在日コリアン・・・私は、この言葉が好きではないです。
でも。リアルそうだけど
笑
この言葉・・・・どう思いますか?
なんか、もっと良い言い方があるような気がしてならないが、
まさしく私は、これであるには、間違いがない。
在日韓国人?でも、本当は、数年前まで、在日朝鮮人でした。
そして、8年目くらいかな・・・
両親が、韓国籍に帰ると同時に、韓国籍になり、
そして現在は、このまま生きている。
昭和15.6年ごろ・・・・韓国、慶州北道から、祖父は、日本に来た・・・それは、炭鉱で働くためだ。
最初は、祖父は一人で日本に来て、九州にいたそうで、その後を追って、
祖母は、長女・次女をつれ、日本にきた。
それから、苦労をして、苦労して、生計を立てたという・・・その話を小さな時から、何度となく聞いてたが、
私は、韓国語がしっかりわかっておらず、
なんとなくしか聞けていないのが、今になって悔やまれます。
私が、生まれた時は、周りには、在日ばかりのちょっとした集落でした。
家には、鍵がかかっておらず、必ず誰かが家にいる。いつも韓国語が飛び交い、
電話がかかってくる。が、大きくなるにつれ、その度に、どうしようっていう気持ちを感じた(言葉が話せないのが・・・コンプレックスでした)
が、小さいころは、話せたようで、それは、幼稚園は、朝鮮学校に通い、父と母は、総連と言って北朝鮮系の団体に所属し、熱心な活動員でもあった。
在日であること・・・・朝鮮人であることを誇りに想い、
それを叩き込まれた幼少期。父や母、周りの人の愛を一心に受け、
私は、育った・・・
そんな私が、小学生になった時、父や母は方針をかえ、日本の学校に通わせた。
その頃、父は、仕事を変わったこともあったのだろう・・・
父や母は、新しい仕事にかかりきりになっていた頃、
いきなり、日本の社会に放り出された気分だった。
いきなり、マイノリティになったのだ。
でも、私は、
いじめられたこともないし、友人もそれなりにいて、楽しい学校生活を送っていて、
私の中にあったのは、「みんなとは違う」という感覚だった。
朝鮮人として、誇り高くいたし、
何も恥ずかしいと思うこともなく、名前の本名で通っていた。
だからなのか、私は、いつも一人だった。誰も私の気持ちは、わからない・・・
育ってきた環境が違う、国籍が違うとは、こういうことで、
いつもあなたは違うよ・・・と言われているようだった。
私は、それが普通であった。
何も特別でなく、マイノリティであることが普通・・・・
でも、だんだん高校生になり、大学になり、仕事をし始めてみると、
在日同胞の中でも環境が違う・・・
私自身の世界観が必要だと思い始め、自分の理想を探ししていたような気がする。
小さい頃から植え付けられた、価値観と、実際に自分の思うものにギャップを感じながらも、
諦めがあった。
それを打ち破ったのが、結婚だったのかも。
日本人と結婚するなんて。。。という思い込みを打ち破った瞬間・・・・
私は、日本人とは、違う、、在日でもなく、朝鮮人でもない、
私・・・というアイデンティティにチャレンジすることになっていきました。
女性であることの生きづらさ、古い考え方・・・
そこをぶっ潰してやろうとするチャレンジが今から思えば、
始まったのです・・・
自分が持っている価値観・・・・
皆さんにも潜在意識の中にたくさん詰まっていて、それが、自分を作っている。
別にそれをそのままに生きれば、いいし、どうしたら正解っていうのは、ない。
でも、私は、チャレンジしてみたかったんだと思います。
ぶち破ったら、どんな自分になるのか、見てみたかったんだと思う。
自分の信念を全て裏切り、
大事に育てられた長女としての価値観を全て取っ払ったら、
何が残るのか・・・・
もしかしたら、何も残らないのかも。
それでいいと思う。
何も無くなった時、私は、どうなるんだろう・・・・
プライドもなく、恥ずかしさもなく・・・
でも、一つ・・・・・私の中の生きる力がのここる気がしています。
社会のマイノリティだけど、だからこそ、社会の一つになりたい・・・
社会のなかで存在している自分を見てみたい・・そう思うのは、いけませんか?
自分らしさということに拘っていた時期もあるけど、
そこを取っ払うことに最近、自分の存在を感じます。
日本人だから、朝鮮人だから、韓国人だから・・・
そこになんの価値もない。住んでいるところは、私の大切な場所。
見た目は、日本人だけど、奥には、韓国人気質が残っている・・・それもまたそれ。
もっと、探していこうと思う・・・自分を