上祐史浩は村井秀夫を殺したのか | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)




●「上祐史浩よ、おまえこそ村井刺殺事件の真相を知っているはずだ」

「週刊ポスト」2000年4月14日号に、ある記事が掲載された。証言者は元麻原側近、X氏(本名不記載)。
オウムの前身『オウム神仙の会』時代からの古参幹部だとされ、麻原彰晃や村井秀夫の腹心として数多くの秘密ワークに関与し、95年3月の強制捜査以降に逮捕、起訴され実刑判決も受けている。
その後、2000年の時点で社会復帰し、教団を脱会したとしている。以下全文。


・「上祐には村井抹殺の動機がある」

國松考次警察庁長官(当時)狙撃事件と並んで、オウム真理教(新生アレフ)に関してはいまだ謎に包まれたままの事件があります。教団幹部だった村井秀夫幹部刺殺事件です。

 これについては事件当時からオウム黒幕説が囁かれていました。教団犯罪のすべてを知る村井の”口封じ”を狙い、教団がヒットマンを雇ったのではないか、という推測です。捜査当局も最高幹部・上祐史浩が関わっているのではないかとして捜査を進めていました。

 村井幹部刺殺事件は國松朝刊狙撃事件から約3週間後の95年4月23日夜に起きた。現場は東京・南青山の教団・東京総本部前。
現行犯逮捕された実行犯(徐裕行)は、暴力団幹部の指示によるものと自供したが、その幹部は全面否認。このため、犯行の背後関係はいまも明確となっていない。

私は裁判で拘留中だった頃から刑期を終えるまでの間、数回にわたって村井刺殺事件について、警視庁捜査一課の捜査員から任意の事情聴衆を受けています。
「村井の刺殺は麻原か上祐が指示したのではないか。とくに上祐の関与、我々はそれをいちばん疑っている。村井と上祐の関係が悪かったことも掴んでいる。君も知っていることを話してくれ」と。

 彼らが上祐の関与を疑った理由は2つあります。教団施設から押収した名簿と青山総本部地下1階ドアの鍵の問題です。

 強制捜査で押収したその名簿は、実は暴力団のリストだったのです。そこには犯行を指示したとされる幹部が所属する組の名前もあり、村井刺殺の前から教団とその暴力団は関係があったのではないか、というのです。
 そして鍵。事件当時、総本部前に到着した村井は、地下の出入り口から本部内に入ろうとしました。深夜に出入りする信者のため、ここだけは24時間開かれているからです。ところが、この日にかぎって、なぜかドアは施錠されていたのです。そのため村井は表玄関に回ろうと、地下の階段を上がって駆け上がったところで犯人(徐裕行)に刺されています。
 ここから2つの疑問点が浮上します。地下のドアを施錠したのは誰か、そして”この日に村井が総本部に来ることを知っていたのは誰か、の2点です。
 どちらも上祐ならば可能、と捜査員は見ています。私自身も同意見です。というのも、当時、総本部を拠点にして活動していた幹部に上祐の腹心中の腹心といわれた男がいました。上祐ならば彼に施錠指示も可能だったはずです。
 それに村井の行動を把握していたのも上祐。当時すでに「教祖代行」に就任した彼には会議などの招集権があり、村井を総本部に呼び戻すことも可能だったのですから。

 これが捜査員が上祐関与を疑った理由ですが、私は別の点からも「上祐=黒幕説」を信じています。というのもなにより慈雨有には犯行の動機があるからです。それは、村井と上祐が数年にわたってライバル関係にあったからです。



・村井の「しゃべりすぎ会見」で…

上祐は村井より入信、出家が先で、麻原の最側近でもありました。彼のホーリーネーム「マイトレーヤ」とは、釈迦の生まれ変わりを意味し、この名前を麻原からもらったということは、事実上の後継者指名を意味します。麻原自身、「修行に関しては、マイトレーヤについていけば間違いない。彼は非常に優秀だ」とつねづね信者たちに話していたものです。
 ところが、入信後メキメキ頭角を現したのが村井でした。教団が熊本県波野村に進出した90年5月頃、麻原が突然、
「お前を私の秘書にする」と村井を抜擢したのです。
「これからは科学でいく。科学者の頭脳がないとヴァジラヤーナの救済ができない」
 というのがその理由でした。そのためにも村井を必要としたのです。

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 90年2月総選挙惨敗によって政界進出の野望を断られた麻原は、この頃から武力による国家転覆を考え、教団の武装化を開始した。
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 その後、ふたりの仲違いを鮮明にさせる出来事が相次ぎました。
 たとえば、「上祐が若い女性サマナと性の破戒を起こした」という噂が広まり、麻原から叱責を受けたことがあります。これは麻原の3女・アーチャリーの密告によるものといわれたのですが、麻原に進言するようにアーチャリーを焚き付けたのは村井、という噂が流れました。

 さらに93年の上祐のモスクワ支部長への左遷。この裏にも村井の信玄があったと伝えられました。いくらその当時、麻原の信頼が厚くなっていたとはいえ、宗教的な後継者はあくまで上祐。村井には上祐を追い落とし、自分がその座につきたいという思いもあり、何らかの工作を行った可能性を追い落とし、自分がその座につきたいという思いもあり、何らかの工作を行った可能性も否定できません。そのせいか、村井と上祐の仲は嫌悪さを増し、幹部を集めた大師会議では口をきかないどころか、目も合わせないほどでした。
 
そうするうちに、麻原も上祐ではなく村井にこんなことをいったことがあります。
「私や教団に何かあったときには、別の宗教法人を装って教団を再興せよ」
 結果的に失敗しあものの、村井に休眠中の宗教法人買収を命じたのです。私には、今度は村井を後継者に指名したように思えました。

 実際、その当時は部下も予算も村井の思い通りでした。
村井の部下の数は予想通りにどんどん増強され、予算も使い放題。一方の上祐といえば、直属の部下は腹心ひとりだけという状態でした。

 ちなみにいま(2000年当時)も教団に残る幹部たちを分けると、野田成人、二ノ宮耕一、さらにコンピュータ部門を統括するHが村井派、村岡達子、杉浦茂・実兄弟、鎌田紳一郎が上祐派に分類できると思います。
つまり、教団の資金源であるコンピュータ部門の信者は上祐絶対というわけではなく、その意味で上祐もやりにくいはずです。

 それはともかく、ある時、村井優位の力関係が大逆転します。転機は95年3月22日の強制捜査。これで村井逮捕の可能性を心配した麻原は、「教祖代行」に上祐を正式に指名したのです。しかし、黙って引き下がる村井ではありません。自分も実行犯に加わった坂本弁護士一課殺害事件でも逮捕されなかっただけに、村井としてはその時も逃げ切れると踏んだのでしょう。上祐とともに記者会見に応じ、サリンを作った薬品類の存在も認め、「農薬用製造用」と強弁したのです。また「教団資産は1千億円」とも発言している。その記者会見でとくに印象に残ったのは、村井と並んで座った上祐の表情。実に苦々しげな顔をしていました。
「しゃべりすぎた」
と村井を睨んでいるようにも見えました。実際、私も同じように感じました。明らかにしゃべりすぎ。捜査当局に言質を与えかねない発言内容でした。上祐にしてみれば、このままでは村井によって教団が崩壊しかねないと、村井排除を考えたのではないか、と思うのです。
 とはいえ、これはあくまで私の推測であり、捜査員にも話していません。というより、話す気も起きなかったというのが本当のところです。


・警視庁の幹部にも「内通者」がいた

なぜなら、捜査当局の取り調べや事情聴取は実にいい加減なものなのです。私を逮捕した捜査員たちは、秘疑事実に関してしか聞かず、オウムの全体像をにらんだ取り調べではないのです。以前にも話した、7億円にのぼる教団資産の隠匿に私が関わっていたことにも気付かないままでした。

 國松朝刊狙撃事件や村井刺殺事件に関して事情聴取に来た捜査員も同じ。「何か知っていることはありませんか」と聞き、私が知らないといえば、それ以上は追求しません。あまりにも通り一遍の質問で、熱意も感じられませんでした。
 とはいえ、そんな警察の内部にオウムの協力者が複数いたのですから、無理もないという感じでした。
 國松狙撃事件では、当時現職警官だったK元巡査長が犯行を「自供」して大騒動になりました。が、警察情報の提供者は彼だけではありません。実は坂本弁護士事件の捜査をしていた神奈川県警の所轄にも情報提供者がいたし、ある外郭団体の役員を通じて警視庁の幹部からも捜査情報を入手していたのです。逮捕された教団幹部たちを徹底的に取り調べれば、その存在は明らかになるはずです。
 オウムによる犯罪を二度と繰り返させないためにも、いまからでも遅くありません。
これまで謎となっている事件の、徹底的な捜査の洗い直しを願うばかりです。



出典
http://i.imgur.com/Kz7yMNm.jpg
http://i.imgur.com/jFaVPUj.jpg





・過去の発言を検証した結果、上祐史浩は村井刺殺事件の証言を二転三転していたことが判明している。

①闇の勢力説(1995年・刺殺事件直後の会見)
「村井刺殺は麻原の予言に沿って起きた事件であり、事件の背後に闇の勢力がある節がある」



②オウム内部犯行説(2010年・フライデー)
「予言を実現させるためにオウム真理教が行った自作自演の可能性があると感じている」



③麻原・早川共謀説(2012年)
「警察関係者から『教団と暴力団が共謀して覚醒剤を流しており、隠蔽のため共犯者の村井を消した』という説を聞いているが、教団と裏社会の接点はないと思う。事件直前に早川紀代秀が村井を叱責しており、麻原と共謀して村井を消したのではないか」
(早川紀代秀は「村井事件を切っ掛けに、麻原の超能力を疑い始めた」と著書「私にとってオウムとは何だったのか」で主張)



④徐裕行単独説(2013年5月29日・Twitter)
「事件は単独犯。オウムをやっつけるという義憤によるもの。 背景にオウムも暴力団も関係していない」


・麻原彰晃は教団出版書「巨星逝く」で自分の超能力を誇示するため村井秀夫の死を利用している
参照
http://ameblo.jp/hideomurai/entry-12044165226.html


上祐史浩は村井刺殺に関与したのだろうか。犯行側の実像に近づくためには、上祐の素性に迫ることが真相解明の一つとなることは間違いない。