村井秀夫刺殺事件の真相を追って -23ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)



徐裕行に手を差し伸べた新右翼活動家、鈴木邦男。さらにその取り巻きとして蜷川正大、山平重樹、植垣康博らが現れた。彼らは何故平然と支援するのだろうか?
まずは鈴木邦男の人物像に迫る。


鈴木邦男


1943年8月2日、福島県郡山市で生まれた。
税務署勤務だった父親の都合で高校生の頃まで東北地方を転々とした。

17歳の時、浅沼稲次郎暗殺事件をテレビで見たことをきっかけに右翼思想に興味を持ち、春休みに大日本愛国党を訪ね、総裁の赤尾敏と対面する。1961年東北学院榴ヶ岡高等学校卒業。但し、卒業間際に聖書を読む時間中に読んでいた英単語帳を先生にストーブで燃やされたことに怒り、職員室に乗り込んでその先生を殴りその場で退学になる。その後半年間、教会に通って懺悔の生活を送り、翌年の9月、一人だけで卒業を迎えた。1967年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
学生時代は、生長の家学生会全国総連合(以下生学連)に所属し書記長として活動(母親の影響で小学生の頃より生長の家とはかかわっていた)。生学連もその結成に協力した民族派学生組織「全国学生自治体連絡協議会」(全国学協。後の全国学生協議会連合)の初代委員長を務めた。しかし、当時の書記長らとの対立が原因で短期間で組織を去っている。

1970年3月、早稲田大学大学院政治学専攻修士課程中退。学生仲間の森田必勝(元日学同活動家。楯の会に入会したため日学同を除名された)の誘いで教育学部に転部したが、左翼運動の退潮と共に自らの運動も敵を失い、大学を中退して仙台の実家に帰り、書店の店員を経て、同年4月、産業経済新聞社に入社。主に産経新聞の販売局や広告局に在籍し、一旦は政治活動から離れていたが、1970年11月の三島事件で森田が三島由紀夫と共に自決したことに衝撃を受け、1972年、犬塚博英や四宮正貴、阿部勉ら生学連や学協時代の仲間などを中心に「一水会」を創設し会長に就任。さらに1973年、防衛庁に乱入する事件を起こして逮捕され、懲戒解雇となる。



1981年12月22日、ソ連大使館への暴力行為の容疑で警視庁大崎署から家宅捜索を受けた際、捜査令状を破ったとして現行犯逮捕され、公文書毀棄と公務執行妨害の容疑で23日間の留置生活を送るが、嫌疑不十分で不起訴処分となる。この事件について鈴木自身は「令状の要点をメモしようとしたら警察官に令状をひったくられ、そのせいで破れた」、「独立義勇軍と一水会の関係を疑われたための別件逮捕」と主張している。

1999年には一水会代表を退任。代表在任中より河合塾現代文・小論文講師、日本ジャーナリスト専門学校講師等も務めた。河合塾では同じく現代文講師で左翼思想家の牧野剛と「左右討論」などの企画も行った。

構成員が自決をも辞さぬ態度を示した東アジア反日武装戦線に「戦前の血盟団のようだ。先を越された」と衝撃を受け、右翼系の『やまと新聞』に『〈狼〉たちと右翼武闘派』という連載を始める。それが左翼系の三一書房社長の目にとまり、『腹腹時計と<狼>-<狼>恐怖を利用する権力』として出版され、「右翼武闘派が新左翼を評価した」と注目された。また、「左右を弁別せざる」として竹中労、牧田吉明、塩見孝也ら左翼、アナキストとも交流し、たとえ反対陣営に対しても、学べること、共闘できることを模索した。

また、昭和60年前後には、現在は廃刊となった『朝日ジャーナル』に真面目な政治論文を度々執筆し、これに刺激されて多くの人々が一水会の運動へ参画した。この後次第に鈴木の文章は現在に近い形へと変化していく。

冷戦終結後は、「宿敵・左翼の崩壊を危惧する」、「左右の超越を訴える」など既成右翼とは違った主張を展開している。現在では、左翼組織と付き合い、左翼団体の賛同人まで務めているため、左翼思想に転向したと言われ「似非右翼」「右翼の皮を被った左翼」などの批判もある(一水会代表辞任の一因でもある)。

選択的夫婦別姓制度に関しては、「左右関係ない問題として議論するべき」と述べる。

人物
清美応援団の1人。応援団には菅伸子、崔洋一、辛淑玉、湯浅誠、石坂啓も参加している。左翼系マスコミの紙面に、主張が取り上げられる機会が多い。また、JR東日本の主流・最大労働組合JR東労組の松崎明とも親交があるなど左翼の友人が多い。2012年東京都知事選挙では「宇都宮けんじさんキックオフ集会」に参加するなど前日弁連会長の宇都宮健児を積極的に支援した(落選)。元社会党議員の上田哲等各党現職・元職議に人脈がある。

2010年に日本で公開された映画『ザ・コーヴ』の公式ホームページ上に「勇気のある映画だ。この映画を見て、イルカ漁のことを初めて知った。 日本人の多くが全く知らないのに、「日本の伝統・文化だ」と言われても困る。」との意見を寄せている。



2013年、「2013年反韓デモ」を厳しく批判。自身のブログでもデモ隊に抗議する勢力に混じって声を上げる姿が確認されている。3月14日に排外・人種侮蔑デモに抗議する国会集会に参加した際には「映像を見て非常に悲しくなりました。(彼らに掲げられている)日の丸の旗が可哀想だと思いました。日の丸は日本の優しさ、大和の国の寛容さを表すもの。それが排外主義的なものに使われている。日の丸が泣いていました。血の涙を流していました」と語った。


鈴木は外国人参政権支持者


鈴木邦男とテロ
赤報隊事件との関係を疑われ、当局から家宅捜索を受けた。直接関与は否定しながらも、真犯人の情報を握る旨を匂わせ、沈黙を守り続けている(事件に絡み、2002年3月、放火被害に遭った経験もある)。また、真犯人を庇っているとの指摘を元公安警察からされた際には、不敵にも「鋭い読み」と評している。
ペルー日本大使館占拠事件の際、大使館を占拠した犯人たちが、突入したペルー当局によって射殺された際、TBSのインタビューに答えてこれを「虐殺」と呼び、批判された。


鈴木邦男と北朝鮮

また既存の左派勢力でさえも北朝鮮支持を公言出来なくなったあとも金正日政権への支持を表明し、渡朝を繰り返し経済制裁に反対、北朝鮮拉致事件の被害者は北朝鮮に返すべき等と公言し強い批判を浴びた事もある。








又、鈴木は北朝鮮に渡ったよど号グループに好意的である事についても批判がある。




よど号事件とは
1970年3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件。



羽田空港発板付空港(現福岡空港)行きの日本航空351便(ボーイング727-89型機、愛称「よど号」)が赤軍派を名乗る9人によってハイジャックされた。犯人グループは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ亡命する意思を示し、同国に向かうよう要求した。よど号は福岡空港と韓国の金浦国際空港での2回の着陸を経た後、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着。犯人グループはそのまま亡命した。運航乗務員を除く乗員と乗客は福岡とソウルで順次解放されたものの、運輸政務次官山村新治郎が人質の身代わりに搭乗し、運航乗務員と共に北朝鮮まで同行した後に帰国した。

犯人グループのその後
北朝鮮に渡った実行犯らは、当初は「世界革命を進める同志」として北朝鮮から手厚い歓迎を受け、主体思想による徹底的な洗脳教育を受けたといわれている。さまざまな証言から日本人拉致事件への関与が確実視される者もおり、現在、実行犯らは警察庁により国際指名手配されている。

実行犯が関わったとされる拉致事件

石岡亨さん松木薫さん拉致事件
福留貴美子氏拉致疑惑




若林盛亮(よど号事件実行犯)、鈴木邦男、小西隆裕(よど号事件実行犯)


小西隆裕(よど号事件実行犯)と植垣康博(連合赤軍)


植垣と鈴木邦男、徐裕行


鈴木邦男と植垣、徐裕行。


鈴木邦男と植垣、徐裕行、山本重樹

よど号グループ(拉致実行犯)と写真撮影をする鈴木邦男。
拉致被害者の人生など棚に上げて、犯人たちと仲良しこよしという訳だ。
こんな男と親密なのが徐裕行なのだ。



徐裕行「北朝鮮による日本人拉致事件の責任は在日コリアンも負うべきだという持論から、拉致問題解決を求める署名を集め、朝鮮総連に持参することを目的として、このブログを立ち上げました。」

ブログで拉致問題署名活動を呼びかける徐裕行。


ここまで書いて来たが、
鈴木邦男がオウム事件直後から徐裕行の支援をしていたことはほとんど知られていない。

「北海道新聞95年4月24日」では、鈴木は次のコメントをしている。

組織的な背景はないと思う。愛国者を自任している人は、「いつかは国のために死ななければならない」と考えている。マスコミが、「オウム真理教は国家を否認する存在だ」「内乱罪を適用すべきだ」といった情報を流せば、「『国賊』をほおっておけない」と、そう思い込ませたマスコミの責任は重い。熊本の波野村や山梨の上九一色村にも、右翼団体が凱旋に来ていた。警備を十分にしていなかった警察の体制も甘い



更に東京スポーツ4月25日号でも以下のコメントをしている。



ジャーナリストで右翼思想かの鈴木邦男氏は、徐容疑者が入会しているという『神州士衛館』なる団体は「初耳」だとした。
徐容疑者の組織は、有名な右翼団体ではなく”潜在右翼”だと推測している。「右翼団体というのは、無数に存在している。その中にあって”潜在右翼”というのは、純粋に国を憂え国を考えているといったたぐいの人が”右翼だ”などと名乗っているのを指す。多分、徐容疑者の団体もごく小さなもので名刺に『神州ー』なんて書いてあるだけで、目立った活動はしていないと思う」と鈴木氏は指摘した。

オウム真理教の山梨上九一色村の施設などに、右翼団体が街宣車で現れるなどしていたが、鈴木氏は「いつかこのようなこと(刺殺事件)になるんじゃないかと、いやな予感はしていた」と言う。
「世の中は、ことオウムに関して完全に冷静な判断ができなくなっている。サリンをバラまいたのが、オウムとほぼ断定してテレビなど大マスコミが報道している中で、純粋に国を憂う人間が、国民に変わって”やってやる”と思い、こんなことをやってしまったのでは?徐容疑者はある意味でオウム=サリンとテレビにマインドコントロールされていたのでは。オウム、村井氏は非常にかわいそうだ」と鈴木氏は語っていた。


外国人なのに徐を「国を憂う人間」と言い張る鈴木。
「徐容疑者はテレビに洗脳された」といっていた主張も後年「テロリストというより始皇帝を暗殺しようとした「刺客」荊軻のような気がした」と手のひらをかえし英雄視までした。

鈴木は朝ナマAREA増刊号でも徐を庇っていた。
(ゴーマニズム宣言 第9巻 小林よしのり 双葉社 1996年3月発行より引用)








鈴木「徐は右翼だ単独犯だかわいそうに!!」
小林「ちがいます」

刺殺事件直後から単独犯説をゴリ押ししていた鈴木邦男。

鈴木は神州士衛館を潜在的右翼、小さな愛国集団であると主張しているが、三重県警の調べで事務所の所有者が無関係な企業だったことが判明し、羽根組が暴力団対策法の監視の目を逃れるためにつくったダミー団体だったことがわかっている。



さらに徐が裁判で「若頭の指示」と供述しており、小林よしのりからも批判を受けている。
この時点で鈴木の主張に正当性はない。
それでも鈴木は事件発生から十数年間、単独犯説をゴリ押しし続けた。

では鈴木が徐を援護する裏に何があるのだろうか?


サンデー毎日(95年8月13日号36項)に興味深い記事がある。



「ある暴力団を破門され、現在は羽根組と親しいA氏という人物が、上峯被告から『もしおれが捕まったらB氏のところに連絡してくれ』と告げられていたというのです。この事実は捜査当局の資料にも記載されています」

捜査関係者が名を挙げたB氏とは、ある右翼団体の代表を務める人物である。学生時代から右翼活動に身を投じ、「思想家を持って任ずる民族派の大物(関係者)」といわれている。


上峯憲司が、かつて所属していた九州雷鳴社の命名者は野村秋介だった。
鈴木は野村の弟子にあたる。更に、鈴木は学生時代から民族派活動に関わり、右翼団体の代表も務めている。



上峯の依頼先が鈴木と断定するのは極論だが、このB氏が思想的、経歴的、恩師が野村秋介であることから、「鈴木に非常に近い人物」であることも十分ありえる話である。

刺殺事件から十数年、再び現れた黒いライン。
鈴木邦男も、村井秀夫刺殺事件の深い事情を知っているのだろうか。
鈴木邦男現る



2011年8月7日、阿佐ヶ谷ロフト。民族派右翼を称する思想家・鈴木邦男のイベントが開かれた。不思議なことに、ゲストの中には徐裕行の姿もあった。

8月27日、徐と鈴木邦男は左派系雑誌「週刊金曜日」の取材を受ける。
2人はテーブルを挟むと、親しげな様子で語りはじめた。

その対談の様子を、鈴木は次のように語っている。


鈴木邦男のブログ「鈴木邦男をぶっとばせ!」

〈スクープ!謎に包まれたオウム真理教・村井秀夫氏刺殺事件から16年。
実行犯が初めて語った真相〉
が出ています。今、発売中の「週刊金曜日」(9月16日号)です。実行犯の徐裕行氏が初めて語ってくれました。聞き手は私です。

よく取材に応じてくれたと私自身が驚いています。『A3』(集英社)を書き、オウム問題をずっと追ってきた森達也監督は、「なんで鈴木なんだ」と悔しがってました。すみません。次は森さんにも紹介します。さらに詳しく聞いて下さい。

実は、徐裕行さんとは2年ほど前に知り合いましたが、事件のことは聞いちゃいけないんだろうな、と私の中に遠慮がありました。出所してからも、マスコミの取材には一切応じてないし、皆で話す時も、一切触れません。誰も聞きません。



初めて会ったのは、野村秋介さんの墓前祭です。野村さんを尊敬していて、獄中で本を読んだといいます。山平重樹氏(作家)の紹介で墓前祭に来ました。あっ!オウムの村井さんを刺殺した人か、と驚きました。12年の刑を終えて、出てきたばかりです。

いつも背筋はピンと伸び、毅然としています。それでいて、爽やかです。穏やかに話します。たたずまいが違う、と思いました。

獄中では12年間に2000冊の本を読破したといいます。水滸伝、三国志が好きで、吉村昭や司馬遼太郎も読んでます。「今度、読書の話でもしましょうよ」と言いました。でも、事件のことは聞いちゃいけないんだろうな、と思ってました。

事件について、少し触れてくれたのは、8月7日(日)の阿佐ヶ谷ロフトでした。私の「生誕100年祭」を聞きに来てくれたのです。佐川一政さん、金廣志さん、塩見孝也さん、筆坂秀世さん、若松孝二さん、飛松五男さん、北芝健さんなどが出てくれました。凄いメンバーです。

「面白い人たちが出ますから、聞きに来ませんか」と言ったのです。来てくれました。ゲストの皆にも紹介しました。皆、驚いてました。「ぜひ、徐さんにも話してもらったら」「私たちよりも凄い経歴を持ってる人だし」「もう、歴史ですよ。ぜひ話を聞きたい」とゲストの皆は言います。

でも、16年経っても一切、語ってない。言わないだろうし、聞いちゃいけないだろう。でも、獄中の2000冊の読書体験だけでも話してくれるかもしれない。恐る恐る徐さんに聞いたら、「いいですよ」。
それで、第2部で登壇してもらいました。事件についても、初めて語ってくれました。「いろいろありましたが、自分一人で決断し、やりました」「オウムについては皆、文句ばかり言ってるが誰も行動しない。自分がやるしかないと思いました。一つの問題提起です」と言いました。冷静に、理路整然と語ります。

こんなに話せる人だったのかと驚きました。じゃ、今度、ゆっくり話を聞かせてほしいと思いました。



②闇の勢力か。口封じか。北の謀略か?

阿佐ヶ谷ロフトに来ていた人々も驚いていました。事件当時は、「オウムの口封じで村井は殺された」「オウムが闇の勢力に大金を払って殺させた」「徐は鉄砲玉だ。背後に巨大な闇の勢力がいる」「バックに北朝鮮がいる。彼のアパートの大家は拉致犯の親類だ」「徐は仕事に失敗し、大きな借金を抱えていた」…と、マスコミは書き立てました。
「徐裕行」という個人はどこかに行ってしまい、「それを命じた闇の勢力」ばかりが論じられました。「命じられた」個人は全く主体性のない人間のようです。16年前の事件の時は、私もそんな印象を持ちました。

ところが、徐さんに会うと考えが全く変わりました。徐裕行という〈人間〉が主体になってやられた事件だと、ピンと分かりました。

いろんな事情はあったかもしれない。いろんな情報を聞いたのかもしれない。しかし、「闇の勢力」の命令でやれることではない。そんなことで動く人ではないと思いました。

山平重樹氏も言ってました。「僕もそう思います。徐さんに会うと皆、そう思います」。それだけ徐さんは存在感があるし、寡黙ながら、一つ一つの言葉に説得力があるんです。〈これは本当だ〉と思わせるものがあるんです。
あの事件にしても、偶然が重なって、実行されてます。青山さんや上祐さんの時は、やれなかった。村井さんの時だから、たまたま出来た。村井さんは下の地下室から入ろうとしたら、中からカギがかかっていて、上に出てきた。そこを刺した。これも偶然です。

しかし、「記者」は納得しない。中からわざとカギをかけて、上に行かせ、殺人に協力したのだ。謀略があった…とマスコミは書き立てます。又、刺され救急車で運ばれる時、村井さんは、「ユダに殺られた」とつぶやいた。つまり、「オウム内部に裏切り者がいて、その人間に殺られた」という意味です。
でも、本当に喋ったのかは疑問です。又、そんな危険性があったのなら、もっと気を付けていたでしょう。
しかし、「そんな偶然はあるか」とマスコミは煽り立て、記者も、「おかしい。裏がある」「大きな謀略だ」と思います。そして、「事件の真実」を知ろうとします。徐さんは犯行の前に、コンビニで女性と会っていた。秘密の指令を受けていたに違いない。そして、徐さんのアパートの大家は…と、マスコミは書き立てます。

「オウムは許せないと思い、青山、上祐、村井の誰でもいいから殺ろうと思った」と徐さんが言っても、「そんなはずはない。何時間も待ち伏せし、村井だけを狙っていたのだ」とマスコミや記者は言います。「その証拠に、青山、上祐が来ても全く襲う素振りも見せなかったではないか」…と。
「そうだ、そうだ」と思うでしょう。このHPを読んでる皆も思うでしょう。実は、ここが重要なところです。

③現場のマスコミは、「気付き」、「期待していた」



実は、〈決行〉前から徐さんの様子はテレビで映されていたのです。
オウムの本部前は取材陣でごった返していました。しかし、後ろの方に、アタッシュケースを持った怪しい人がいるとマスコミは皆、気付いていたのです。だから、何度も写真を撮ったし、テレビカメラも映していたんです。
そして、「上祐、青山の時は動きを見せない」と、言ったのです。「動きを見せない」徐さんのことを何時間も前からマークしていたのです。
これこそ、不思議ですし、「最大の謎」です。そして、「怪しい人がいる」と警察に通報する人もいなかったのです。
さらに、その現場には警察官は全くいませんでした。サリン事件の後でオウムに対する全国民の怒りが渦巻いていた時です。「何かする奴がいるかも」と考えて当然でしょう。しかし、警察官はいない。
だから、決行は出来た。全てが終わった後に、警察官が駆け付けてきて、「誰がやったんだ!」と聞きました。酷い話です。

「私がやりました」と、徐さんが名乗り出て、車に乗り込みます。マスコミは又、写真を撮るだけ。村井さん刺殺の時も、誰も止めない。初め腕を刺され、村井さんは腕を上げ、「あれっ、血が出ている」という顔をしています。それも、しっかり映像で撮られている。
そのあと徐さんは再度、体当たりして刺します。そんな一つ一つの動作、様子もテレビで流れました。ユーチューブでは今でもその映像が見れます。
実は、「週刊金曜日」で、インタビューの前に、その時の映像を徐さんに見てもらいました。実にリアルです。徐さんも、「初めて見ました」と言ってました。こんなにリアルに、克明に映像が撮られています。

皆、映像を撮ることに必死なんです。止めようとする人は誰もいませんでした。
昔、何かの事件の時、犯人に向かって止めようと、とっさにカメラを投げつけた記者がいました。高いカメラです。でも、人の命を救う方が大切だと思ったのです。
しかし、16年前はそんなことを考える人は一人もいませんでした。「そりゃ、怖いからだろう」と思うかもしれません。違います。皆、近くから撮っているんです。

それに、徐さんは凄いことを言ってます。

〈現場にいたマスコミは、「この男は何かやるぞ」と気づいていた〉
まさか、と思いました。しかし、当時の映像を見ると、納得します。何時間も前から、「怪しい男」がいる。カバンを持っている。時々、カバンを開けて、中のものを確かめている。この男は何かやる。何かやるために待っているんだ。そう気付き、そして〈期待〉していたのです。
あるいは、殺人までは予期しなかった。でも、ビラをまくとか、大声で抗議するとか、殴りかかるとか。そんなことはしてくれるかもしれない。その時は、「いい写真」を撮ろう。「いい映像」を撮ろう、と待ち構えていた。そういう状況だったようです。
徐さんの思い込みもあるでしょう。もし、当時、その場にいた記者がいたら、聞いてみたいです。

④決行直後、中学生に激励された!

ともかく、マスコミは皆、徐さんの存在に気付いていた。だから、「上祐、青山の時は動きを見せなかった」と、キチンと映像を撮ってるのです。
でも、3人は、どこから来て、どのスピードで入口に入るか分からない。それからカバンを開けて、ナイフを取り出して…と、間に合わない。距離も遠いし、上祐さん、青山さんの時は出来なかった。徐さんは言います。
「ただ、村井の場合は、かなり遠くから歩いてきたので、体勢とかポジションの準備をする余裕はありました」。

これは本当だ、と思いました。襲ったことのある人しか分かりません。この心境は。私は分かりました。だから、もし、不十分な体勢のまま、青山さん、上祐さんを襲っていたら、失敗したんじゃないかと思い、聞いてみました。徐さんは即答します。
「失敗したでしょうね」



さらに、凄い話をする。事が終わり、逮捕され、車に乗り込む時だ。中学生がトコトコと近寄ってきて、徐さんの背中をポンと叩いた。そして言った。「がんばって下さい!」。それも信じられない話だ。そんなとこに中学生がいたのか。殺人犯の背中をポンと叩いたのか。

「激励されて、嬉しかったですか?」と私もトンチンカンな質問をした。その時の両者の気持ちが全く推測出来なかったからだ。そんなことは全くなかった、と徐さんは言う。「ただ、違和感を感じました」と言う。

これは、「金曜日」にも書いてないが、徐さんはナイフは捨てたとはいえ、手も服も血だらけだ。その、血生臭い「犯人」に近寄って、ポンと背中を叩く。そして、「がんばって下さい」と言う。何を言ってんだ、こいつは、という気持ちなんだろう。激励されたという嬉しさはなかったという。現場では、そういうものなのか。
しかし、中学生は恐くなかったのか。それに、警察も何もしなかったのか。近寄って、声をかけたら、普通なら、「共犯じゃないのか」と即、逮捕される。少なくとも、「一緒に来てくれ、事情を聞かせてくれ」となる。しかし、そんなこともない。
さらに詳しく聞いた。「現場の警察とメディア」について、又、「謀略説について」「取り調べ」についても聞いている。ぜひ読んでほしい。

私が一番、感じたのは、次の点だ。なぜ警察官は全くいなかったのか。なぜマスコミは気付いていて、誰も止めなかったのか。警察に通報しなかったのか。これは警察の失態だ。責任問題だ。それに、8時間も現場にいて待機していた徐さんに気付きながら、ずっと映像を撮っていたマスコミだ。極論すれば、「共犯ではないか」と思った。


鈴木インタビューの問題

上記から筆者が感じたのは、まず鈴木の主張に客観性がないことである。

徐を持ち上げた発言が多いこと、
主観的な主張だけで、犯人の潔白を示す資料・証拠がないこと、
事件の真相については「事件の責任はマスコミにある」と話の矛先を変えていること
…に筆者は支離滅裂なものを感じた。

刺殺前に村井が向った地下室の扉について、鈴木は「これは偶然です」と言い切っているが、
その根拠は説明されていない。

確かに、事件前から取材側が徐裕行を撮影しており、徐が動揺して振り向く姿も記録されている。
だが、重要なのは徐の組織的背後である。鈴木はその点は触れず、マスコミに責任転嫁したまま話を進めている。

また事件の謎として、「オウムの口封じで村井は殺された」「オウムが闇の勢力に大金を払って殺させた」「徐は鉄砲玉だ。背後に巨大な闇の勢力がいる」「バックに北朝鮮がいる。彼のアパートの大家は拉致犯の親類だ」「徐は仕事に失敗し、大きな借金を抱えていた」…等と、問題点を挙げているが、それらに対する反論が明確にされておらず、感情論にまかせているだけなのだ。

この鈴木の感想は中立的なものなのか?それは断じてない。
人殺しを持ち上げている時点で異常行為なのだ。
鈴木がオウム被害者や村井の両親に配慮していないのも明らかである。

では鈴木邦男とは何者なのか?

次回は鈴木の実像に迫る。
波紋を呼ぶ「徐裕行のブログ」



オウム村井事件への反省のなき態度、背後関係の隠蔽を曝した徐裕行。
その中でも不自然だったのは、徐裕行の私生活だった。

そして2012年9月8日。ブログに異変が起きた。



とうとう船を買いました。

2012-09-08 08:20:58
テーマ:ブログ
このところ、船を探すことに集中していて何も手がつかずにいた。

船は車と違って、市場に出回っている数が圧倒的に少ないため、ぼくのような貧乏オーナーにとっては手が出せる予算の範囲内で自分の志向にあった船を探すのは極めて難しい。

まずはサイトを通じてめぼしい中古艇を探し、販売業者に連絡して装備や状態について細かく問い合わせた上で現地に赴き現物を細かく確認する。



実際にぼくは20を超える船を問い合わせし、8つの船を見に行き、その度に床板を引っぺがし、船底を見たり、エンジンやセイル、ロープ類の状態を確認したりしながら、さらに細かい質問をして買うかどうかを決める。

ぼくにとっては安い買い物ではないだけに、悩みも多い。



最終的に買うことに決めた船にしろ、消耗品の交換や装備の追加を考えると、少なく見積もってもさらに100万以上の金はかかりそうだ。
なにぶん予算が少ないだけに、自分ができることはすべて自分でやる。お金の話だけではない。海上で故障が発生したときに自分で処理ができなければ、命にかかわることになる。そのためにも、普段からなんでも自分でやるように心がけねければならない。



外洋に出るには、やっぱり33フィートくらいは必要だと思い、これに決めた。本当は35フィートはほしかったんだけどね。土曜日に金を払って正式に契約書を交わしてきた。



ヨットを乗り回す徐



徐裕行は勝浦を拠点に、手に入れたヨットで日本の海を駆け巡った。
徐裕行のあまりに不自然で贅沢な生活。中間所得層以上の暮らしぶりに閲覧者たちは動揺した。
徐は殺人と引き換えに膨大な金を手に入れたのでは…。村井秀夫刺殺事件に、新たな謎が生まれた。


徐裕行の借金の謎

徐裕行のの身辺を確認すると、他にも
元前科者とは思えない暮らしぶりが窺える。

・妻子持ち
・戸建住宅所有
・自家用車・原付きオートの保有
・韓国旅行・フィリピンなどの渡航歴
など、前科者としては考えられない暮らしぶりが窺える。
釈放から短期間に何があったのか。

徐裕行の不自然な生活

村井秀夫刺殺事件前の徐は2300万円の負債を抱えていた。
1992年10月、徐が経営していた催事企画会社「イベントダイヤル」が倒産。
資本提携していた経営者に対し、300万円未払いのまま行方をくらませた話もある。

世田谷区の貸家に身を寄せた時期に、羽根組関係者から韓国人ホステスとの偽装結婚を依頼され、そこで150万円程は稼いでいたとみられる。
仕事としては古紙回収業、宅配ヘルス業、闇金融の手伝い、山口組本部の駐車場警備を経験している。借金返済が切羽詰まった状況ではなかったせいか、友人とカラオケ店やスナック店で酒を飲む程度の余裕はあった。
羽根組員の妻G夫人の証言では徐は残務整理で広島に月1、2回向う状況だったという。

この状況から、徐は一部の企業に借金返済はしていたものの、踏み倒した会社もあったと考えられる。

刺殺事件直線に不審な女性とラブホテルで合流しから100万円を受け取ったとされるが、詳細不明のため考察から排除する。

次に獄中の刑務作業について触れる。
徐裕行は12年服役していたので50万円以上は稼いでいたと考えられる。
しかし、これでも2000万円返済するのは困難である。

2007年の出所後、徐は大型免許とけん引免許を取得し、トレーラーの運転をしていたようである。
もしここで大型トレーラーの運転手として就職していたならば、月収30万ほど稼げるようになる。
ただし、衆人環視のもと殺人を犯したこと、年齢が中年であることを考慮すると、就職活動は絶望的である。

しかし、2010年の時点で徐は結婚しており、妻を養える経済力を有していたことになる。
(徐の妻は、祖国では裕福な一族だったらしい。)
ブログを開設した2011年末まではアパート生活をしていたようだ。
2007年から結婚までの空白の3年間、徐は何をしていたのだろう。

ここで浮上するのが、徐裕行を支援する勢力である。
一橋文哉氏
の文献によれば、徐は指定暴力団弘道会にたどり着いたとされる。

徐裕行の私生活を観察すると、入れ墨を彫った者や在日朝鮮人など、堅気に見えない取り巻きが登場する。

さらに、徐が社会復帰後「徐裕行君を励ます会」を企画した人物は民族派活動家である。
この人物は2013年10月に71歳で死亡しており、「22、3年前からのおつきあいだった」ことから、
上峯憲司とは同年代にあたる。

となると、徐裕行が裕福な生活を手に入れたのも新右翼・暴力団の援助があったため、と結論づけることができる。


暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律

第三十条の五  公安委員会は、指定暴力団員が次の各号のいずれかに該当する暴力行為を敢行し、刑に処せられた場合において、当該指定暴力団員の所属する指定暴力団等の他の指定暴力団員が、当該暴力行為の敢行を賞揚し、又は慰労する目的で、当該指定暴力団員に対し金品等の供与をするおそれがあると認めるときは、当該他の指定暴力団員又は当該指定暴力団員に対し、期間を定めて、当該金品等の供与をしてはならず、又はこれを受けてはならない旨を命ずることができる。ただし、当該命令の期間の終期は、当該刑の執行を終わり、又は執行を受けることがなくなった日から五年を経過する日を超えてはならない。

徐が出所したのは2007年1月、ヨットを買ったのは2012年9月頃
あっ・・・(察し)


オウム逃亡犯逮捕



2011年12月31日。東京都霞が関の警視庁正門前に、背の高い男が出頭して来た。
男は立番をしていた機動隊員にこう告げた。

男「特別手配されている平田信です。出頭してきました」
機動隊員は悪質ないたずらだと判断し、いい加減な対処をした。
機動隊員「近くに丸の内署や交番があるから、そこに行くように」

男は仕方なく、皇居の堀に沿いながら650m離れた丸の内署まで移動。
指紋などで確認を受け、翌年1月1日に逮捕された。

門払いした機動隊員は不手際を指摘され、ひっそり退職した。



逮捕された平田信の髪は長く伸び、髭だらけに変貌していた。


更に2012年6月3日、「菊地直子に似ている女性を見かけた」との目撃情報が警視庁に寄せられた。
警視庁捜査一課が担当刑事を潜伏先と思われる相模原に派遣し、張り込みを行った。



潜伏先の住宅に女性が帰宅したのを確認して任意同行を求めようとした所、女性は菊地に似ていなかった。しかし、平田のように逃がしてしまうのも問題である。念入りに照合作業を行った結果、女性が菊地本人であることが判明。”走る爆弾娘”は殺人及び殺人未遂容疑で逮捕された。
愛人で同居していた高橋寛人も犯人蔵匿罪で逮捕された。



菊地逮捕が報じられた6月4日、最後のオウム信者、高橋克也は逃亡を再開した。
警察が高橋が暮らしていた川崎市の社員寮に踏み込んだのは3時間近く経過した後だった。

最後のオウム逃亡犯高橋克也。警視庁は高橋の新たな顔写真・似顔絵を公開し、
生放送のテレビ番組に情報提供を呼びかけた他、懸賞金について報じるなど大規模な捜査を行った。この期間、関東県内の駅前に警官が待機する光景が見られた。

市民から情報が寄せられ、逃亡から11日後の6月15日、潜伏していた東京都大田区西蒲田の漫画喫茶『コミックガーデン』で店員の通報を受け、ついに逮捕された。



高橋の顔もサリン事件当時とは異なる風貌になっていた。


この騒動から、メディアは再びオウム事件を報道するようになり、麻原彰晃や上祐がテレビに流れるようになった。


ちょうどその頃、ブログもアクセス数が急上昇しているのを見た徐裕行はある計画を思いついた。
この流れに乗じてマスコミを利用してやろう。




徐裕行は新たな動きに出る。
その背後に新右翼活動家、鈴木邦男、蜷川正大、後藤忠政組長らの姿があった。