昨日、Youtubeで
芦田愛菜ちゃんのすごい言葉を聞きました。
すごいね。。。まなちゃん、、
「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」
私もそう思います。
理想を押し付けているんだなって思うことがあります。
数年前、信じるってことを一度、深く考えるタイミングがあって、
私もそう思っていました。
その人そのものを受け入れることって本当に難しい。
人間は、いろんな面があり、明るくて素敵な人でもダークな部分もあるはずで、
それは、普段見えないものです。
素敵なこういう人であるだろうと思っているのに、
すごく嫌な部分や許せない部分が出てくることもある。
その時にどう思うかですよね。
不安だからこそ、言葉に縋りたいって気持ちもわかります。
人って本当に不安的であり、それを受け入れることが重要なんだなと思います。
ピラティスでもそう思います。
自分を信じきれない・・・だから、信じていると思い込む。
不安に慣れない・・・不安に慣れた時、それで当たり前と思えた時に、
軸の取り方が変わってくると思います。
明るいところだけでなく、ダークな自分もそのままの自分。
それを受け入れられるようになるのをピラティスは、気づかせてくれるような気がします。
そういう人が、強い人なんだと思います。