徐裕行はオウム信者だった??? | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

徐裕行はオウム信者だった???

徐裕行とオウム真理教を結ぶとされる怪情報は、過去に幾つか報じられている。

1.刺殺事件直前、徐裕行が眼鏡をかけた30代の女性信者とコンビニで会話をしていたのを、コンビニ店の従業員が目撃していたこと。(逮捕された女性信者は道案内をしていただけだと供述。徐の証言も一致していたため追求できなかった。)

2.襲撃中、一部のオウム信者が村井の通路を阻み、警護の信者につかみかかるような動作をしていたこと。(複数の映像、写真で確認できるが、証拠不十分のためか、司法は徐の単独犯と判断。)



3.徐裕行が経営していたイベント会社が、オウムからの受注で衆議院選挙で使われる麻原のマスクを制作していたこと(ただし、矢嶋慎一氏が会社関係者に取材をしたところ、虚報だったことが判明。「宝島30・1996年1月号」)

4.榊原みのり会病院乗っ取り事件に、オウムに似た宗教団体と暴力団がかかわっていたこと、暴力団の一員に徐裕行らしき人物がいたこと。


そして事件直後、東京スポーツ・取材班、山本泰生氏のもとに奇妙な情報が入ってきた。

教団の元信者を名乗る複数の人物が「刺殺犯はしばしばオウムに出入りしていた」と証言してきたというのだ。

それに続いて元信者を名乗る別の人物から「こいつ、たしかにオウムの周りをうろうろしていた。とことん調べてほしい」と、数枚の写真が載った一冊の教団関係誌を持ち込んできた。

写真には麻原と島田裕巳氏が壇上で語り合う様子が写されている。
元信者によると、1991年11月頃、千葉県内の大学で行われた「麻原尊師講演会」のスナップだという。記録を調べたところ、撮影場所は気象大学(千葉県柏市旭町)だと考えられる。

この対談を聞き入る会場の人々の中に、徐裕行に酷似した男性が映し出されていた。



http://i.imgur.com/04U3Pbv.jpg

この写真に注目した東京スポーツは、1995年4月29日の紙面に掲載した。
写真の男性と徐裕行を比較して「目つき、まゆ、耳、口もとなどすべてそっくり」であると主張。


(写真の男性)


(同じ角度から撮影された徐裕行)


情報提供者によれば世田谷道場などを訪れヨガの体験をして「新しい自分に目覚めた」などと投書をしたこともあった、と報道した。

オウム世田谷道場は、世田谷線松原駅から徒歩2分。
徐が暮らしていたのは世田谷区上祖師谷3丁目1–15。
歩いて通うには遠いが、バスならすぐに通える距離である。
しかし、徐裕行がオウムの集会や教団施設に通っていたという情報は、東京スポーツの報道を除けば皆無であり、捜査当局がこの写真を検証した情報もない。


よってこの報道の信憑性は低いと筆者は判断しているが、当時の報道の混乱を伝えるため、あえてブログに掲載した。

ともあれ、写真の男が徐裕行なのか、偽物なのかは、閲覧者個人にゆだねたいと思う。


中年右翼徐裕行

情報収集の際注意しなければならないのは、新聞社の論調や情報の出自、証言者が実在の人物であるか、照会できる記録なのか、信憑性を掘り下げることである。

その作業の中で筆者はある間抜けな報道を見つけた。

画像は茨城新聞(95年4月24日)の社会面に掲載されていたものなのだが、見出しに書かれている徐裕行の年齢が29歳と正確なのに対し、文章に書かれている年齢が40歳ぐらいと記入されており、更に中年男性と紹介されていた。徐は人々からはフケ顔だと思われたようだ。