大学入学~ 家を出る(18歳から24歳)

 

大学は天理大学に行きました。

将来の大きな夢はなかったけど、教師には、興味がある程度でした。(従来の履修の倍を取り、教員免許は取りました)

 

両親は、女性は早く結婚し、子供を産むというのが仕事だと言われていたので、

短大くらいで4年生大学教育は逆に邪魔になると言われていました。が、それに反発する意味もあり、

4年制にこだわり進みました。

 

家からは通えない距離なのも魅力に感じ、大学入学後は寮生活に入りました。

家から出れたのは、嬉しかったけど、なんか、まだ両親に甘えていたのは事実でした。

 

ここでも、楽しく大学生活は送り、
卒業時、また自分のなりたい自分・・・・やりたいことに向き合うことになりました。
 

 

 

でも、しっかりと向き合うこともなく、
その頃何気にいったスポーツクラブが楽しくて、
こんな楽しい仕事があるのかと感激し、現在のNAS(その当時は日本体育施設運営)に入社。
大学時代から初めていたエアロビクスインストラクターの仕事を社員としてすることにしました。

 

 

 

が、一年もしないで退社。

 

なんか、自分には、合わない仕事だと思ったのです。

組織の中で、誰かに合わせていくのは、

結婚までの間の仕事としては、残念に思えたのです。

 

いつかは、両親の言う通りの人と結婚して、家庭に入る。なら、それまでできるだけの

楽しいことはすべてしたいと。

 

もちろん、両親は、厳しい家でしたが、それなりに楽しく過ごしていました。

一人暮らしでしたから。

が、そのうち、家に戻され、フリーインストラクターとして、大きな目標もなく、

両親から見合いを進めながらも、

毎日を楽しく過ごしていた22歳~23歳でした。

 

そういってる間に

24歳の時、ある人に出会い。半ば強引だったけど、家から出たかった私は、

出れるならと両親の反対を押し切って結婚しました。

 

私の人生の中で最も両親に対して申し訳なく思った人生の節目でした。

両親は、私が同胞(韓国・朝鮮人)と結婚し、朝鮮人の女性として

ほこりを持って生きてほしかったんだと思います。両親の理想とする女性として。

 

が、日本の人と結婚するなんて・・・両親は、本当に大きな挫折でしたでしょうし、

私は、その頃の私の全部をかけた、大きな反抗でした。

やりたいことは我慢しないでやるし、両親の言いなりにならないと。

 

 

 

 

その私の頑固さに
両親は少しだけでも折れて、結婚式を日本式・朝鮮式で2回やることを条件になんとなく、許してくれたようでした。
ただ、両親は、納得しても、私の中では、
この時、教会での結婚式で、バージンロードを父は歩いてくれず、母と歩いたことは、
私の中で言葉で言えない悲しみと恨みのような感情が湧いた出来事でした。
私のやりたいことをした代償でした。
結局両親は、私のためを想っていたのか・・・愛していたのか。
 
でも、このことは、誰にも言えず
その頃、すべてをかけた
主人にもその感情はわかってもらえないと感じたことでした。