このブログは、「正しいピラティス」を伝えるためのものではありません。

私が20年以上ピラティスを学び、指導する中で見えてきたこと、感じてきたことを、一人の指導者として綴っています。

身体に絶対の正解はありません。だからこそ、問い続け、学び続けることを大切にしています。

Gratzの「Why Classical Pilates?」を読んで考えたこと

― クラシカルか、コンテンポラリーかではなく、私たちは何を学び続けるのか ―

先日、Gratz Pilatesのブログ「Why Classical Pilates?」を読みました。

https://www.gratzpilates.com/blogs/pilates-resources/why-classical-pilates-reflections-after-a-year-of-listening?utm_source=chatgpt.com

 

クラシカルピラティスの魅力を、「マスタリー(熟達)」「マインド・ボディ・コネクション」「教師と生徒の関係性」という3つの視点から語った、とても印象的な記事でした。

クラシカルピラティスに携わる人であれば、多くの方が共感される内容だったと思います。

私はこの記事を読みながら、「クラシカルピラティスとは何か」を改めて考えると同時に、「私自身はなぜ今クラシカルを学んでいるのだろう」と振り返る時間にもなりました。

そして出た答えは、意外にもシンプルでした。

私は、「クラシカルが正しいから」学んでいるのではありません。

学び続けてきた結果、自然とクラシカルへたどり着いた。

そんな感覚なのです。


私はコンテンポラリーから多くを学んできました

私がピラティスを学び始めた頃は、現在のように「クラシカル」「コンテンポラリー」という言葉がここまで強く語られる時代ではありませんでした。

解剖学を学び、運動学を学び、姿勢を分析し、痛みや機能改善を考えながら、一人ひとりの身体に合わせてエクササイズを選択する。

現代の身体に合わせてピラティスを発展させていく、その考え方は私にとって非常に魅力的でした。

そして現在でも、その価値はまったく変わらないと思っています。

現代人の身体は100年前とは違います。

長時間のデスクワーク、スマートフォン、ストレス、運動不足。

そうした背景を理解し、評価し、その人に合わせてプログラムを組み立てる力は、現代のインストラクターには欠かせない能力です。

だから私は今でもコンテンポラリーから学び続けています。


Jillian Hesselから学んだ「ピラティスの本質」

その一方で、私は長年Jillian Hesselから学び続けています。

Jillianのレッスンは、「エクササイズを教えるレッスン」ではありません。

呼吸とは何か。

センターとは何か。

アライメントとは何か。

身体をどう感じるのか。

なぜその動きを選択するのか。

 

その一つひとつを、何年もかけて深めていくレッスンです。

同じエクササイズを何度も行います。

しかし、毎回見える景色が違う。

それは知識が増えたからではありません。

身体の理解が少しずつ変わっていくからです。

私はそこで、「ピラティスはエクササイズではなく、身体を教育するメソッドなのだ」ということを学びました。


そして、自然とクラシカルへ

その学びを続ける中で、私はギロチンを学ぶために、Jillianに紹介されて、Risaと出会い、

クラシカルピラティスを本格的に学び始めました。

 

不思議なことに、「クラシカルをやろう」と決めたわけではありません。

 

もっと知りたい。

もっと深く理解したい。

もっとジョセフ・ピラティスが残したシステムを知りたい。

 

その気持ちが、自然と私をクラシカルへ導いてくれました。

だから私にとってクラシカルは、「選択肢」ではありません。

学び続けた先に広がっていた世界でした。

 

 


クラシカルが教えてくれた「システム」という考え方

Gratzの記事でも触れられていましたが、クラシカルピラティスには完成されたシステムがあります。

マット。

リフォーマー。

キャデラック。

チェア。

ラダーバレル。

それぞれが独立した器具ではありません。

一つのシステムとして設計されています。

一つのエクササイズが次のエクササイズにつながり、一つの器具で学んだことが別の器具でさらに深まる。

そして、最終的には身体全体の統合へ向かっていく。

これは単なるエクササイズの集合ではありません。

身体教育のプログラムです。

だから私は、クラシカルを学ぶようになってから、器具を見る目が変わりました。

「何をするか」ではなく、

「なぜここでこの器具を使うのか。」

「この順番にどんな意味があるのか。」

そう考えるようになりました。


私が感じる、コンテンポラリーとクラシカルの違い

私は、この二つを対立するものだとは思っていません。

ただ、重心の置き方には違いがあるように感じています。

コンテンポラリーは、評価し、分析し、その人に合わせて調整していくことを得意としています。

私は「調整するピラティス」という表現がしっくりきます。

一方、クラシカルは、決められたシステムの中で身体を磨き、積み重ねながら能力を高めていく。

こちらは「鍛錬するピラティス」という印象です。

もちろん、これは単純な区別ではありません。

クラシカルにも評価はあります。

コンテンポラリーにもトレーニングはあります。

だから優劣ではなく、「どこに軸足を置くか」の違いなのだと思います。


本当に受け継ぐべきもの

Gratzの記事の中で、私が最も共感したのは、「教師はジョセフ・ピラティスから未来への橋渡しをする存在」という言葉でした。

しかし私は、受け継ぐべきものはエクササイズだけではないと思っています。

順番だけでもありません。

器具でもありません。

受け継ぐべきなのは、「なぜそうするのか」を問い続ける姿勢です。

なぜこの順番なのか。

なぜこのキューイングなのか。

なぜこのクライアントには、このエクササイズなのか。

そして、その問いに答えるために、自分自身も学び続けること。

資格を取得して終わりではなく、身体を磨き、感覚を磨き、観察力を磨き続けること。

それがインストラクターとして最も大切な姿勢ではないでしょうか。


私がインストラクターの皆さんに伝えたいこと

「クラシカルを学ぶべきですか?」

そんな質問を受けることがあります。

 

私の答えは、「まずはピラティスを好きになって練習を重ね、全てにおいてどうして?と考えてください」です。

 

最初からクラシカルか、コンテンポラリーかを選ぶ必要はありません。

 

まずは身体を知ること。

動くことの楽しさを知ること。

クライアントの変化に感動すること。

 

その積み重ねの中で、「もっと知りたい」と思ったとき、クラシカルという世界に触れてみてください。

きっとジョセフ・ピラティスが残したシステムの奥深さに驚くと思います。

そして、コンテンポラリーを学んできた経験があるからこそ、その価値をより深く理解できるはずです。

私自身がそうでした。

だから私は、これからもコンテンポラリーから学び、クラシカルからも学び続けます。

どちらか一方を選ぶためではありません。

目の前のクライアントにとって、本当に必要な指導とは何かを考え続けるためです。

それこそが、ジョセフ・ピラティスが残したContrologyの精神であり、インストラクターとして歩み続ける私自身の学びの姿勢でもあります。

 

 

身体に絶対の正解はありません。

今日の内容も、現場で学び続ける私自身の一つの視点です。

「ピラティスは、するものではなく、生きるもの。」

 

 

「ピラティスは、動きを学ぶことではない。身体との対話を育てることである。」