史上初!村井秀夫刺殺事件再現映像!カメラマン・鷲尾倫夫の活躍 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

1番政治家に嫌われたスクープカメラマン宮嶋茂樹だけが知っている、魂震えた報道スクープ写真とは!!戦後最大の事件が闇に葬られる瞬間を撮った1枚とは!?

 

2017年4月12日、TBSは番組『1番だけが知っている』の中で、村井秀夫刺殺事件の写真を撮影したカメラマン、鷲尾倫夫氏の活躍を放送した。

 

鷲尾倫夫(1995年当時、54歳)。

1941年東京都生まれ。60年愛知県国立高浜海員学校修了。60年東洋海運 (現・新栄船舶)に入社し、72年同社退職。73年日本写真学園研究科卒業。81年から「FOCUS」(新潮社)編集部専属カメラマンとして20年間在籍。83年日本写真学園主任講師になる。報道写真家として活躍する一方で写真展(個展)も主催しており、72年「東アフリカ・マガディン村の人々」「そのままで、君たちは」(以上新宿ニコンサロン)、76年「日々一生」、77年「寿町えれじぃ」、80年「冠婚葬祭」(以上銀座ニコンサロン)、81年「顔・エトセトラ」、(銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロン)、84年「ヨボセヨ」、86年「ヨボセヨⅡ」、89年「原色の町 ソウル84-88年」、91年「1977年-13年-1991年 エトセトラ」、94年「顔・エトセトラⅡ」など多くの作品を発表していた。

 

 

1995年4月23日朝10:00。

衝撃のスクープ写真撮影まで10時間35分。

南青山オウム真理教総本部前には、200人にも及ぶ報道陣が集まっていた。彼らの狙いは教団のNo.2、村井秀夫。

 

(レストラン前で微笑む村井)

 

この一月前に起きた地下鉄サリン事件に加え、麻原の行方も不明となっており、マスコミは連日、この真相を知るとされる村井を追い続けていた。

 

その報道陣の中に居たのは「FOCUS」専属カメラマン、鷲尾倫夫。

 

当時、週刊文春にいた宮嶋茂樹(当時34)とはライバル紙でありながら、度々現場で居合わせる20歳年上の先輩。

 

そして彼こそが、宮嶋の魂を震わす写真を撮った男であった。

 

 

宮嶋「現場では強い人ですね。あの、必ず何かを持っている人でしたんで。色んな伝説のある方…ですし」

 

「当時は『FOCUS』に名前を載せなかったんですけど、すぐ誰が撮ったか分かりましたんで、『あぁ、あれは鷲尾だから撮れたんだ』ってみんな納得しました」

 

鷲尾氏はこれまでメディアからの取材を一切受け付けず、スクープ写真に自身の名前すら載せなかった。

 

(ネットでは顔を公表しているのにテレビには顔を出さない鷲尾氏)

 

だが今回、「宮嶋が言うのであれば」と「顔を出さない」を条件に、はじめて当時について語った。

 

 

鷲尾「僕がね、10時ぐらいに(現場へ)入ったんじゃないかな。それで、全体を見てて、マスコミの人間をね、『よくここまで夢中になれる』、凄く冷めた目でね、意地悪な目で見てたんですよ。」

 

メディア「きたぞ、上祐だ!」

「上祐さんすみません!取材を!」「取材させて下さい!」「一言でいいんです上祐さん!」

 

 

当時、教団関係者だけでスクープになった時代。報道陣が相手を構わず一斉に押し掛け撮影を行っていたが、鷲尾だけは一歩引いて現場を見つめていた。

 

 

鷲尾「同じもの撮ってもしょうがない。そんなこと絶対写真が撮れないと思ってたから」

 

人と同じ写真は絶対撮らない。それは、彼の経歴が関係していた。実は、FOCU編集長からスカウトされる以前、個展を開ける程の芸術写真家として活動していた。

 

スクープカメラマンとしてのスタートが遅かったため、こんな想いがあった。

 

 

「コンプレックスからきているのかもしれないね、遅れて出てきたっていうね。あれ撮ってこいと言ってきたら、絶対その通りには撮りたくなかった」

 

(野獣の眼光)

 

芸術家として自分にしか撮れない写真を撮る。

信念を持っていた鷲尾は、この日も、人とは違った目線の写真を撮れないかと、周囲を見渡していた。そんな時、鷲尾の目に飛び込んできたのは、一人の男が醸し出す、違和感だった。

 

(史上初!徐裕行を演じる役者)

 

鷲尾「一人おかしい男が、まぁ、自分にはそういう風に映ったんですよ。それでずーっとマークしていたんですよ。」

 

(残念ながらヒョウ柄のセーターとジーンズは再現していない。)

 

 

 

スタッフ「周りの人達もおかしいなっていうのは…」

 

鷲尾「いや、全然分かってなかったんじゃない?僕はずっと人間を撮っていたでしょ。人間にすごく興味があるんですよ」

 

(顔は似ているが、髪型はパーマではなく短髪。出所後のイメージを再現しているのだろうか。)

 

写真家時代、下町で暮らす人々の表情を撮り続けていた鷲尾。

「心」を写真に写しだす。そんなカメラマンだからこそ撮れた違和感があった。

 

 

歴史的スクープ写真撮影まで3時間35分。しかし、夕方になってもターゲットの村井は現れる気配すらない。

およそ3時間後に、歴史的大事件が起きるとも知らずに。

 

(中央の青い帽子の役者が上峯にそっくりである。再現しないのが勿体ない。)

 

集まった報道陣の中には帰る者すら現れはじめた。この日、現場に居た宮嶋もまさにその一人。

 

宮嶋「『様子見』とか言って結構サボることってあるでしょ。

サボったりというか交代したりしてたんですよ、そういう時でしたね」

 

そして、鷲尾の元にも。

ポケベル「ピーピーピー」

 

FOCUS編集長「どうだ。鷲尾。何か撮れたか」

 

鷲尾「いえ、まだ何も」

 

FOCUS編集長「どちらにしろ、8時になったら記事の差し替えは無理だ。お前はもう上がれ」

 

鷲尾「ああ…」

 

その週に発売されるFOCUSの締め切りまでもう時間がない。現場に動きも無かったため、編集長から帰宅命令が出た。この時、事件まで43分。

 

鷲尾「じゃあ、適当に上がります」

 

上がるとは言ったものの、どうしても気がかりだったのは、あの青年に感じた、言葉にできない違和感。そこで鷲尾は独断で現場に残る事に。

 

(史実と異なる黄色い服。違和感ありまくりです)

 

この直感こそが歴史的写真を生み出すのだった。

 

午後8時33分。

 

衝撃のスクープ写真撮影まで2分。報道陣が諦めかけていた。

 

「オイ!村井だ!来たぞ!」

「村井さーん」

 

 

この日、一度も姿を現さなかった村井が突然、教団本部に現れたのである。

 

 

「村井さーん」

村井の顔を撮ろうと一斉に駆け寄る報道陣。

「地下鉄サリン事件についてどう思います?」

 

それに対し、鷲尾は

 

 

鷲尾「(ビルへ)入る所に花壇があったんですよ。花壇の上に乗って上から撮ったんですよ」

 

 

人とは違う写真を撮る。鷲尾が目をつけたのはマンション入り口付近にあった花壇。

 

 

報道陣に囲まれている村井を収めようと、花壇の上に乗って撮影を始めた。

 

すると、目に飛び込んできたのは…

 

村井に近寄ろうとするあの青年の姿!

 

 

衝撃のスクープ写真撮影まで10秒、『何かが起こる』と瞬時に確信した鷲尾は青年の姿を見失わないようファインダーをのぞくのを止め、青年と村井の位置を直接目で確認しながらシャッターを切りはじめた。

 

(注:番組では徐が村井の横側から接近しているが、実際は正面から村井に接近している。)

 

 

すると、次の瞬間!

 

(史実より短いサイズの包丁)

 

カラン…

 

その時の実際の映像。

 

村井「ちょっと待って、早く入らないといけない」

信者「止めて下さい、お願いします」

信者「何やってんだこのヤローーーー!!!」

男「危ない」

女性「何が起こってるんでしょう」

信者「あっ、刃物持ってる!」

信者「刃物持ってる!!」

 

 

(左上赤丸の人物が鷲尾氏。右にいるモザイク男が徐裕行)

 

(徐裕行の公開殺戮に表情を歪ませるゲストたち。)

 

近くに居た報道陣さえ分からない一瞬の出来事。

だが、画面左横の鷲尾はその場で事件を予測し「歴史的1枚」を撮影していたのである。

 

その写真を目にした宮嶋は…

 

(「FOCUS」1995年5月3日号を眺める宮嶋氏)

 

宮嶋「あの、悔しかったですね。なんで自分みたいに初期からやってるカメラマンが……撮れなくて…鷲尾さんなんだ」

 

「その事件性も含めて、やっぱりメガトン級でしょうね。このショックはもう。ええ…」

 

宮嶋茂樹が一番魂が震えた報道スクープ写真とは!?

 

テレビ放送時

 

掲載時

 

出演者一同「うわぁ…」「ええええええ…」

 

5月3日号のFOCUSに載った、鷲尾の撮ったスクープ写真。

 

出演者「すごい、あれ、あれ包丁で…」

 

 

0コンマ数秒で刺されるとも知らず、全く気付いていない村井の表情。その命を奪おうとする包丁。そして男に気付き必死に止めようとする周囲の人間。

 

(徐の顔を覆うモザイク。猥褻物と同等の扱いである)

 

まさに、戦後最大の重大事件が闇に葬られるその瞬間が鮮明に切り取られていた。

 

人間を撮り続けたカメラマンの直感と冷静な判断力。

 

 

鷲尾はこの写真で一年で最も大きなスクープに送られる第2回雑誌ジャーナリズム賞を受賞した。しかし…

 

鷲尾「あれの授賞式には行っていない。あんまりにも自分の勘の当たった怖さ、こういうものを撮るもんじゃないなと思った」

 

歴史的な写真を撮った事よりも人の死を前にシャッターを切り続けたことに嫌悪感を感じたことに嫌悪感を抱いたという。

 

一方事件が起きる前に帰ってしまった宮嶋は…

 

 

宮嶋「どうせなら誰も撮らないでくれって祈りましたね。その時の私は」

 

「翌朝の週刊誌を見て、やっぱり、本当に、ああって、やっぱり、撮ってる人は撮っているんだって。」「なぜそこに自分が立ちえなかったのかって。なぜそこに鷲尾倫夫がそこにいたのか。なぜ鷲尾倫夫だけが撮れたのか。えー、そんなことを考えると悔しさで…。あれ以降、何度か目が覚めましたね」

 

オウム事件以降、最大の事件を撮れなかった後悔。その悔しさから、一年後に撮影したのが週刊文春96年4月25日号の東京拘置所に収監された麻原の姿。日本中に衝撃を与えたこのスクープ写真。宮嶋執念の一枚だった。

 

 

奇しくも鷲尾が受賞したジャーナリズム賞に選出。

鷲尾の写真に魂が震えたこそ生まれた一枚だった。

 

宮嶋「まさにその、歴史が動かすような、そういう一瞬。その瞬間にも立ち会えた、羨望ですよね。あとは自分がそこにいなかった悔しさ。双方が相乗効果で魂を震わせてくれましたね。

できることなら、他のカメラマンにも魂を震えさせたいですね」

 

 

村井秀夫刺殺事件の裏で繰り広げられた熱い執念。

不肖宮嶋が魂が震えた瞬間だった。

 

(宮嶋は後年徐裕行と面会しており、「たかじんのそこまで言って委員会」では徐を「頑な男」と評している。)

 

筆者の私見

 

今回初めて、村井秀夫刺殺事件の再現映像が放送された。

これまでに山路氏が村井事件に遭遇する再現映像も制作されているが、刺殺の瞬間を再現した映像、徐裕行を演じる役者が登場したのはこれが初である。

 

徐裕行に似た顔の役者を採用したのは評価できるが、残念ながら服装や犯行現場まで再現するには至らなかった。

 

番組も刺殺事件の全貌には触れられず、カメラマン達の裏話に限定しているだけであった。事件の真相に切り込むにもほど遠い内容であった。テレビが村井刺殺を明らかにする日はくるのだろうか。今後、30年、40年経っても変わらないのではないか。

ジャーナリズムの限界を実感させる内容であった。

 

 

 

 

追記

鷲尾はその後、「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 激写!スクープ戦争〜写真週刊誌・タブーに挑んだ人々〜(2017年9月5日)」に顔出しで登場した。