出所④:民族派・鈴木邦男現る | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

鈴木邦男現る



2011年8月7日、阿佐ヶ谷ロフト。民族派右翼を称する思想家・鈴木邦男のイベントが開かれた。不思議なことに、ゲストの中には徐裕行の姿もあった。

8月27日、徐と鈴木邦男は左派系雑誌「週刊金曜日」の取材を受ける。
2人はテーブルを挟むと、親しげな様子で語りはじめた。

その対談の様子を、鈴木は次のように語っている。


鈴木邦男のブログ「鈴木邦男をぶっとばせ!」

〈スクープ!謎に包まれたオウム真理教・村井秀夫氏刺殺事件から16年。
実行犯が初めて語った真相〉
が出ています。今、発売中の「週刊金曜日」(9月16日号)です。実行犯の徐裕行氏が初めて語ってくれました。聞き手は私です。

よく取材に応じてくれたと私自身が驚いています。『A3』(集英社)を書き、オウム問題をずっと追ってきた森達也監督は、「なんで鈴木なんだ」と悔しがってました。すみません。次は森さんにも紹介します。さらに詳しく聞いて下さい。

実は、徐裕行さんとは2年ほど前に知り合いましたが、事件のことは聞いちゃいけないんだろうな、と私の中に遠慮がありました。出所してからも、マスコミの取材には一切応じてないし、皆で話す時も、一切触れません。誰も聞きません。



初めて会ったのは、野村秋介さんの墓前祭です。野村さんを尊敬していて、獄中で本を読んだといいます。山平重樹氏(作家)の紹介で墓前祭に来ました。あっ!オウムの村井さんを刺殺した人か、と驚きました。12年の刑を終えて、出てきたばかりです。

いつも背筋はピンと伸び、毅然としています。それでいて、爽やかです。穏やかに話します。たたずまいが違う、と思いました。

獄中では12年間に2000冊の本を読破したといいます。水滸伝、三国志が好きで、吉村昭や司馬遼太郎も読んでます。「今度、読書の話でもしましょうよ」と言いました。でも、事件のことは聞いちゃいけないんだろうな、と思ってました。

事件について、少し触れてくれたのは、8月7日(日)の阿佐ヶ谷ロフトでした。私の「生誕100年祭」を聞きに来てくれたのです。佐川一政さん、金廣志さん、塩見孝也さん、筆坂秀世さん、若松孝二さん、飛松五男さん、北芝健さんなどが出てくれました。凄いメンバーです。

「面白い人たちが出ますから、聞きに来ませんか」と言ったのです。来てくれました。ゲストの皆にも紹介しました。皆、驚いてました。「ぜひ、徐さんにも話してもらったら」「私たちよりも凄い経歴を持ってる人だし」「もう、歴史ですよ。ぜひ話を聞きたい」とゲストの皆は言います。

でも、16年経っても一切、語ってない。言わないだろうし、聞いちゃいけないだろう。でも、獄中の2000冊の読書体験だけでも話してくれるかもしれない。恐る恐る徐さんに聞いたら、「いいですよ」。
それで、第2部で登壇してもらいました。事件についても、初めて語ってくれました。「いろいろありましたが、自分一人で決断し、やりました」「オウムについては皆、文句ばかり言ってるが誰も行動しない。自分がやるしかないと思いました。一つの問題提起です」と言いました。冷静に、理路整然と語ります。

こんなに話せる人だったのかと驚きました。じゃ、今度、ゆっくり話を聞かせてほしいと思いました。



②闇の勢力か。口封じか。北の謀略か?

阿佐ヶ谷ロフトに来ていた人々も驚いていました。事件当時は、「オウムの口封じで村井は殺された」「オウムが闇の勢力に大金を払って殺させた」「徐は鉄砲玉だ。背後に巨大な闇の勢力がいる」「バックに北朝鮮がいる。彼のアパートの大家は拉致犯の親類だ」「徐は仕事に失敗し、大きな借金を抱えていた」…と、マスコミは書き立てました。
「徐裕行」という個人はどこかに行ってしまい、「それを命じた闇の勢力」ばかりが論じられました。「命じられた」個人は全く主体性のない人間のようです。16年前の事件の時は、私もそんな印象を持ちました。

ところが、徐さんに会うと考えが全く変わりました。徐裕行という〈人間〉が主体になってやられた事件だと、ピンと分かりました。

いろんな事情はあったかもしれない。いろんな情報を聞いたのかもしれない。しかし、「闇の勢力」の命令でやれることではない。そんなことで動く人ではないと思いました。

山平重樹氏も言ってました。「僕もそう思います。徐さんに会うと皆、そう思います」。それだけ徐さんは存在感があるし、寡黙ながら、一つ一つの言葉に説得力があるんです。〈これは本当だ〉と思わせるものがあるんです。
あの事件にしても、偶然が重なって、実行されてます。青山さんや上祐さんの時は、やれなかった。村井さんの時だから、たまたま出来た。村井さんは下の地下室から入ろうとしたら、中からカギがかかっていて、上に出てきた。そこを刺した。これも偶然です。

しかし、「記者」は納得しない。中からわざとカギをかけて、上に行かせ、殺人に協力したのだ。謀略があった…とマスコミは書き立てます。又、刺され救急車で運ばれる時、村井さんは、「ユダに殺られた」とつぶやいた。つまり、「オウム内部に裏切り者がいて、その人間に殺られた」という意味です。
でも、本当に喋ったのかは疑問です。又、そんな危険性があったのなら、もっと気を付けていたでしょう。
しかし、「そんな偶然はあるか」とマスコミは煽り立て、記者も、「おかしい。裏がある」「大きな謀略だ」と思います。そして、「事件の真実」を知ろうとします。徐さんは犯行の前に、コンビニで女性と会っていた。秘密の指令を受けていたに違いない。そして、徐さんのアパートの大家は…と、マスコミは書き立てます。

「オウムは許せないと思い、青山、上祐、村井の誰でもいいから殺ろうと思った」と徐さんが言っても、「そんなはずはない。何時間も待ち伏せし、村井だけを狙っていたのだ」とマスコミや記者は言います。「その証拠に、青山、上祐が来ても全く襲う素振りも見せなかったではないか」…と。
「そうだ、そうだ」と思うでしょう。このHPを読んでる皆も思うでしょう。実は、ここが重要なところです。

③現場のマスコミは、「気付き」、「期待していた」



実は、〈決行〉前から徐さんの様子はテレビで映されていたのです。
オウムの本部前は取材陣でごった返していました。しかし、後ろの方に、アタッシュケースを持った怪しい人がいるとマスコミは皆、気付いていたのです。だから、何度も写真を撮ったし、テレビカメラも映していたんです。
そして、「上祐、青山の時は動きを見せない」と、言ったのです。「動きを見せない」徐さんのことを何時間も前からマークしていたのです。
これこそ、不思議ですし、「最大の謎」です。そして、「怪しい人がいる」と警察に通報する人もいなかったのです。
さらに、その現場には警察官は全くいませんでした。サリン事件の後でオウムに対する全国民の怒りが渦巻いていた時です。「何かする奴がいるかも」と考えて当然でしょう。しかし、警察官はいない。
だから、決行は出来た。全てが終わった後に、警察官が駆け付けてきて、「誰がやったんだ!」と聞きました。酷い話です。

「私がやりました」と、徐さんが名乗り出て、車に乗り込みます。マスコミは又、写真を撮るだけ。村井さん刺殺の時も、誰も止めない。初め腕を刺され、村井さんは腕を上げ、「あれっ、血が出ている」という顔をしています。それも、しっかり映像で撮られている。
そのあと徐さんは再度、体当たりして刺します。そんな一つ一つの動作、様子もテレビで流れました。ユーチューブでは今でもその映像が見れます。
実は、「週刊金曜日」で、インタビューの前に、その時の映像を徐さんに見てもらいました。実にリアルです。徐さんも、「初めて見ました」と言ってました。こんなにリアルに、克明に映像が撮られています。

皆、映像を撮ることに必死なんです。止めようとする人は誰もいませんでした。
昔、何かの事件の時、犯人に向かって止めようと、とっさにカメラを投げつけた記者がいました。高いカメラです。でも、人の命を救う方が大切だと思ったのです。
しかし、16年前はそんなことを考える人は一人もいませんでした。「そりゃ、怖いからだろう」と思うかもしれません。違います。皆、近くから撮っているんです。

それに、徐さんは凄いことを言ってます。

〈現場にいたマスコミは、「この男は何かやるぞ」と気づいていた〉
まさか、と思いました。しかし、当時の映像を見ると、納得します。何時間も前から、「怪しい男」がいる。カバンを持っている。時々、カバンを開けて、中のものを確かめている。この男は何かやる。何かやるために待っているんだ。そう気付き、そして〈期待〉していたのです。
あるいは、殺人までは予期しなかった。でも、ビラをまくとか、大声で抗議するとか、殴りかかるとか。そんなことはしてくれるかもしれない。その時は、「いい写真」を撮ろう。「いい映像」を撮ろう、と待ち構えていた。そういう状況だったようです。
徐さんの思い込みもあるでしょう。もし、当時、その場にいた記者がいたら、聞いてみたいです。

④決行直後、中学生に激励された!

ともかく、マスコミは皆、徐さんの存在に気付いていた。だから、「上祐、青山の時は動きを見せなかった」と、キチンと映像を撮ってるのです。
でも、3人は、どこから来て、どのスピードで入口に入るか分からない。それからカバンを開けて、ナイフを取り出して…と、間に合わない。距離も遠いし、上祐さん、青山さんの時は出来なかった。徐さんは言います。
「ただ、村井の場合は、かなり遠くから歩いてきたので、体勢とかポジションの準備をする余裕はありました」。

これは本当だ、と思いました。襲ったことのある人しか分かりません。この心境は。私は分かりました。だから、もし、不十分な体勢のまま、青山さん、上祐さんを襲っていたら、失敗したんじゃないかと思い、聞いてみました。徐さんは即答します。
「失敗したでしょうね」



さらに、凄い話をする。事が終わり、逮捕され、車に乗り込む時だ。中学生がトコトコと近寄ってきて、徐さんの背中をポンと叩いた。そして言った。「がんばって下さい!」。それも信じられない話だ。そんなとこに中学生がいたのか。殺人犯の背中をポンと叩いたのか。

「激励されて、嬉しかったですか?」と私もトンチンカンな質問をした。その時の両者の気持ちが全く推測出来なかったからだ。そんなことは全くなかった、と徐さんは言う。「ただ、違和感を感じました」と言う。

これは、「金曜日」にも書いてないが、徐さんはナイフは捨てたとはいえ、手も服も血だらけだ。その、血生臭い「犯人」に近寄って、ポンと背中を叩く。そして、「がんばって下さい」と言う。何を言ってんだ、こいつは、という気持ちなんだろう。激励されたという嬉しさはなかったという。現場では、そういうものなのか。
しかし、中学生は恐くなかったのか。それに、警察も何もしなかったのか。近寄って、声をかけたら、普通なら、「共犯じゃないのか」と即、逮捕される。少なくとも、「一緒に来てくれ、事情を聞かせてくれ」となる。しかし、そんなこともない。
さらに詳しく聞いた。「現場の警察とメディア」について、又、「謀略説について」「取り調べ」についても聞いている。ぜひ読んでほしい。

私が一番、感じたのは、次の点だ。なぜ警察官は全くいなかったのか。なぜマスコミは気付いていて、誰も止めなかったのか。警察に通報しなかったのか。これは警察の失態だ。責任問題だ。それに、8時間も現場にいて待機していた徐さんに気付きながら、ずっと映像を撮っていたマスコミだ。極論すれば、「共犯ではないか」と思った。


鈴木インタビューの問題

上記から筆者が感じたのは、まず鈴木の主張に客観性がないことである。

徐を持ち上げた発言が多いこと、
主観的な主張だけで、犯人の潔白を示す資料・証拠がないこと、
事件の真相については「事件の責任はマスコミにある」と話の矛先を変えていること
…に筆者は支離滅裂なものを感じた。

刺殺前に村井が向った地下室の扉について、鈴木は「これは偶然です」と言い切っているが、
その根拠は説明されていない。

確かに、事件前から取材側が徐裕行を撮影しており、徐が動揺して振り向く姿も記録されている。
だが、重要なのは徐の組織的背後である。鈴木はその点は触れず、マスコミに責任転嫁したまま話を進めている。

また事件の謎として、「オウムの口封じで村井は殺された」「オウムが闇の勢力に大金を払って殺させた」「徐は鉄砲玉だ。背後に巨大な闇の勢力がいる」「バックに北朝鮮がいる。彼のアパートの大家は拉致犯の親類だ」「徐は仕事に失敗し、大きな借金を抱えていた」…等と、問題点を挙げているが、それらに対する反論が明確にされておらず、感情論にまかせているだけなのだ。

この鈴木の感想は中立的なものなのか?それは断じてない。
人殺しを持ち上げている時点で異常行為なのだ。
鈴木がオウム被害者や村井の両親に配慮していないのも明らかである。

では鈴木邦男とは何者なのか?

次回は鈴木の実像に迫る。