・田原総一郎、村井事件に疑問
徐裕行、鈴木邦男、上祐史浩が共同出版した悪書、「終わらないオウム」。
この本のあとがきは、田原総一郎の寄稿で締めくくられている。
田原総一郎。オウム事件当時、麻原彰晃、村井秀夫、上祐史浩と討論を交えたジャーナリストである。
2013年6月14日、「田原総一朗オフレコ」が放送された。
この対談で田原は十数年ぶりに上祐と対談を交えた。上祐はオウム事件当時の主張に誤りがあったことを認め、この場を借りて田原に謝意を表明した。
田原は「終わらないオウム」に寄稿はしていたものの、著者の一人である徐裕行の主張については疑問を感じていた。そこで、上祐に村井事件について話を伺った。(田原は徐裕行とは面会していない。)
(9:52から村井事件)
田原「えー、ところでね、さっき、その吉田さんが紹介された本ね」
吉田「『終わらないオウム』、ハイ」
田原「あの…えー、エヘン、村井さんを殺した、徐さんと、フー、それから、上祐さん、えー徐さんは、フー、本当は、上祐さんを殺したかったと言ったと、それと、あの鈴木邦男さんが、司会の形で、ほう、なんでこういう本を…出そうと、フー、こういうもんに出ようと思ったんですか?」
上祐「んー、何度か誘われたんですけど、で、あのー…徐さんが、あのー…殺したことは悪いと思っていると、そのー、複雑な心境だかっていうのが伝わってきて、では会ってみようかなぁと。…自分の動機としてやっぱり、あの本人から直接、うー、聞いたら、何か真相がつかめるんじゃないか、っていうことですね。それでお会いしました」
田原「真相はつかめましたか?」
上祐「うーん、私は徐さんが言っていることは、あの、本当かなと、思いました」
田原「ホントかな??!」(驚いた様子で)
上祐「ホントかなっていうのは何を彼が言っているかというと」
田原「何故村井を殺したのかと」
上祐「うーん、それは要するに自分が殺したかったから」
田原「なんで殺したかったの?」
上祐「あー、まァ、オウム、ぅー、に対する”怒り”っていうんですか」
田原「何を?怒りなんですか??」
上祐「え、まぁ、多くの人を殺したってことだと思いまがすねぇ。…で」
田原「なんで、あれだけ多くの人を殺すとね、徐さんが、村井を殺さなきゃいけないんだろう」
上祐「そこが」
田原「僕はここが理由がわからなかった。そこは」
上祐「まぁ、そこは、本人のぉ…まぁ悪との戦いみたいなもの、ではないかと」
田原「彼にとって悪なんかあるのかな?」
上祐「どーでしょう…あのぉ、私は彼と会ったときに、あの、一面で私自身、私自身と似てるかなぁと」
田原「ウン、ウン」
上祐「つまりあのユダヤ、フリーメイソンなどという、巨悪を設定し、被害妄想とは思いますが、そして悪と戦うために、まぁ家族との縁を切って、えー犯行に及んでしまうと、彼も私に会ったときに、村井っていうか、殺す前に、ですね、あの、家族との縁を切るつもりで、行ったと言っていて、いました」
田原「だからね」
上祐「そこらへんが性格が似ているかなと」
田原「だけど…ハッキリいって、麻原彰晃を殺すのは分かるけど、村井なんか殺したってしょうがないじゃん」
上祐「まぁ、あー、それは人それぞれですから」
田原「あのい」
上祐「話したときは、勿論、あの、あれで問題が解決した訳でもないですし、えーまぁ、司法の裁きにゆだねなければならないんですが、そういった意味ではオウムのやっていることと彼のやっていることは、その稚拙さにおいて似ていて、まぁ類は友を呼ぶって感覚があったので、言っていることは本当なのかなぁと」
田原「なるほど」
上祐「稚拙なものが巡り会ったと」
田原「なるほど」
上祐「そういうものを感じました」
ここで上祐は徐裕行の本質に触れる話題を避けようと、論点をずらしながら進めている。しかし、上祐の発言は十分説明しきれたのではなく、田原から何度かつっこまれている。
田原も上祐の反応を見て何かを察したのか、それ以上の追求は止めている。
このインタビューから、既に田原は、徐の犯行動機が義憤によるものではないと感じていたようだ。
・ズバリ!上祐史浩に直撃!辛抱治郎 ズームそこまで言うか! 『オウム真理教とは何だったのか?』
2015年2月21日、辛抱治郎氏は上祐史浩に再会し、ラジオ番組で対談を行った。話は早くも村井事件に移った。
上祐「4月23日でしたかね、村井が刺殺された後に、麻原がその…サリン事件は教団が、悪いことをやったと」
辛抱「ほー(棒読み)」
上祐「村井の刺殺は社会が悪いことをやったというような表現の中で」
辛抱「村井の刺殺は、あの…麻原彰晃主犯説ではない?」
上祐「彼はそう云ってたと。」
辛抱「うーん…」
辛抱「これに関しては実行犯が捕まってますけど、実行犯の背景に何があるかは、あるのかどうかも含めて未だに解明されてない所があります。あれは単純にあの男の犯行だと、信じてますか?」
上祐「私、あの徐 裕行という人物に直接会いました」
辛抱「ええ」
上祐「で、その前に鈴木邦男さんが、あの会ってみたらどうかっていうことで」
辛抱「ハイ、一水会」
上祐「お会いしたんですけど、ハイ。あのー」
辛抱「どこで」上祐「はい?」辛抱「出所してきてから?」
上祐「ええ出所してから。まあ2年ぐらい前ですから。まだ2年ぐらい前です会ったのは。その時の印象ではやっぱり彼自身がにかられてやった、ということと」辛抱「ウンー…」
上祐「あとまぁ、鈴木さんとかの話では警察が色々調べたけど、その報酬として大金が徐にわたったという事実を警察は、発見してないと、いうことだって云ってたんで、まぁ私は今の段階では彼がそういう風にオウムを巨悪としてやったんだろうなぁ、というふうに感じてはいます」
辛抱「…なるほど」
ここで突然インタビューは一旦打ち切りとなり、別コーナーへ切り替えられた。
注目したいのは、上祐の回答が2013年に行われた鈴木、田原との対談と比べ若干変化していることである。
これまで上祐は、村井刺殺の犯行動機について徐の主張を肯定しており、義憤によって引き起こされたものと語っていた。
しかし2015年の辛抱氏との対談の中で上祐は「今の段階では」と予防線を張っているのだ。
もっとも、現在の上祐史浩は「前科者」というより「オウム事件の証人」としてメディアから持ち上げられることが多い。当時の派手なパフォーマンスや巧みな弁舌も手伝って、オウムの中では麻原と1、2を競う程の知名度もあり、今でもマスコミからは人気があるようだ。
筆者は上祐史浩がどこまでオウム犯罪に関与していたかまでは断言はできない。しかし、これまでの発言、失言、矛盾点などから上祐が未だ公に出来ない秘密があると感じている。
今のメディアは上祐の口車に乗せられるあまり、オウム事件の真相を見失ってしまったようにみえる。メディアは上祐史浩にインタビューする前に、彼がどんな人物なのか、調べ直してから取材し、事件の真相を探るべきではないかと思う。