議文を採択し、日本軍「慰安婦」問題解決のための連帯と、日本当局に対する圧力をよりいっそう強めていくことで一致した。

在日同胞代表も参加

討論会には、朝鮮民主女性同盟と韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)をはじめ、北と南、海外の20余の女性団体が参加した。日本からは6・15共同宣言実践日本地域委員会の安秉玉名誉議長を団長として、女性同盟中央の梁玉出副委員長、鄭正順国際部長、強制連行真相調査団朝鮮人側中央本部の金静媛事務局次長、東京朝鮮中高級学校オモニ会の朴洙元会長、在日本朝鮮人人権協会の金優綺指導員の6人で構成された在日同胞代表団が参加した。

討論会には、日本軍「慰安婦」被害者である吉元玉さんも参席し、当時の惨憺たる状況と日帝の蛮行について証言した。

北側代表団の団長である朝鮮民主女性同盟中央委員会のキム・ミョンスク副委員長は「北と南、海外のすべての女性が思想と理念、見解と制度の違いを乗り越え、日本軍性奴隷問題をはじめとする日本の過去の侵略行為と反人倫的な犯罪を総決算すべく、全民族あげての闘争を繰り広げよう」とアピールした。

http://chosonsinbo.com/jp/2014/04/20140402riyo/
http://chosonsinbo.com/jp/2014/04/20140402riyo/梁玉出副委員長_r/



おまけ
朝鮮学校関係者の犯罪



国際指名手配被疑者一覧 警察庁HP
http://www.npa.go.jp/keibi/gaiji1/wanted/wanted_j.html


北朝鮮と共謀した覚醒剤の密輸で国際指名手配



朝鮮学校の元校長 曹奎聖
山口県警察HP http://www.police.pref.yamaguchi.jp/0310/jouhouteikyou/soukeisei.htm 


北朝鮮国籍・金哲柱と朝鮮大学の学生・尹潤一を恐喝容疑で逮捕




朝鮮総連関連企業の金元道と李慶信と朝鮮学校の元教員、張貴樹ら逮捕



補助金(雇用調整助成金)詐欺容疑で北海道朝鮮初中高級学校へ捜索に入る北海道警の捜査員らともみ合う同学校職員ら




朝鮮大元副学部長を不正入手カード使用で逮捕 “スパイに指示”か
朴在勲容疑者







次回:上祐史浩は村井秀夫を殺したのか
徐裕行の個人情報漏洩に抗議…足立区教委の対応


前回の記事では、暴力団がメディアに出演し、村井事件の情報撹乱に関与した可能性について指摘した。メディアがトラブルを起こした相手は暴力団だけではなかった。

学校職員がテレ朝の撮影許す オウム幹部刺殺徐容疑者の指導要録放送

95年4月25日午後1時55分、テレビ朝日はワイドショー「パワーワイド」で、オウム真理教幹部村井秀夫刺殺事件で逮捕された徐裕行の小学校時代の指導要録の内容を放送した。(名古屋地区では放映せず)

4月24日7時頃、テレビ朝日は小学校に「徐容疑者はそちらの卒業生か」「卒業生の徐容疑者の住所を確認できるものはないか」と電話し、学校に一人だけ残っていた夜間警備員(当時58)が、職員室のロッカーの棚にあった指導要録を見て「名前がある」と答えると、午後8時頃に女性リポーターら5人が来校した。警備員は番組スタッフたちを警備員控室に招き入れると、指導要録と卒業アルバムを持ち出して取材に応じた。

番組スタッフたちは製本されて保管されている1978年3月卒業の「指導指導要録」の原本を大写しに撮影。また、徐裕行の記録が記載されているページを開き、各教科の五段階評価の成績を記録した欄や性格を記した欄を収録した。スタッフは「学校には迷惑をかけない」などと職員に告げ、警備員に謝礼に2000円程度の菓子折りを渡した。

指導要録は年度ごとにとじられ、原則非公開となっている。足立区教委は学習指導要録を耐火金庫や鍵のかかる書棚に保管するよう指導していた。しかし、この小学校では徐裕行の卒業年度分を含めた一部の指導要録が金庫に収まらずスチール製の棚に置かれていた。

放送後、視聴者から「プライバシーの侵害ではないか」と問い合わせや抗議の電話が2、30本あったという。

これに対しテレビ朝日は「徐容疑者がどういう少年時代をすごし、なぜ犯行に至ったのかの検証の一部として放送した」と主張。

足立区教委は27日、学校側に対し教職員に事情を聴くよう求めるとともに、取材が適切だったかどうかテレビ局側に説明を求めた。


日高芳一(現在は葛飾区教委。)

区教委の日高芳一指導室長は「小学校からは、校長以下、教員で取材を受けたものはいないとの報告を受けている。テレビ朝日に抗議した。『正当な取材』あいったいどういうものなのかの説明をしてほしい」「取材を受けた職員は、指導要録がどんなものかわかっていなかったようだ。学校の管理体制にも問題があった。テレビ朝日の取材は正当なものとはいえない」と主張。

区教委の佐々木一彦教育長は「個人のプライバシー保護の観点からも、指導要録の保管と管理に細心の注意を払うよう、あらためて各学校に周知徹底する」と話した。

この問題について文部省は「指導要録は、みだりに公表されることはあってはならない」と見解を示した。

テレビ朝日広報部は当初「取材源の秘匿の問題があり、具体的案取材過程は申し上げられないが、正当な取材活動だった」と説明したが、担当プロデューサーは区教委に対して「行き過ぎて申し訳なかった」と謝罪があった。

5月22日、テレビ朝日は番組担当プロデューサーを減俸とけん責、大沢清考情報局分担(役員待遇)をけん責、山本肇情報局長と中井靖治第一情報部長を減給処分にした。

テレビ朝日の伊藤邦男社長は「容疑者の幼少時の話を小学校で取材した際、指導要録まで用意されていたが、不当な取材方法はとっていない。しかしプライバシーを記載した指導要録をチェックせずに放送したのは重大なミス」と説明した。


テレビ朝日の不祥事問題(国民の知らない反日の実態)
http://www1.atwiki.jp/oreryuunyu-su/m/pages/14.html
1995.04.27 「パワーワイド」がオウム村井を刺殺した徐裕行容疑者(29)の小学校時代の指導要録放映。プライバシー侵害との抗議殺到

上記の記事から、TBS、日本テレビだけではなく、テレビ朝日まで不祥事を引き起こしていたことがわかる。


足立区教育委員会とは

いかなる理由があれ、殺人鬼・徐裕行の個人情報を守った足立区教育委員会。
足立区教委は東京朝鮮第4初中級学校と友好関係にある。
(余談だが、足立区教委に限らず、多くの教育委員会も朝鮮学校と交流を図っている。)

なお、東京朝鮮第4初中級学校は北朝鮮系の学校であり、徐裕行の出身校である。



東京朝鮮第4初中級学校にはためく北朝鮮国旗

足立区ジュニアスポーツ大会東京朝鮮第四初中級学校
足立区教育委員会で行われた競技大会に東京朝鮮第四初中級学校が参加している




東京でコツコツ28回目、日朝教育交流の集い
授業参観、公演などに200人 朝鮮新報日朝教育交流の集い

 「2002年日朝教育交流のつどい」(主催=同実行委員会)が2月23日、東京・足立区の東京朝鮮第4初中級学校で開かれた。授業参観と東京第4初中生の公演、シンポジウムが行われ、都内の朝鮮学校、日本学校の教職員や地域の教育関係者と同胞、市民ら約200人が参加した。

お互い豊かな関係を
 今年で28回目を迎えた「日朝教育交流のつどい」。都内の各朝鮮学校を会場に、授業参観・生徒の小公演プラスアルファ(シンポや講演など)といった形で開かれているこのイベントは、日本の教育関係者と一般市民らにとって朝鮮学校を知り、理解するための絶好の場となってきた。

 今回もまず、授業参観・校内見学が行われ、初1から中3まで全クラスの授業が公開された。

 続いて体育館で行われた全体会では、実行委員会を代表して在日本朝鮮教職員同盟具大石委員長①があいさつ。「複数のアイデンティティーが存在すること」を教育を通じて伝える重要性について指摘し、このような交流を重ねて世界にその経験を広められるようにしていきたいと述べた。

 会場となった東京第4初中の金龍河校長は歓迎のあいさつで、地域交流を積極的に進めている同校の活動をはじめ朝鮮学校の現状を説明。「政治の壁はあっても、草の根の地域交流は可能だ。信頼をひとつずつ築き上げていくことが、子どもたちにとっても大切だ」と訴えた。

 さらに足立区教育委員会の岡田行雄・指導室長が来ひんあいさつ。「授業を参観し、1人1人の子どもたちが明るく楽しそうに学校生活を送っている姿、自国の文化を愛してそれを知ろう、伝えようという思いを大切にしながら生きている姿に感銘を受けた」と述べ、今後も地域で子どもたち同士の交流を深め豊かな関係を築いていこうと呼びかけた。



朝鮮人として堂々と
 東京第4初中児童生徒による小公演、昼食をはさんで2部のシンポジウムが行われた。昼食は、同校オモニ会が手作りした朝鮮の香りあふれるお弁当とトック(朝鮮風雑煮)がふるまわれた。

 シンポではまず、女性同盟中央梁玉出副委員長①が「なぜ朝鮮学校に―オモニの願い」と題して講演した。梁副委員長は、「教育は私たちにとってもっとも重要な権利、もっとも欲しい権利」だと強調。「日本で生まれ育っても朝鮮人として生きていくという私たちの原点を理解してもらいたい」と述べた。

 そして、植民地時代に奪われた名前と言葉を取り戻すために始まったのが民族教育であり、朝鮮人が朝鮮人として堂々と胸を張って生きていきたいという当然の願いをかなえるために朝鮮学校が存在すると強調。しかし、この素朴な願いがかなえられないのが日本社会の現状だと訴えた。

 最後に日本人参加者らに「お願いがある」として①自分の、日本の問題として朝鮮学校のことに関心を②助成金問題に理解を③子ども同士の交流の場を増やして互いに広い世界を④日本学校の人権教育などの場に朝鮮のオモニたちを呼んで活用を――の4点をあげた。

 続くパネルディスカッションでは、同校卒業生の東京朝高3年の梁美麗さん、同校中級部3年の尹成浩さんが発言した。

 梁さんは、12年間の民族教育を通じてよかったこととして◇民族の心の大切さを学んだ◇自分の国、民族の文化を愛する心を持てた◇集団を重んじる生活の中で互いを思いやる気持ちを育んだ◇母国語を身につけその大切さを学んだ――などをあげた。そして朝鮮学校に対する制度的差別について「同じ人間なのに民族の違いを受け入れてくれないのは寂しいこと」と指摘。「同胞社会をひとつに結び、分断された祖国をひとつにつなぐのも母国語だと思う。母国語を守り、これまで培ってきた民族性をもっと育んでいくために朝鮮大学校に進学したい」と将来の抱負を述べた。

 尹君は、「9年間、この学校で学んで自分が朝鮮人だということに誇りを持っている。またつねに友だちを大切にし、互いに助け合い生きていくことの大切さを学んだ。将来の目標は弁護士。在日同胞の役に立ちたい」と語った。

 シンポではまた、都立荒川商業高校定時制教員の長谷川文夫さんが自ら受け持った在日同胞生徒との交流について、また荒川区立瑞光小学校教員の板橋正枝、佐藤由紀子さんが、隣接する東京朝鮮第1初中と重ねてきた交流授業についてそれぞれ報告した。

◇          ◇

 「知り合うことから始めよう」――この日、日本側の参加者から多く聞かれた言葉だ。しかし、在日同胞はずっと日本人の目の前にいた。そして日本社会の一員である在日同胞は、日本人のことを「知って」いた。朝鮮学校の子どもたちをいわゆる「異文化の体現者」としてのみ行われる交流には、いずれ限界が訪れるだろう。「知ってもらう」のはもちろん大切だが、朝鮮学校の子どもたちはそのために存在しているのではない。互いの立場を尊重し、対等に向き合ってこそ、真の交流になる。「知り合う」ことの、次の段階が期待されている。朝鮮新報2002.
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2002/3/0306/81.htm


上記の朝鮮新報の記事から
朝鮮第四初級学校と足立区教育委員会に交流があることがわかる。
ここで記事に登場する在日朝鮮人、具大石と梁玉出。
この2人は只ならぬ経歴の持ち主だったのだ。

①在日本朝鮮教職員同盟の具大石委員長



②女性同盟中央の梁玉出副委員長






おや?具大石の隣にいる男って…?



続く
参考:ajna氏運営サイトhttp://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/tag/具大石