人って、必ず、誰かと生きている・・・社会っていうのが重要になりますよね。

 

そして、どこかに所属し、

そしてその中での役割があるっていうことが生きがいになったりもする

 

 

 

ピラティスに取り組んでいる

Hideko Kikutaです。

 

プロフィール

 

 

 

仕事で、SNSを使ったりしているので、何かの記事をみた時に、

 

たまに、なんだかブルー気持ちになってしまうことがあります。

 

 

なんでだろう・・・と改めて考えてみたりするんですが、

 

そのブルーな時に、自分の中の感情は、揺り動かされているみたい。それは、他人も同じなんだろうなと思うことがあります。

 

 

 

昔、不妊治療している友達が、

友人の家族写真の年賀状にすごく腹が立つと言ってました。

 

また、お腹の大きい家族づれをみたりすると、

お腹を蹴りたい!と過激な発言をしていました・・・

(怖い・・)

 

その友人の苦しみをその発言で、感じました。

 

 

もちろん、

その家族連れや年賀状を送った人には、なんの罪もなく、またその人たちは、それを怒っている友人に怒るでしょう。

 

 

 

でも、これって、それぞれの言い分があって、

 

友人が100パーセント悪いとも言えないとも思うし、

その気持ちには、なんとなく、共感することもあります。

 

 

 

多面的にそれを見ると、どちらにも共感できる。

 

でも、片方だけなら、全く共感できない。

その反対があり、それに対してひどく傷つけようと思うくらいの対立感さえ感じてしまう。

 

 

そう考えると生きにくい時代なのかも知れません。

 

たまたまですが、

私は、生まれた境遇が在日韓国人で、

「多面的に物事を見られる可能性のある場所」に育ったことは、

よかったのかも知れません。

 

 

 

多角的に視点を見ることは、大切だけど、

そのような状況にないと、

そう見れなくなるもの。

 

 

今の状況を客観的に見るためにも、いつも自分の社会がどんな枠組みででき、

そのくらいのスケールなのかを考えておくことは、重要だなと思っています。

 

 

日本に住んでいるから、もちろん、日本という、またその大阪、豊中は、大事なところです。

でも、それらを見るときに

どの枠組みでそれを見るのかで、全く変わるのも事実。

 

 

 

ブルーな気持ちは、

その枠組みが小さいからそう思うのかも知れません。

 

 

誤解を恐れず言いますが、

 

その枠組みを小さく小さく捉え、その中にいる前提で、

不安を煽るようなネガティブな発言は、確実にあなたにまたは、その相手に

悪い影響を及ぼします。

 

 

 

ピラティスもこうであるべきは、とても危険だし、

自分でもそうならないように心がけています。

 

 

 

これでなければならない・・・たった一つ・・・・

という考えは捨て、

 

選択肢はたくさんで、そこから広がるものであり、

 

トップでなければならないことは、ない。

 

 

 

 

私は、誰にも比べられず、

優劣をつけず、

常に対等で、

 

同じ方向にむかって歩いていく人たちと一緒にいたいと思います。

 

 

 

 

もしかしたら、ピラティスにこだわるのも違うのかも知れませんね。

 

健康のために運動を・・・・

 

それもお節介というのかも知れません。

 

 

私は、私で、無限の世界で、自分のやりたいことをやり通していくことが、

それが、生きる道なのかも知れません。

 

 

 

皆さん、

自分を取り巻く社会の中で、どんなスケールでの視点を持っているのか、

私に教えてくれませんか?話をしませんか?