このブログは、「正しいピラティス」を伝えるためのものではありません。
私が20年以上ピラティスを学び、指導する中で見えてきたこと、感じてきたことを、一人の指導者として綴っています。
身体に絶対の正解はありません。だからこそ、問い続け、学び続けることを大切にしています。
最近、インストラクターの方から
「クラシカルとコンテンポラリー、どちらを学べばいいですか?」
という質問を受けることがあります。
私は、この問いに対して「どちらでもいい」と答えています。
もちろん、投げやりな意味ではありません。
クラシカルにはクラシカルの哲学があり、コンテンポラリーにはコンテンポラリーの理論があります。
どちらも長所があり、どちらも多くの人の身体を変えてきました。
重要なのは流派ではありません。
何を根拠として、そのエクササイズを選択しているのか。
ここだと私は考えています。
エクササイズは目的ではなく手段
レッスンを見ていると、
「今日はHundredをします。」
「今日はElephantをします。」
というように、エクササイズが目的になってしまうことがあります。
しかし、本来のピラティスは違います。
例えば
胸郭の可動性を改善したい。
股関節伸展を獲得したい。
肩甲帯の安定性を高めたい。
呼吸パターンを変えたい。
その目的があって、その目的を達成するための手段としてエクササイズがあります。
つまり、
評価→仮説→エクササイズ選択→再評価
この流れがなければ、プログラミングとは言えません。
深く学ぶとは、エクササイズの意味を知ること
エクササイズを100個知っていても、
「なぜ、この人に今これを選んだのか。」
を説明できなければ、深く理解しているとは言えません。
逆に、20個しか知らなくても、
目的
禁忌
代償動作
修正方法
回帰・発展
呼吸
プリンシプル
まで説明できるのであれば、そのエクササイズは自分のものになっています。
私は、この状態を「深く学ぶ」と考えています。
私がクラシカルを学び続ける理由
私がクラシカルを学び続ける理由は、
「クラシカルが正しいから」
ではありません。
クラシカルには、
一つ一つのエクササイズに
順番
流れ
目的
身体への負荷
が論理的に組み立てられています。
私はその設計思想を理解したかったのです。
ジョセフ・ピラティスがなぜその順番にしたのか。
なぜその器具を作ったのか。
なぜ同じ動きを器具を変えて繰り返すのか。
そこまで理解したかった。
だから学び続けています。
ラーメン屋さんに例えるなら
私はよくラーメン屋さんに例えます。
ラーメンの元祖の店が美味しいかというとそうでもなかったり、あくまでもその人の主観のおいしさでそして、好きなラーメンがあるのです。
そして、美味しいと思うラーメンに惚れ込むと、
「この味を覚えてみたい。作ってみたい。」
最初から好きな材料を入れても、本来の味にはなりません。
そのために、弟子入りなりして、その味に向かって習っていきます。
ただ、帰って真似て見るのではなく、本当にその味が出したいのであれば、そこに入って一緒に作って見るしかないのです。
そこには、きっと理由がある。
そして理由を理解する。
そこまでできて初めて、自分の味が生まれる。
私はピラティスも同じだと思っています。
指導者は技術より「思考」が問われる
インストラクターは、
エクササイズを教える仕事ではありません。
身体を観察し、
問題を分析し、
仮説を立て、
プログラムを組み、
反応を見て修正する。
その繰り返しです。
つまり、
教えているのではなく、常に考えている。
この思考こそが、指導力だと思っています。
深く学ぶということ
情報は簡単に手に入る時代です。
SNSを見れば、新しいエクササイズが毎日のように流れてきます。
でも、本当に必要なのは新しい知識ではありません。
一つの知識を、どこまで深く理解できるか。
私は、その積み重ねが指導者の軸をつくると考えています。
だから今でも一人の師のもとで学び続けています。
エクササイズではなく、考え方を学ぶためです。
そして、その考え方を自分の身体で検証し、お客様の身体で検証し、また学ぶ。
その繰り返しが、私にとっての「ピラティスを深める」ということです。
身体に絶対の正解はありません。
今日の内容も、現場で学び続ける私自身の一つの視点です。
「ピラティスは、するものではなく、生きるもの。」
「ピラティスは、動きを学ぶことではない。身体との対話を育てることである。」


