ピラティスインストラクターとして活動を始めると、最初はどうしても
「エクササイズを正しく教えなければ」
という意識が強くなります。
もちろん、それは大切なことです。
解剖学を学び、キューイングを覚え、エクササイズの順番を理解する。
最初の数年は、それだけでも本当に大変です。
ですが、ある時から、多くの指導者が壁にぶつかります。
「勉強しているのに、身体がどうなっているのかよくわからない」
「なぜこの人は変わらないのか分からない」
「何を優先して修正すればいいのか迷う」
それは、“エクササイズ”を見ていて、“身体”を見れていないからかもしれません。
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身体は「正解」に当てはめられない
経験を積めば積むほど感じるのは、
身体には個体差がある、ということです。
同じ猫背に見えても、
* 呼吸の問題なのか
* 股関節の制限なのか
* 足部支持の問題なのか
* 神経的な緊張なのか
* 過去の運動歴なのか
* 心理的防御なのか
背景はまったく違います。
つまり、「この姿勢だからこのエクササイズ」という単純な話ではないのです。
だからこそ、本当に身体を見るためには、
“今の自分の判断を疑える力”
が必要になります。
経験が浅いうちは、どうしても
「習った評価法」
「テキストの答え」
に当てはめたくなります。
ですが、身体は教科書通りには動きません。
むしろ、教科書通りにいかないものを、どう読み解くか。
そこに指導者としての本質があります。
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なぜ素晴らしいピラティスティーチャーは「観察力」が圧倒的なのか
アメリカで40年、50年と指導を続けている先生方を見ると、共通して感じることがあります。
それは、“観察力”の深さです。
ただ形を見ているのではありません。
* 呼吸の入り方
* 目線
* 動き出しのタイミング
* 重心移動
* 力みの癖
* 動作前の準備
* 動きの質感
* リズム
* 無意識の代償・・・などなど
いや、もっとあるのかもしれません。・・・
言葉に出せないいろんなことがあるのだと感じます。
そういった「微細な変化」を見ているんだと思います。
しかも、それを瞬間的に統合して判断しています。
これは単なる知識量ではありません。
長年、身体を見続け、失敗し、修正し、観察し続けた積み重ねです。
つまり、“観察”とは技術なのです。きっと先生方はピラティスをどれだけやってきたのだろうかという
私には想像もつかない経験があるのではないかなと思うんです
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「見る力」は、自分の身体理解と比例する
もう一つ、とても大事なことがあります。
それは、
自分の身体の中で理解できていない動きは、他人の身体でも見えにくい
ということです。
例えば、
* 背骨を分節的に動かす感覚
* 股関節で支える感覚
* 多裂筋の安定
* 呼吸による腹圧変化
* 足裏支持の変化
これらを自分自身が“感覚として経験”していないと、表面的なフォームしか見えなくなります。
ピラティスは、外側の形だけを整えるものではありません。
むしろ、
「目に見えない身体の奥をどう使うか」
が本質です。
だからこそ、指導者自身が、自分の身体を通して深く学び続ける必要があります。
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「虫の目」と「鳥の目」
身体を見る時、私はいつも
“虫の目”と“鳥の目”
の両方が必要だと感じています。
### 虫の目
細部を見る力。
* 肋骨の動き
* 骨盤の微細な傾き
* 指先の緊張
* 足趾の使い方
* 呼吸の左右差
細かい部分への観察です。
### 鳥の目
全体を見る力。
* その人の人生背景
* 動きのパターン
* 性格傾向
* 習慣
* 全身の連動
* 疲労状態
* 心理状態
つまり、「木を見るだけでなく、森を見る」ということです。
細部ばかり見ていると、全体を見失います。
逆に、全体だけ見ていると、具体的な修正が曖昧になります。
本当に身体を見るとは、この両方を行き来できることだと思います。
---あと、主観的に見るのか客観的に見るのか。
身体を“自分の感覚”として捉える視点と、“他者を観察する目”として捉える視点。
インストラクター1年目、2年目の頃は、できないことばかりが気になります。
でも、それでいいのです。
むしろ危険なのは、少し分かった気になることです。
身体は、本当に奥深い。
だからこそ、
* 学び続けること
* 観察し続けること
* 自分の感覚を磨くこと
* 目の前の人を丁寧に見ること
が大切になります。
ピラティスは、「エクササイズをこなす技術」ではありません。
人の身体を通して、人を理解していく学問でもあると思います。
そして、その入口にあるのが、“観察”なのです。
知識だけでは届かない世界があります。
だからこそ、自分の身体を使い、感じ、失敗し、また見る。
その積み重ねが、少しずつ“本当に身体を見る力”になっていくのだと思います。


