このブログは、「正しいピラティス」を伝えるためのものではありません。
私が20年以上ピラティスを学び、指導する中で見えてきたこと、感じてきたことを、一人の指導者として綴っています。
身体に絶対の正解はありません。だからこそ、問い続け、学び続けることを大切にしています。
「学ぶ」ということ。ピラティスを学び続けて思うこと
「学ぶ」とは、いったいどういうことなのでしょう。
最近、ピラティスを教えたり、養成コースやワークショップをしたりする中で、改めて考えることがあります。
たとえば、外国語を学ぶことを考えてみます。
ネイティブの人は、子どもの頃から周りの言葉を聞き、それを真似し、間違えながら、膨大な時間をかけて言葉を身につけていきます。
でも、大人になって第二言語として外国語を学ぶ場合、同じことをもう一度、赤ちゃんからやり直すことはできません。
だから私たちは、文字を学び、単語を覚え、文法を理解し、「言葉がどのようにできているのか」という体系から学びます。
最初は少し堅苦しい、教科書的な言葉かもしれません。
でも、そこに実際の会話や経験が積み重なることで、少しずつ自然な言葉になっていく。
私は、ピラティスを学ぶことも、どこか似ていると思っています。
まず「基準」を持つ
ピラティスも、本来なら何年も何十年も身体を動かし、
たくさんの人を見て、
失敗しながら経験を積めば、少しずつ理解できるのかもしれません。
でも、なるべく合理的に学ぼうとするなら、まず必要なのは、先人たちが分析し、整理し、体系立ててきたものを学ぶことだと思います。
だから最初は、どこかのスクールでいい。
一つの体系をきちんと学び、
「私はまず、これを基準にする」
というものを持つ。
そして、その基準を曖昧にしたまま次々と新しい知識を足していくのではなく、
まずは徹底的に身につけてみる。
私はそれがとても大切だと思っています。
基準ができたら、そこから実践が始まります。
実際に自分の身体でピラティスをする。
お客様を指導する。
うまくいかなかったことを考える。
もう一度学ぶ。
別の考え方にも触れてみる。
そうやって経験を重ねていくうちに、最初に習った「ピラティス」が少しずつ変わって見えてくるのではないでしょうか。
基礎を捨てるのではありません。
基礎があるからこそ、そこから離れて考えられるようになる。
それが、学びが深くなっていくということなのだと思います。
そして、「何のために学ぶのか」
もう一つ、とても大切だと思うことがあります。
それは、
「私は何のためにピラティスを学んでいるのか?」
ということです。
もっとピラティスそのものを知りたいのか。
自分自身の身体を変えたいのか。
お客様に、より良いものを伝えたいのか。
ピラティスを仕事にしたいのか。
スタジオを経営したいのか。
ピラティスを通して何かを成し遂げたいのか。
あるいは、ピラティスを通して自分自身を表現したいのか。
ここは、人によって違っていて当然です。
ピラティスが大好きな人。
教えることが好きな人。
研究することが好きな人。
有名になりたい人。
経営者として成功したい人。
仕事として大きなことを成し遂げたい人。
いろいろな人がいます。
目的が違えば、同じピラティスを見ても、考えることは違います。
だから、ときには意見が合わないこともあるでしょう。
でも、それでいいのだと思います。
むしろ、それだけいろいろな人を受け入れることができるのが、ピラティスなのかもしれません。
ピラティスは、いろいろな人の中で育ってきた
Joseph Pilates自身、ドイツに生まれ、その後アメリカへ渡り、ニューヨークで活動しました。
彼のメソッドが広がっていく過程には、ダンサーやパフォーマーをはじめ、さまざまな背景を持つ人たちがいました。
そして、その後ピラティスを受け継ぎ、教え、広げていった人たちの中には、多くの女性もいました。
今よりも、女性が自分の専門性を持ち、仕事を築いていくことが簡単ではなかった時代です。
そう考えると、ピラティスは単なる「身体のエクササイズ」としてだけではなく、
さまざまな背景を持つ人たちが、それぞれの人生や身体を通して受け継いできたものでもあるのだと思います。
人と違うことが、違う意味を持つようになった
私自身、日本で暮らし、日本語を母語として生きていますが、
「外国人」という立場でもあります。
日本語しか話せないことに疑問を持ったり、引け目を感じたりしたこともありました。
「私は何者なんだろう」
そんなことを考える環境にいたからなのか、子どもの頃から
人と違うということをどこかでいつも意識していたように思います。
でも、ピラティスを始め、長く学び続けてきて、その感覚が少し変わりました。
人と違うこと。
一つの場所だけに完全に属さないこと。
複数の考え方の間に立つこと。
以前は、それを弱さのように感じることもありました。
けれど今は、むしろそれが、私がピラティスを見るうえでの一つの強みになっているような気がします。
一つの考えだけを「正しい」とするのではなく、
「こちらから見ると、どうなんだろう」
「別の考え方では、どうなんだろう」
そして最後には、
「目の前のお客様にとっては、何が一番いいのだろう」
と考える。
私が長くピラティスを学んできて、たどり着きつつあるのは、そんなところです。
学び続けるということ
学ぶことは、正解をたくさん集めることではないのかもしれません。
まず、一つの基準をきちんと学ぶ。
それを身体で経験する。
人に伝える。
うまくいかなければ考える。
また学ぶ。
違う考えにも触れる。
そして、もう一度自分の基準に戻ってくる。
その繰り返しによって、最初は誰かから教えてもらった知識だったものが、少しずつ「自分のピラティス」になっていく。
だから私は、今でも学び続けています。
学べば学ぶほど、知らないことが増えていきます。
でも、それでいい。
もしかすると学ぶということは、
「正解を手に入れること」ではなく、
自分が何を大切にするのかを、少しずつ明確にしていくことなのかもしれません。
そして、その答えは、きっとこれからも変わっていくのだと思います。
それもまた、学び続けるということなのでしょう。
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身体に絶対の正解はありません。
今日の内容も、現場で学び続ける私自身の一つの視点です。
「ピラティスは、するものではなく、生きるもの。」
「ピラティスは、動きを学ぶことではない。身体との対話を育てることである。」



